生きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちゃ、助からない。外へ出て風を入れるのさ。
佐々木与次郎
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三四郎は夏目漱石の長編小説である。「それから」「門」へと続く漱石の前期3部作の一つ。舞台は20世紀初頭の東京。上京した主人公が、これまでと全く異なる環境で様々な体験をする様子を描いているが、そこには当時の日本に対する漱石の鋭い批判も込められている。 九州の田舎で育った主人公は熊本の学校を卒業後、大学進学のために上京する。東京に向かう道中、京都から乗車してきた女性と知り合いになるのだが、この女性と名古屋で一晩過ごす際に、宿の手違いで女性と同じ布団で寝ることになってしまう。あれこれ考え、何とか同じ布団で寝なくても済む工夫をして夜を明かす。翌朝、駅で別れる時に女性は、「いろいろやっかいになりまして、・・・ではごきげんよう」と丁寧にお辞儀をしてきた。彼も別れの挨拶を返すと、女性は落ち着いた様子で「あなたはよっぽど度胸のないかたですね」と言ってにやりと笑った。主人公はこの出来事に面食らうのだが、これは彼がこれから体験する東京という新しい世界での出来事の予兆のようなものなのだった。
夏目漱石の中期の写実主義的な小説「三四郎」を久しぶりに再読し、「三四郎」だけでは何か消化不良の感が否めず、講演録の「私の個人主義」へと読み進めました。このレビューでは、「三四郎」についての読後感を述べてみます。この小説「三四郎」のテーマは、青年の自我意識の問題を取り上げて、漱石が言うところの"他本位"と"自己本位"への時代の繰り返しがあって、初めて世の中が進歩するという立場からの、一つの時代にとどまらず、長い時代を見通した上での文明批判を述べた小説だと思います。この漱石の思想が最も色濃く描かれている場面の、『すると広田先生がまた話し出した。-----「近ごろの青年はわれわれの時代の青年と違って自我の意識が強すぎていけない。われわれの書生をしているころには、する事なす事ひとつとして他を離れた事はなかった。すべてが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受け...この感想を読む
佐々木与次郎の人を食ったような人柄と、野々宮宗八さんの浮世離れした研究者然とした人柄がこの小説に面白みを加えています。里見美禰子の人を翻弄するファムファタール的な存在感も明治の小説にしては古臭さのない、新鮮さがあるような気がします。野々宮さんの妹が対照的なのも面白いです。漱石の小説は漱石の友達や、門下生が登場人物のモデルになっていることが多く、これもそれらしき人がたくさん出て来ているので、漱石の交友関係を知ってから読むと、また違った面白さがあっていいと思います。美禰子が三四郎を好きだったのかどうか、本当のところを読むたびに漱石に聞いてみたい気がします。
学生時代に読んだことがありましたが、改めて読んでみると内容を結構忘れていました。夏目漱石の作品を読破します。主人公の三四郎は、不器用な感じの田舎の青年です。「美禰子が好きなんだけど、気になるんだけど、向こうもこっちを好きみたいなんだけど、なんだかな〜」みたいな感じの内容で、結局結婚しないまま物語は終わります。それならそれで、漱石のほかの小説みたいに、当時の様子が細かく分かると良いのですが、それも少ないです。青春の甘酸っぱさ、異性に対するどうしようもないやるせなさ、仲間といる時でも孤独を感じたりする、多感な時期の細かい描写に引き込まれていく。
よみがな:ささきよじろう
佐々木与次郎
物足りない現状に思い悩む主人公を友人が外に連れ出す。
佐々木与次郎
マドンナ美禰子に想いを寄せる三四郎に対し、友人の与次郎が、あきらめるように諭したときの一言。