荻原浩の書くハードボイルドストーリー - ハードボイルド・エッグの感想

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ハードボイルド・エッグ

2.502.50
文章力
4.25
ストーリー
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キャラクター
3.25
設定
3.50
演出
3.25
感想数
2
読んだ人
2

荻原浩の書くハードボイルドストーリー

3.03.0
文章力
3.5
ストーリー
3.0
キャラクター
3.0
設定
3.5
演出
3.0

目次

ハードボイルドにも色々ある

個人的にはハードボイルドは好きだ。あのわざとらしいセリフや生き方にこだわりぬいたスタイル、いかにもそれっぽい食事や酒などぞくぞくするものも多い。村上春樹の描くハードボイルド的文章も好きだ。セリフからなにから、ページのどこを開いても満足させてくれるそれは、他にはないものだと思う。
タイトルはなにか忘れたけれど、日本のハードボイルド小説を読んだことがある。始まり方は悪くなかったものの、主人公がまるっきり格好よくなかった上に、だんだん文章そのものにも加齢臭が漂ってくるような感じがして、途中でギブアップしてしまった。だからハードボイルドであればいいというわけではない。
この「ハードボイルドエッグ」は、ハードボイルド的表現も楽しみつつ、荻原浩らしい切なさや温かみも感じることができる。設定に時々村上春樹の小説を感じたり、もちろん本家であるレイモンド・チャンドラーの小説を彷彿とさせる場面も数多くあり、それも楽しみのひとつでもある(行きつけのバーの店主がJだったり、レモンドロップのかわりにフルーツミントドロップとか、依頼主との「背が高いのね」云々のやり取りとか)。そういう意味では私にとってはただのハードボイルド以上に楽しめた作品だった。

かっこよくかっこ悪い始まり方

主人公はフィリップ・マーロウを限りなく愛するハードボイルドを気取った探偵だ。彼が探すのはNYのスラム街で失踪した金髪美女…ではなく、商店街の路地裏で失踪したアリサという名前の猫だったというオチはぎりぎりまでわからないところが良い。しかも猫相手にもそのフィリップ・マーロウ的態度を崩さないのがいい。依頼者にもセクシーさを求めながらもただ電球を替えさせられたりとか、何気にくすりと笑わせられる冒頭の展開が個人的には好みすぎて読み急ぎすぎて、一旦本を置くほどだった。
探偵といいながらも猫探しや挙句の果てにイグアナを探したりとか、仕事を選んでいないのも彼の美学なのかもしれない。また、イグアナのガルシアが死んだときに彼が取った行動はハードボイルド的なのかどうかはわからないけれど、普段見せない彼らしい優しさが感じられたいい場面だ(また綾にきちんと説明しないところも良いところだ)。
この始まり方だけでこの探偵が何を怒り何を大事にしているかがよく分かる。余計な修飾で彼のことを説明するよりもよっぽど頭に入ってくるし、感情移入もできる完璧な始まり方だと思った。

探偵好みの秘書であるはずだった片桐綾

これはまさに荻原浩らしい展開だ。探偵が苛立てば苛立つほど笑みが浮かんでしまう。また自分をまんまとダイナマイトボディと騙しえた老女との掛け合いもテンポがよく、荻原浩らしい笑いが散りばめられている。ウィスキーのソーダ割りと炊き込みご飯。ハードボイルドを説明した結果出てきた固ゆで卵。全く伝わっていないながらもなにかしら「もしかしたら合う!?」みたいな発見があったりして、いちいち笑ってしまった。しかも綾はなにもボケ担当だけであるわけではない。ヤクザの家を調査中に家の中に連れ込まれて危機一髪だった探偵を老婆らしい機転で救った場面はなんとも頼もしかったりする。
探偵と綾のいわば“ドタバタ劇”は、行き過ぎると痛々しくなってしまい直視できなくなってしまうところだけど(これはアメリカのコメディ映画によくある)、そのバランスはうまい。荻原浩の作品はスムーズに頭で映像となって動くけれど、その映像はなんとなくマンガチックだ。今回もそうなのだけど、この2人の掛け合いは特にそんな気がした。
最後綾が死ぬところは、そうではないかなという予想があっただけに衝撃は感じなかった。ただ探偵の前で気丈にふるまっていた綾自身の人生は、探偵が綾から聞いていたものと全く違っており、そこは切ないところだ。全く関係のない2人の写真を壁に貼り付け、息子夫婦だと想像していたのだろうという哀しさは、荻原浩らしい優しく柔らかい表現で描かれ、胸が締め付けられた。
探偵には絶対家まで送らせなかったのは綾の自尊心なのか意地なのか、そこも綾らしいなと思ったところだ。

