なにもかも手紙に書いているようで、そこにひそむ先生の暗い欲望
高校の教科書で読んだ思い出
高校を卒業してから十年以上経って、夏目漱石の小説を読むようになり、その一冊をどこかで読んだ覚えがあるなと思いだしたのが、高校のころ教科書で目にした、この「こころ」。著者が夏目漱石ということも題名も忘れていたけど、内容はやけに鮮明に覚えていた。それにしても改めて全体を読んで、教科書に載っていたのが、極々一部で、しかもかなり後半だったことに驚かされたもので、でも、妙に納得もした。当時は、一体どういう話なんだと、今一内容を掴みかねたものだから。教科書には一応それまでの、あらすじも書いてあったけど、そもそも主人公と、謎の多い先生との出会い、そのつきあいがあっての、手紙の内容なのだから、そりゃあ、なんの話だともなる。 たしか、Kが下宿先のお嬢さんに気があるような様子が見られはじめてから、自殺するに至るまでの内容だったと思う。そのとき課題で、Kの自殺した理由を考えるものがあった。不意打ちにお嬢さんとの縁談がすすんでいることを聞かされ、裏切られたと思ったから、いうようなことを当時は書いたと思うものの、我ながらしっくりとこなかった覚えがある。というのも、Kに怒ったり落ちこんだり悲しんでいる様子がなかったからだ。下宿の女主人にお嬢さんとの縁談話を聞かされたKは、寝耳に水だったはずなのに、さほど驚かなかったし、そのあともとくに取乱しはしなかった。「裏切り者!」と罵り殴りかかってもよさそうなのに。普段から、あまり感情を表にださない性分のようとはいえ、あまりにしれっとしていたので、なにを考えているのか分からなかった。だから、その通り、なにも考えていなかったのではないかと、ふっと思ったのだ。そもそも縁談のことで、自殺したくなるほどに思いつめたとは、限らないのではないかと。自殺したのは、まったく別の理由からで、そう考えたなら、Kが縁談のことを聞かされてからも妙に落ちついたいたのも、納得できる気がした。
本当にKは裏切られたから自殺したのか
ただ、あのころは小説の、ほんの一部分にしか触れなかったわけだし、今より読解力がなかったろうから、その思いつきが当たっているのか、確信はもてなかった。一応、そのことを念頭に置きつつ、改めて読んでみたわけだが、やはり裏切られたから自殺したとは思いきれない、いくつかの違和感があった。一に、人を自殺に追いやったまでの縁談を、中断しないで、二人が結婚してしまったことだ。普通なら、すくなくとも自分ならそのまま結婚はしたくないし、まあ図太いなら平気でしそうなものを、いまだに自分を責めて罰しているような先生は、そんな人間ではない。人を貶め不幸にしてまで、なにかを手に入れることに喜びではなく、嫌悪を覚えるまともな人間のように思えるが、それでいてお嬢さんを手ばなさなかったのだから、口ではなんだかんだ言いつつ、Kに勝った戦利品のように思っているのではないかと疑ってしまう。 百歩譲って、下宿の女主人に押しきられて、断れなかったのだとしても、お嬢さんのほうが、断ってもおかしくはなかった。もし、Kが好意を寄せていることに気づいていて、縁談の話がでたのがきっかけのように、自殺されたのなら、なにも考えないことはないだろう。ましてやKと先生が友人だと知っていたわけだから、友人が自分の好きな女性と結ばれるところを、見せつけられたKが傷つき、悲しむだろうことも、想像できたはずだ。が、お嬢さんには、Kに遠慮や気兼ねしている様子はなかったし、結婚した後も、先生がなにを思い悩んでいるのか、ぴんときていない。それくらい、彼女は昔も今もKにあまり興味がなさそうで、好意を寄せられていたことに、気づいていたのかも怪しい。鈍感で、気づかなかったのかもしれないが、もしかしたら、Kにまったくその気がなかったことだって、考えられる。手紙を読んでいると、とてもそうは思えないものの、あくまで内容は先生の一方的な見方であり、先生が筆を握っている以上、どれだけでも自分の都合のいいように書こうとも思えば書けるわけだから、実は信用があまりできない。むしろ手紙の内容を無視して考えたほうが、つじつまが合うのだ。Kの自殺と自分たちの縁談が、まさか関係あるとは思わなかったから、お嬢さんは結婚をしたのだろう。だとしたら、お嬢さんがKをすこしも異性として意識していなかったといえ、そうやって意識させないくらいにはKのほうも意識していなかったと考えるのが妥当だ。お嬢さんと屈託なく話せていたのも、だからなのだろう、とも考えられる。
