司馬遼太郎が初めて中国の歴史を素材にして、歴史を旋回させる権力がもつ不思議さ、玄妙さを描いた 「項羽と劉邦」 - 項羽と劉邦の感想

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項羽と劉邦

4.674.67
文章力
4.33
ストーリー
4.50
キャラクター
4.83
設定
4.50
演出
4.50
感想数
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司馬遼太郎が初めて中国の歴史を素材にして、歴史を旋回させる権力がもつ不思議さ、玄妙さを描いた 「項羽と劉邦」

4.54.5
文章力
4.5
ストーリー
4.5
キャラクター
4.5
設定
4.5
演出
4.5

司馬遼太郎は、幕末や戦国という、いわば乱世に強い関心をもち、その時代の人間群像を独自の乱世史観によって描いてきたが、この「項羽と劉邦」は、作者が初めて中国の歴史を素材にして、紀元前二百年余の昔、沛のごろつき上がりの劉邦が、楚の勇将、項羽と天下をわけて争い、項羽を倒すに至るまでを描いた乱世物語なのです。

中国大陸を統一し、絶大な権力を手中にした秦の始皇帝が、天下巡幸の途上、急死するあたりから筆を起こし、人民の大量虐殺や官営大土木工事への人民使役による始皇帝の権力示威、あるいは権力をめぐる側近の宦官、趙高の奸策などについて述べており、権力にまつわる記述は興趣満点で、私を惹きつけてやみません。

司馬遼太郎ほど権力に対して、強い関心を示す作家はいないと思います。その広大な作品世界で、さまざまな観点から歴史を旋回させる権力がもつ不思議さ、玄妙さについて触れているのです。

始皇帝が病死した時、趙高はその死を秘して疑似皇帝になると同時に、違詔を偽作し、二世皇帝に胡亥を立てて、自己の意のままに操り、粛清を断行したので、社会不安が増大していった。また、大土木工事も民衆の不安を募らせたのだった。

やがて、陳勝と呉広の反乱が起きたのを契機に、乱世の時代へと突入する。各地に蜂起した反乱軍の中で、沛の劉邦と楚の項羽とが勢力を伸ばして天下をわけて争い、劉邦は連戦連敗しつつも、結局は、項羽を倒し、漢を興して高祖となるのです。

項羽は勇将だったが、人才に鈍感で、人を登用することをせず、政略的な人物ではなかったので、弱い劉邦の漢軍に敗れる結果を招いたのだった。劉邦は、項羽と正反対に武勇もなく、戦下手であったが、その茫洋とした器の大きさと、人を見る能力とが人を惹きつけ、多数の有能な人物に恵まれて天下を獲ることが出来たのだ。

それには、思慮深い優れた軍師の簫何、抜群の軍事能力を発揮する韓信、物事がよく見え、常に直諫する張良など、天下人としての劉邦を作り上げた異能な士の功績は大きいと思います。

そして、この時代より以後の魏、呉、蜀の三国鼎立の乱世は、吉川英治、陳舜臣、柴田錬三郎などの「三国志」の作品世界の中で描かれていますが、項羽と劉邦による漢楚の抗争の時代を素材にした小説は、ほとんど書かれていないと思います。

戦国末期の乱世であった、この時代には、英雄、豪傑、策士、論客、弁士、軍師など、個性的で魅力的な人物が雲のごとく湧き出て活躍した。中国の長い歴史の中で、これほど多士多才の人物を輩出した時代はないだろうと思います。商品経済の発達にともなって、多才で有能な人物たちは、おのれの知恵、能力、特技などの個性をいわば商品化する意識を強めたのだ。

彼らは諸国を漂泊し、各自の思想、知恵、特技などを国々の実力者に売りつけ、その門にわらじをぬぎ、食客になった。彼らの中には、利害を超越して自己の個性を表現したいという志を抱く、異能な士もいた。張良や韓信は、そういった士の典型的な人物であったのだ。

劉邦を包容力豊かで、懐の広い人物としてとらえた司馬遼太郎は、彼の実体が、常に空気を大きな袋で包んだように虚であったと考えて、"空虚な"劉邦が、その人徳に魅かれて集まった、多彩で、異能な士の個性を駆使させることによって、ライバルの項羽を打倒することが出来たのだと解釈しているのだ。

したがって、張良や韓信などの士は、劉邦という空虚な人物を素材として、自己の志を自在に表現したことになる。この作品には、能力本位の下克上の気風が支配的な乱世では、人間のもつ個性や可能性がフルに発揚されるという、作者の乱世史観や、"小説は士の志を表現するものだ"という小説観が、鮮明に表われていると思います。

司馬遼太郎は、少年の頃から中国に関心を抱き、司馬遷の「史記」の世界に魅かれたと言われています。「史記」の列伝による歴史叙述は、人間探求としての人間描写が実に鮮やかだ。そして、この「項羽と劉邦」には、「史記」の列伝から司馬遼太郎が学んだ人間描写の手法が、生かされているとともに、漢楚の二大英雄とその周辺にみられる多彩で、個性的な人間現象の描写に力点が置かれ、人物の相互関係も巧妙に映し出されていると思います。

司馬遼太郎の人物論評や、人間関係の在り方などは、そのまま現代社会にあてはまる場合が少なくないと思います。それは、司馬遼太郎の歴史文学の現代性を示していると思います。

1975年、中国の洛陽で含嘉倉と呼ばれる古代中国の地下の食糧庫を見学した司馬遼太郎は、劉邦が連敗しながらも、秦帝国の食糧庫を離れずに戦ったことも、劉邦をして天下の覇業を成さしめたのだという着想を得たと言われています。中国では飢饉で流民化した人々に食糧を与えるのが、治国の要諦とされてきたので、英雄は流民に食を保障することによって成立したとも言えると思います。

この「項羽と劉邦」には、食糧意識の強い劉邦が流民軍に食を与えるという、将としての最大の義務を怠らず、天下を制覇していく経緯も描かれていて、実に興趣深いものがあると思います。

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壮絶な項羽の最期

タイトルにふさわしく、項羽の壮絶ではあるけれども見事な最後で幕を下ろすこの作品。あまりにドラマチックで作者の創作がかなりの部分を占めるのではないかと思ったがそうではない。実は本書を手に取ったのが15の頃。高校の漢文の時間に「鴻門の会」を知ってから、その部分が含まれる書籍をあたってみたくなったのがきっかけだ。関連する作品では本宮ひろ志『赤龍王』も読んだ。司馬遼太郎作品と共通しているのはスタートとラストが同じであることだ。おそらく本宮氏は司馬作品を参考にしたのだと思う。(違っていたらすみません)本書が作者の創作が少ないと知ったのは原典の『史記』に触れてからである。描写、発言、すべてが『史記』の記述に則っていたので、改めて司馬氏(遷のほうじゃない)に畏敬の念を抱いた。司馬氏のオリジナリティはその解釈の仕方にあると思う。漢文体をなす『史記』では、日本語訳を施すにあたって注釈本を利用することが多...この感想を読む

5.05.0
  • にゃうちゃんにゃうちゃん
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