空海の風景の評価
空海の風景の感想
雑密を密教として体系化した、空海の天才的な人物像を描き、芸術院恩賜賞を受賞した「空海の風景」
雑密に強い関心を持っていた司馬遼太郎が、雑密を後世になって、密教として体系化した、空海の天才的な人物像を、数少ない事蹟の記録を踏まえ、想像を交錯させながら、自在に描き出し、一切の仏教の述語を使わない異色の作品が「空海の風景」だ。嬰児の時に虚弱児だった司馬遼太郎は、13歳で修験者が修した根本霊場である、大和の大峰山に十三詣りをした時、山頂の蔵王道の暗闇の中で、千数百年以来、燃え続ける「不滅の灯明」を見て、衝撃を受けたと、かつて語った事がある。その後、修験道の開祖で、雑密の徒の象徴的な存在である、役行者に惹かれた後、空海を関心を持つようになる。すなわち、雑密から密教への関心を深めていくのだ。役行者も若い頃の空海も、山林遊行の徒で、まじない、呪い、呪術などの雑密を集めており、後に空海は、雑密を密教として体系化する。そして空海は、役行者が開いたと言われる、平安仏教以前の山岳信仰と雑密信仰の習合に...この感想を読む
彼、空海は中国に修行に行ってたんですね。
彼の用なカリスマ坊主もあまりいないのではないでしょうか、特に彼は政治関係者、天皇などとの交友をえて中国派遣されますね。かなりまわりの人の期待だとか信頼が厚かったのでしょうね。中国では修行6ヶ月目にして悟りを開いている!その後、空海が言っている言葉はとても印象的でした。真言密教といえば彼ですがこの真言密教、浄土真宗とのちがいがはっきりしている点が日なり興味深いものです。都の当時どのような気持ちで空海が中国をたびしたのか、それをこの上巻で知ることができます。しかしその当時中国までいける大きい船なんかあったんですね。遣唐使の話もこの空海のことをいうのではないでしょうか。