自分が裏切ったせいで自殺したのだと、思いこみたがる先生
もとより存在しない恋心のせいで、自殺はできない。だったら、なぜ先生はわざわざそう思いこんで、自分を苦しめるようなことをしたのか。おそらくKにとって、自分がそれだけ影響力がある人間だと、思いたかったからだと思う。 身よりがなく、頼るものもいないKだが、そのわりには切羽詰ったようでなく、泰然としている。先生がなにかとお節介を焼いても、とくに有難がったり恐縮したりせず、挙句に見返りになにかするどころか、先生の思い人を、横取りしそうな始末。そんなKを見て怒るより、自分と比べて悔しく思ったのかもしれない。親戚に裏切られながらも、嫌われたくなくて顔色を窺ってしまう自分、親の財産を使いこまれているのに、援助を断ちきられるのが恐くて、へそを曲げられないよう、気を使ってしまう自分と。自分は人に助けてもらうのに、こんなにも我を折って、屈辱に耐えているのにと思えば、すずしい顔をしているKがずるいようにも、思えてくる。そして、同じ思いを味あわせてやりたくなった。親切にしまくって、自分がいないと生きていけないと思うくらい依存させた上で、見捨てられる不安や恐さを抱かせようとした。でも、あいにくKは、なるようになるさと構えて、格別先生を頼りにしているような態度を見せなかった。もし自殺したのに、他に理由があったとして、悩みを打ち明けるなり相談をしなかったということは、むしろ先生をそんなに頼りたいとは、思わなかったのだろう。 相当親切にしてもらったわりには、Kは先生を、自分にとってかけがえのない存在だとは見なさなかった。Kに屈辱を与えるはずが、親切にしたのに、その思いに見合うだけの思いを返してくれないどころか、軽視されるという屈辱を与えられて、先生は耐えられなかったのではと思う。だから、自分のせいで自殺したのだと思いたがった。騙まし討ちのように、思いを寄せる女性の縁談をすすめられ、業腹でも恩のある相手だから、怒ることも文句も言えない。そうかといって、二人が結ばれるところを、傍で見ていられなく、自殺をした。そう考えれば、嫌でも弱い立場のために屈さずにはいられない、苦しみや辛さを、Kに痛感させるという目的が、達成できたことになるから、満足もできる。 ただ、満足するのにも、身を削らなければならない。本来、人を自殺に追いやってまで、歩む人生やした結婚に、喜びや楽しさを覚えられない。覚えるのが後ろめたいからだが、本当は自分のせいでKが自殺したのではないので、先生は別に後ろめたくない。かといって、人生を謳歌したら格好がつかなく、格好をつけるために、わざと生きる喜びを遠ざけようとするのだ。奥さんとの仲に支障はないのに、変にそっけなくする、能力があって健康、野心もありそうなのに、世にでないといった具合に。自分に幸せになる資格はないと言わんばかりのポーズをとるわけだが、実際に自分を不幸にしては、元も子もないように思える。それでも先生にすれば、Kに屁とも思われなかったことを認めないで済むのなら、人生を犠牲にしてもかまわないのかもしれない。 改めて考えると、他者の目に触れる手紙では尚更、ポーズをとりたがったのだと思う。だからか、懺悔しているように見せかけ、自分がKにとって、いかに大きな存在だったかと、ひけらかしているようにも読みとれる。高校のころ、なにかひっかかったのは、そんな胡散臭さが、鼻についたからのかもしれない。 たしかに、自分が人の生死にかかわるような存在だと思えるのは気分がいい。たとえば、飛んできた銃弾に立ちはだかってくれたおかげで、自分が助かったとして、人に命を投げださせるほどの価値が自分にあるように思い、わずかでも嬉しく思わないことはないだろう。人が痛い目に合ったり死んだりしても、自尊心がくすぐられてしまうのが、人間の恐いところのように、この先生の手紙を読んでいると思えるのだった。
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