どんどん変わっていくJの店

探偵行きつけの店であるJの店は、マスターであるJ自身もハードボイルドに決めようとしているのだろう、彼らが話す内容は2人とも恐らく理想的なハードボイルド風味で溢れている。Jの店ももともと渋く決めようというスタンスだったはずが、どんどん大衆化していっているところが面白い。その変わり方も微妙で実にうまいところだ。おでんから始まり、ジャズからJ―POP、そしてまさかのカラオケ導入など、いわばハードボイルドとは真逆のところにあるものが混在した中で肩をすくめていてみせるJは想像したらコントでしかない。探偵も見て見ぬ振りをしながらも、おでん鍋のことを「新しい暖房道具かい?」などとかっこつけてみせているが、美人の客が来たときには気を惹くために“おでん盛り合わせ”を頼んだりと、しっかり小道具にもなっているのも良い。
またこのおでん鍋、ハードボイルドをぶち壊すためだけにあるのではなく、探偵のトラウマから来ている昆布嫌いを表すのにうまく使われている。そういう表現で登場人物を語るのは、ただ長々と説明されるよりもずっと物語が深くなる。ただただ面白いためだけに言葉を選んでいるのではなく、ストーリーの内容に深みと広がりを持たせているのはすごいなと思ったところだ。

柴原夫婦の犯した犯罪、祥子の崩壊

祥子のことを天使のように思い、人妻ながらも淡い恋心さえ抱いていた探偵だったけれど、調査が進むにつれ思いがけない発見をする。ヤクザものが飼っていた犬が義父を殺したのだろうとすっかり思っていたところ、話は思いがけない展開を見せ、柴原夫婦がその犬を訓練した結果起こった出来事だったのだ。しかも事故に見せかけた犯罪という手回しのよさで、動物たちを守り不器用ながらも必死で生きているように思っていた柴原夫婦の顔がここで一変する。
しかしどうしても腑に落ちなかったことがある。土地を守らなければ動物たちを奪われてしまうという気持ちのみで殺人まで犯してしまう気持ちはわからないけれど、動機としては理解できる。しかしその殺人に自分たちのトレーニングした犬を使うのでは本末転倒なのではないかと思ったのだ。克之もそれは「あいつにはかわいそうだけどしょうがない」と言っていたけれど、そんな100匹を救うのに1匹を犠牲にするといった考え方は、人よりも動物を優先する柴原夫婦にはしっくりこなかった。1匹でも不幸になるのは許せないという風に、特に祥子は思うのではないかと思ったのだ。それは動物を皆自分の子供のように接していた祥子だから余計そう感じて、そこに若干の不自然さを感じてしまった。
あと武器を持って追いかけてきた執拗さも祥子らしくないところだ。殺そうとしても失敗して一旦自分の農場から追い払ったら、哀しげな顔をして引き下がりそうなイメージだったけれど、実は落ちた車のところまで武器を持って来ていたというところは、もはやホラーの域だ。
ただ祥子らしくないというのもそれまでの言動や顔立ちからの想像なので、本当の祥子は妖精のような姿の下に元々このような顔を持っていたのだろう。信じられないという思いは、探偵が感じたものと同じなのかもしれない。

ハードでなくては生きていけない

優しくなくては生きていく資格がない。これはフィリップ・マーロウの言葉だ。ところどころにフィリップ・マーロウの言動が要所要所に書き込まれ、全体的にハードボイルドな文章で成り立っているこの作品は、文章一つでここまで作品の雰囲気を変えることができるのかと思うくらいのものだった。こういう文章も書こうと思ったら書けるというのがプロの作家なのだろう。
荻原浩もフィリップ・マーロウのファンだと思う。もう一度フィリップ・マーロウシリーズを読んでからこの作品を読むともっと新しい発見があるかもしれない、そんな気がした。

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