わたしが・棄てた・女のあらすじ・作品解説
わたしが・棄てた・女は、遠藤周作による長編小説。「主婦の友」1963年1月号から12月号まで掲載され、1964年文藝春秋社より刊行された。遠藤周作の作品の中で、軽小説に位置づけられる。山内久によって脚色され、1969年に『私が棄てた女』として映画化した。浦山桐朗が監督を務めた。 この作品は、貧弱な身体である貧乏大学生の吉岡努と、人に尽しすぐに情をかけてしまう森田ミツの物語である。欲望のままに生きる吉岡に都合よく扱われ、あげく棄てられ、それでも吉岡を想い続ける献身的なミツを襲う、ハンセン病の疑い。その一途な愛情と、彼女の悲劇の一生が、吉岡による視線「ぼくの手記」と、ミツによる視線「手首のあざ」の二つの視線で描かれている。 1997年には、設定年代を1990年代に移し、『愛する』という題名で現代版が上映された。また、2014年には原作をもとにミュージカル『泣かないで』が町田、東京、大阪、愛知、広島にて上演された。
わたしが・棄てた・女の評価
わたしが・棄てた・女の感想
良心のかけら
若いころに初めて読んだときから、胸に残る切ない思い。純真な娘さんが軽薄な男に遊ばれて捨てられる話です。2人の気持ちの違いとその重さの違いに、哀しさを感じます。実際の世の中にも、こんな関係はいくらでもあることでしょう。そして立場は男女が逆である場合も多いかもしれません。そして現在の私は、読みながら男に憎しみを感じました。自分の娘がこんな男にひっかかったら・・・そんな気持ちがするためでしょう。最後に男が見せる良心のかけら。そこに少し救われます。冷血な極悪な人間ではないことが、うかがわれてほっとします。ただただ、考えが足りずに利己的だっただけなのでしょう。こんなことなんでもないさ・・・と自分に言い聞かせる場面はこの男の良心のかけらを感じさせ、少しの安堵をくれました。
高校生の時、読みました。
私が高校生のとき、国語の授業で読みました。課題作文を書くために読みなさい。という事だったのですが、当時の私は、作品の奥深さにも気づかないままでしたね。今思えば、これから大人の女性になっていく私たちへのメッセージを込めて、先生はこの作品を読ませたかったのでしょうね。私には、ミツのように与えることを厭わない愛を持ち続けることは、できないな、と思う。それと同時に、そんな女性にも出会ったことは、ない。ただ、吉岡のような男性はいつの時代にもいる。でも、吉岡ってそんなに悪い人にも思えなかったのは、時折ミツのことを思い出したりするところ。愛ということの本質を、問われているような作品でした。私がいつか、母になったとき、娘が出来たらいつか読んでほしい、そう思いました。