壮絶な項羽の最期
タイトルにふさわしく、項羽の壮絶ではあるけれども見事な最後で幕を下ろすこの作品。
あまりにドラマチックで作者の創作がかなりの部分を占めるのではないかと思ったがそうではない。
実は本書を手に取ったのが15の頃。高校の漢文の時間に「鴻門の会」を知ってから、その部分が含まれる書籍をあたってみたくなったのがきっかけだ。
関連する作品では本宮ひろ志『赤龍王』も読んだ。
司馬遼太郎作品と共通しているのはスタートとラストが同じであることだ。おそらく本宮氏は司馬作品を参考にしたのだと思う。(違っていたらすみません)
本書が作者の創作が少ないと知ったのは原典の『史記』に触れてからである。
描写、発言、すべてが『史記』の記述に則っていたので、改めて司馬氏(遷のほうじゃない)に畏敬の念を抱いた。
司馬氏のオリジナリティはその解釈の仕方にあると思う。
漢文体をなす『史記』では、日本語訳を施すにあたって注釈本を利用することが多い。これは文献を知る上で非常に有効なものではあるが、文学的ではない。どちらかと言えば文法的に訳されている。
司馬氏はこれをちゃんとした口語訳にしている。この点が読者をひきつけてやまない一因であると思っている。
私は『史記』を参考にしたと簡単に書いたが、『史記』は「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書である。この中から「項羽本紀」「高祖本紀」(おそらく「秦始皇本紀」「呂太后本紀」も読んでいるに違いない)各諸侯の列伝を読み込まないとこの小説は成立しない。
しかも「本紀」と「列伝」は重複している箇所があるので、主体となる人物によって違いを見出すのも少し厄介な仕事である。
この司馬遼太郎氏の厄介な仕事の成果を15歳で読んでしまった私は中国文学を専攻し、まんまと「項羽本紀」で卒論をかくこととなった。いやはや。- あなたも感想を書いてみませんか?
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