最後まで主人公のことが好きになれなかった作品
初めて読んだ辻村深月
辻村深月を知ったのは「時の罠」というアンソロジーで、そこに書かれたタイムカプセルの話が面白かったので、他の作品も読んでみようと思ってこの「凍りのくじら」を手に取った。タイトルにも心を惹かれたし、何より始まり方がだんだんと死にいくクジラの描写だったので、この先の暗さと重々しさを予感させ、期待して読んでいった。
しかし気を惹かれたのはこの部分だけで、冒頭部分、主人公の芹沢理帆子のインタビュー部分はなぜか文章がまったく頭に入ってこなかった。文章が悪いというわけではないのだろうけど、なぜかまったく文章が頭で映像化されないのだ。結果、同じところを何度も読み、嫌になって次目を惹く文章まで読み飛ばすということになってしまった。
インタビューの後は理帆子の高校生活の話になる。そこあたりからはまあまあ読むことができたので少しほっとした。
キーワード「ドラえもん」
この作品のキーワードは「ドラえもん」だ。「ドラえもん」に出てくるベンリ道具だけでなく、「ドラえもん」の生みの親である藤子・F・不二夫もキーワードとなっている。理帆子の父親が大の「ドラえもん」好きで、藤子先生を尊敬していたから自然と理帆子もそうなったのだろう。
「ドラえもん」はもちろん好きだし、ベンリ道具だって欲しいものはいくつも言える。だけど、フィクションの中にノンフィクション(現実に存在するものと言う意味で)のものを持ち込まれると、どうしても冷めてしまう気持ちがあるのだ。それは、小説の世界ではそこのみで成立している世界が個人的に好きだから特にそう思ってしまうのだと思う。
また理帆子は一人遊びとして、藤子先生がS・Fのことをもじって「スコシ・フシギ」と言ったことから派生して、初対面の人のことをこの「スコシ・なんとか」と名づけるのが癖となっている。これも設定としては稚拙すぎて、なんだか中学生や高校生の小説を読んでいるような気にさせられた。これは必要ない設定ではないだろうか。登場人物の特徴を説明されているような気にもなるし、余計なことだと思う。
「スコシ・不在」な理帆子さん
主人公である理帆子は読書家で頭がよすぎるために、同級生たちと相容れない。しかしそのために無意味に相手をバカにするのではなく、相手の求めているだろう返事や態度で自分を変化させ、いくつものグループとそつなく仲良くできる生徒だ。そのため自分を出せる相手がいないので、「スコシ・不在」。笑顔でいつも相手を見下していて、そのようなスタイリッシュな名前を自分につけるところはなんだかいわゆる「中二病」を思わせる。
中学、高校では誰しも「自分は人とは違う」という気持ちがあったり、誰にも自分は理解できないと苦しんだり、逆に理解されなくてもよいと気取ってみたりと、大人になるといわゆる「黒歴史」に入るような恥ずかしい行動をとりがちだ。理帆子のそれもどうもその範疇な気がして、彼女の行動や気持ちにはあまり感情移入することができなかった上に、最後まで好きになれなかった。
相手を見下す理由も単に読書量の違いだけというのも、なんだかなぁと思う。もちろん読書量の違いで人間の奥行きみたいなものに違いは出るけれど、もうちょっと他にないものかと思う。もっと単純に理帆子自身が驚異的なIQの持ち主とか、アイカメラの持ち主とか、絶対記憶の持ち主とか、なんかパンチがあって欲しかった。理帆子が頭がいいと感じさせる描写もさほどなかったし、そこまで相手を見下す理由をもっときちんと感じたかったところだ。
それは実は理帆子が自分でそう思っているだけで、周りはそこまで思っていなかったりするかもしれないと思わせる。実は周りと同じ普通の高校生で、なにも違いはないのかもしれない。そんな気がした。
また壊れていく若尾に対する理帆子の態度も自分に酔っているような、若尾よりも理帆子のほうに問題があるように思った。どこまでも「中二病」感を崩さないところが、いかにも、なのかもしれないが。
理帆子を見ていて思い出したのは、貴志祐介の「青い炎」の主人公だ。あの彼も「中二病」感満載だったけれど、理帆子さんもなかなか負けていないと思う。
