男性目線の理想の少女像を生々しく描いた作品 - 女生徒の感想

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女生徒

4.334.33
文章力
3.83
ストーリー
3.00
キャラクター
4.33
設定
3.67
演出
3.33
感想数
3
読んだ人
4

男性目線の理想の少女像を生々しく描いた作品

5.05.0
文章力
3.0
ストーリー
1.0
キャラクター
5.0
設定
3.0
演出
2.0

目次

文体による少女性

まず「女生徒」における特徴は文体である。

ある少女の1日の流れを描いた作品であるが、行動と思考の両方が彼女の独白によって記されており、読者は文章を追っていくと、女生徒の思考に入り込んだような錯覚を覚える。

成熟した女たちに感じる不潔感、あたりの景色や何気ない動作への既視感、学校の友達や教師たちへの軽い批判、飼っている犬への思い、母親への苛立ちと切なさ、そして嫁いだ姉や亡くなった父親への愛慕といった、さまざまなエピソードが凝縮して一日に詰め込まれることで、断片的に次から次へと継起してゆく意識の流れを疑似体験させられるような感覚になるのだ。

この感覚に、私たち読者は思春期の少女特有のふわふわとした頼りない様、ひらひらとスカートを揺らして歩く少女の姿を連想させられる。

まだ筋の通っていない未完成な少女性を表す文体としては優れていると言えるだろう。

少女の持つ成熟嫌悪

女生徒がバスの中で妊婦を目にするシーンでは、「汚い、汚い」「女は、いやだ」「不潔」といった言葉が並べられ、あからさまに妊婦を汚いものとして認識していることがうかがえる。

妊婦を性の象徴として考えると、これを拒絶する女生徒の姿は処女崇拝主義の男性のニーズにぴったりとあてはまるのではないだろうか。

少女を崇め、性に触れていない綺麗なものとして愛玩する男性はいつの時代も多く存在する。

実際処女崇拝主義の男性の考え方は現代のみではなく、昔からあったものであり、この小説の書かれた時期は家父長制主義が蔓延していた、まさに男社会の時代である。

よって、「女生徒」に描かれた少女は、世間に求められていた少女像に沿うように男性である太宰によって作られた偶像なのだろうと思う。

実際、この作品の元となったと言われている実在した少女の日記の中では、妊婦そのものを拒絶しているのではなく、老いていくことで社会性を失い、世間から取り残されていくことへの絶望感がこのあとに記載されている。

しかし太宰はそこを敢えて切り取り、社会性を求める少女の姿を切り捨て、本能的・動物的に成熟を嫌悪する姿を挿入したのである。

そして、「いっそこのまま、少女のままで死にたくなる。」とまで書き記した。

姉への特異な感情と「エス」

妊婦への感情がひたすらマイナスなものであったのに対して、姉への感情は不自然なほどに好意的に語られている。同じ大人の女性に対するものなのにも関わらず、何故こうも違うのだろうか。

それは姉がただの大人の女性ではなく、「姉」だからではないだろうかと私は考える。

女生徒が描かれた時代、「エス」という何とも閉鎖的な文化が少女たちの間で広まった。

「エス」とはSistarの頭文字と言われており、女学生同士、または女学生と女性教師などの、女性同士の恋愛未満の親密な関係のことを指す。「エス」の描かれた代表的な作品に吉屋信子の「花物語」が挙げられる。

「エス」のように、親密ではありながらも、お揃いのハンカチを持ったり、登下校を共にしたりするだけの恋愛とは言えないプラトニックな関係を育む女学生たちの姿は、男性の目にはどのように映ったのだろうか。清純で美しい、まさに男性たちの理想とする愛玩すべき少女の姿として映ったのではないだろうか。

この部分でも、男性の憧れる少女の姿に近づくよう、女生徒が描かれているのがわかる。

薄っぺらい、ロココ

客へふるまうための料理をする場面で、女生徒はロココ料理について、「華麗のみにて内容空疎の装飾様式」「私は、ロココが好きだ。」と語っている。

家父長制主義が蔓延していたこの時代、女は勉強をしても無意味、本を読んでも無意味だと言われ続けていたはず。そのため、女性は頭の良さよりも器量の良さを求められることが現代よりも当然であったと考えられる。

そんな女性はこのロココ料理のように、美しさだけがあり、中身のない存在であったとも言える。

そしてそんな女性が好きだ、と女生徒は開き直った様子で言い放つ。

自分自身が、男性の理想や強い妄想によって押さえつけられ、美しさという期限付きの能力のみを求められていることを知りながら、それでも自分が好きだと言える女生徒の姿には、凛とした美しさすら感じ、同じ女性として強く好感を持つ。またそれと同時に、強い切なさを覚える。

少女を愛玩したがる男性の姿と、そこから抜け出すことの出来ない少女の姿は、どちらもとても悲しいものに見えるからだ。

ラストの女生徒のセリフが私はとても好きだ。

「おやすみなさい。私は、王子様のいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか。ごぞんじですか?」という部分では、この作品が東京のどこにでもいるであろう、何万人もの名前もない、特別でも何でもないただの少女の物語であることを思わせられる。

また、一人で抜け出す力などない頼りない少女が、いつか自分を助けてくれる王子様が現れるだろう、と思いながら今日も眠りに落ちる。そんな姿が思い浮かぶ。

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