富士には、月見草がよく似合う------明日の文学の理想を求めて苦悶する、太宰治の中期の名作「富嶽百景」
太宰治の「富嶽百景」という短編小説は、太宰の中期の代表作で、主人公の"私"に仮託して、「くるしいのである。仕事が----純粋に運筆することの、その苦しさよりも、いや、運筆はかえって私の楽しみでさえあるのだが、そのことではなく、私の世界観、芸術というもの、あすの文学というもの、いわば、新しさというもの、私はそれらについて、まだぐすぐず、思い悩み、誇張ではなしに、身悶えしていた。」と表現されているように、この小説の執筆時の昭和14年頃の、新しいあすの文学を模索し、身悶えしている若き太宰治の文学との格闘の日々が、魂を削るかの如く、赤裸々に描かれています。青春の彷徨と錯乱の時代とも言える、彼の前期において、自身の大地主の家の生まれだという出自に反抗して、左翼運動に身を投じたり、愛の苦しみから女性と心中未遂事件を引き起こしたりして、そういう時期を経て、ようやく明るく健康的な精神の安定期を迎えていた、いわ...この感想を読む
5.05.0
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