よくわからない母親との確執
理帆子の母親は入院中ですでに余命宣告されている。ほぼ毎日お見舞いに行くその姿からはそうは思えないけれど、理帆子と母親との間にある確執の描写はそこかしこに挟まれている。その確執の描写は確かに身につまされるものもあり、かなり感情移入してしまうものだったけれど、そこまでに至るプロセスの描写があまりにも足りない。言い争いやケンカも普通の母親と子供のどこにでもある諍いの範疇を超えないもので、そこまで激しい憎しみにちかい感情を持つのかどうかも疑問だ。死にいく母親に対しても優しくしないと自分が後で後悔するという気持ちはよくわかる。そしてここに至ってもそれができない自分の心狭さをまた嘆くという気持ちもとてもよくわかる。でもその描写の最後の一文「身勝手な私は心を痛める」という、なんだかそれに酔っているんではないかと思わせる一文が入ることで台無しになってしまった。だから理帆子の言動は「中二病」の枠を超えないと思ってしまうのだ。
ただこの母親に対するやるせない気持ちを描いた場面は、とてもリアルだった。自分が感情移入してしまったからかもしれないが、この場面はとても印象に残った。
郁也との出会い
自分の恩人である松永の隠し子である郁也は、この物語で最も美しい存在だと思う。どういうきっかけで口がきけなくなったのかはわからないけれど、その代わりギフトとも言えるほどのピアノの才能を持っていた。郁也のピアノを初めて聞いたときの描写も、この小説で気に入っているところだ。ピアノの旋律を聴きながらその曲のテーマである鐘の音が聞こえるところなど、それだけで郁也のピアノの才能を感じさせる。本家の娘にはそれほどの才能がない分、隠し子のこの才能を妻は認めないだろう。だからゆえに自分の身を守るため、彼にピアノを続けなさいと言った別所の言葉は間違いがないと思う。
ただその言葉の呪いを解くために自分が責任を取るというような意味の言葉を言った別所が、実は理帆子しか見えていない存在だったのでは、郁也はどうするのだろう。理帆子が一緒に住むことになったとは言え、その言い方はなにか納得できなかった。だって自分は結局なにもできないのだから。
別所が理帆子以外には見えない存在であったこと
若尾に拉致された郁也を助けた理帆子と一緒に歩きながらも、郁也を一切背負おうとしないところから、うすうすこのようなラストは想像できた。もしかしたら父親の霊で理帆子にしか見えないのではないかと。そのようないわゆる夢オチみたいなこの結末はいささか消化不良を感じた。また立川の片思い相手が新聞部の先輩だったからてっきり別所がそうだと思っていたのに、理帆子しか見ていなかったというこのオチならこんな余計な伏線は必要ないのではないかと思った。
もしかしたら実際に存在している別所という男に、最後の最後だけ父親が乗り移って、道に迷った理帆子を導いたという展開ならまだマシだったかもしれない。。
郁也を必死に探す理帆子の描写は切羽詰まっていて良かったと思う。だけど別所に関してはどうしても納得がいかなかった。
なんとなく綺麗に収まったラスト
ラストのシーンと冒頭のシーンがつながるというストーリー展開は好みだ(小説にしても映画にしても)。だけど今回は、別所が夢オチみたいな展開だったことがどうしてもひっかかって、文章が頭に入ってこなかった。知り合った頃は子供だったのが成長した姿を見せるというのも好きなのだけど、どうしてもだめだった。なのでこの本に関しては冒頭とラストがまるごと頭に入っていない。内容はわかるのだけど、どうしても文章が目滑りしてしまった。
また文章に「苦笑」「失笑」といった言葉が多すぎる。あまりにも多いので、またかという気分にさせられてしまう。他にも「イタい」「引く」などといった話し言葉がセリフでないところで多く使われている。これらを小説に使われると、ケータイ小説のような軽さを感じられてあまり好きではない。
なんとなく綺麗におさまってるけれど、読後感はあまりよくない作品だった。
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