こころを読み直す
最近漱石の作品を読み直すことにしている。学生時代とは違う印象を受けてなかなか楽しいものだ。もう一度読んでみて気付いたことがある。この小説の主人公は「わたし」でもなく「先生」でもなく「K」でもない。題名の示す通り、人間のこころそのものなのである。作品の中で「わたし」も「先生」も苗字すらでてこないのは人間の持つ汚い心を中心に据えるためなのかと勝手に考えてしまった。つまらない事で心が揺れ動く様を作者は鋭い観察力でとらえている。「十一月の寒い雨の降る日の事でした。私は外套を濡らして例の通り蒟蒻閻魔を抜けて細い坂道を上って宅へ帰りました。Kの室は空虚うでしたけれども、火鉢には継ぎたての火が暖かそうに燃えてゐました。私も冷たい手を早く赤い炭の上に翳そうと思って、急いで自分の室の仕切を開けました。すると私の火鉢には冷たい灰が白く残ってゐる丈で、火種さへ尽きてゐるのです。私は急に不愉快になりました。」こ...この感想を読む
4.04.0
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