吉田修一らしい恋愛小説
地味な女性のリアルな恋愛
この本を読んで一番に感じたのは、吉田修一は女性を描くのがうまいということだ。彼の作品で女性が主人公で尚且つその女性の一人称で語られる話は珍しくない。この小説も女性が主人公で、彼女の恋愛事情がメインに描かれている作品となっている。
個人的には恋愛小説はあまり好きではない。どうしても話がそこにいきついてしまうのも安い感じがしてしまうし、それは自分自身が恋をしているときでさえそう感じていた。だけども吉田修一の恋愛小説はなぜか読んでしまう。恋愛小説と言うのは少し趣きが違うかもしれないが「愛に乱暴」も、主人公の女性の愛と苦悩が緻密な描写で描かれ、ストーリーから目が離せなかった。今回の「7月24日通り」はそこまで激しい愛憎ではないけれど、全体的に淡々としている一味違った恋愛小説である。
ただ、主人公が好きかどうかはこれまた別の話で、私はあまりこの主人公の女性は好きではない。その分感情移入こそしなかったものの、物語としては最後まで一気に読める構成となっている。
平凡な女性だからこその感情表現の下手さ
生まれ育った街が好きになれず、地形がどこか似たように感じられたポルトガルのリスボンに重ねて、土地や道路の名前をリスボン風に言い換えて少し楽しみを見出している地味な女性が主人公だ。自分の地味な人生の華として見ているのが4つ年の離れた弟である。格好良くて見栄えのする弟を彼女はいつも愛しながらも、どこかアクセサリーのような扱いをしていたのかもしれない。
ところでこの弟との関係の描写で違和感を感じるところがあった。主人公の小百合と弟の耕治は年齢が4つ離れている設定だ。だからケンカにもならずただ可愛がるだけだったらしいのだけど、4つぐらいの年の差だとまだまだケンカも言い合いもすると思う。こういう設定をするなら8か10くらい離れていないと無理があるのではないかと思った。それくらい年が違えば、自分の華のない人生の代わりに弟をもってこようとする気持ちにも深刻味があるような気がした。
ともあれ、溺愛している弟に自分の思惑とは違う恋人ができ、それとは反対に、自分自身の恋愛には振って沸いたような幸運が訪れ、その感情は振り子のように揺れているはずだ。その上父親にも新たな恋人ができて、彼女の感情はいつも大きく高ぶっている状態だと思う。にもかかわらず彼女はいつも冷静だ。というより感情が表にでていないというか、少し鈍いというのか、いつもぼんやりしている印象に感じる。友達とも同僚とも交わす会話はきちんとしているのだけど、彼女の本心がいつも見えない。そこにいつも彼女がどう感じているのかわからないという違和感は常にあった。
表現のブレが感じさせるリアリティ
弟に自分が認められない恋人ができ、あまつさえ妊娠までしてしまったことを知った時は、「もったいない」という言葉を漏らす小百合だけれど、弟に責められていくうちに自身の意見を何となくごまかしていく。挙句最後にうまく相手目線で綺麗にまとめたものの、実際の彼女の気持ちは見えてこない。もしかしたら見てしまうとかなり落ち込んでしまうくらい黒いものを小百合は抱えているのかもしれない。だからこそ綺麗にラッピングした言葉を自分の気持ちと勘違いして生きてきた女性のように思えた。唯一の真実は、ポルトガルの街と今自分が生きている街を重ねて想像して遊んでいると話すことのできた警備員との彼との会話だ。あの男の人との会話が一番小百合らしく、自分が無理せず息をしているような気がした。皮肉にもそれは小百合がめぐみに伝えた言葉そのままだ。それは小百合自身がわかっていることだけど認めたくないことなのだろう。
また聡史への気持ちも、話が進むにつれ“好きだったんだ”とわかるくらい、好きという気持ちが伝わってこない。ただ亜紀子が離婚して独身に戻ることを知ったときの焦燥感はよく伝わってきた。聡史を奪われることの危惧と同時に奪われるだろうという確信は、根拠が勘というだけだからこそのリアリティがあり、ここは小百合の気持ちがよく理解できた。
ただ感情の表現がブレすぎて、最後めぐみに伝えた「私も間違ったことをしてみるよ」と言う言葉でさえ真実なのかどうかわからないくらい、小百合の本質は最後までわからなかった。だけど、だからこそのリアリティを感じたというのもある。
安藤夫妻の謎
小百合の先輩である安藤の奥さんが小百合と高校の先輩というだけでやたら夕食の席に誘い、そしてさほど盛り上がるわけでなく安藤自身はさっさとリビングに陣取ってテレビを見たりするという状況もよくわからない。高校の先輩である亜希子も当時から交流が深かったわけでもないのに誘ってきては取り留めのない話を繰り返す。一番分からないのはそのような場に何度も足を運ぶ小百合の気持ちだ。うまく世の中は渡っているつもりかもしれないが、このような生産性のない場に集うだけで精神が消耗するのは想像に難くない。そのような描写は一切ないのだけれど、だからこそ小百合が何を考えているのかここでさえ掴めないのだ。安藤に対する憐れみなのか、亜希子を軽視しているのかよくわからないけれど、どこかしらそこには暗いものを感じる。
物語が始まった当初は安藤が小百合に好感を抱いているような印象があったのだけれど、招待しておいてさほど接待もせずというこの態度からはそれは感じられず、少し気持ちの悪い食事会であることは間違いがない。
小百合の理屈ではない気持ち
小百合は、聡史への気持ちは愛情というよりも昔から好きだったことのほうが大事に感じられる。この気持ちはわからなくもない。長い間夢だと思っていたような相手が思いがけなく自分のことを向いたことで、信じられない気持ちもわかる。反面亜希子が離婚したことによって近い将来必ず聡史は亜希子に奪われることも確信している。幸せにはなれない恋愛なのにもかかわらず、ピシャリとピリオドを打つことのできない彼女の気持ちはとてもリアルで、物語の中でもっとも好きなところだ。
聡史と一緒にいてもきっと心からくつろげないし、きっと自分をさらけだすことはできない。幸せと同程度の苦しみがずっと付きまとうのにあきらめられないのは、理屈でないのだろうと思う。
同じような展開では、マンガ「きみはペット」を思い出す。主人公のスミレはずっと好きだった蓮實くんと付き合いながらも、自分をさらけだせない辛さを常に感じている。かたやペットのモモとは自然のままでいられる。でもスミレは蓮實くんの恋愛に無理があるのを感じながらも、気持ちを消せないと泣く場面があった。今回の小百合の気持ちもこれに似ている。ただ蓮實くんはスミレにきちんと向き合っており、いい人であることは間違いがない。かたや聡史のほうは、行動にどうも誠実さが感じられない浮ついたようなイメージがある。だから自分をさらけだせないといった、いわゆる“良い”理由でなく、単純になぜこんな男がそこまで好きなのだろうかという疑問があったことは否めない。普通に考えても警備員の彼と一緒にいる小百合のほうが楽しそうなのに、迷いながらも聡史に行ってしまったところは聡史に魅力を感じない分、どこか残念な気持ちになってしまった。
現実的な恋愛描写が魅力の作品ではないか
読み終わって感じたことは、小百合はどこまでも平凡で考え方も古風で保守的で、さほど特筆するべきところもない。その彼女が主人公で彼女の恋愛をメインに描かれていくこの展開は、どこまでもリアルで、彼女の考えに同感できないところもありながらも、現実には皆こんな恋愛をしているのではないのかなという気持ちにさせられた。
ただ登場人物たちがあまり魅力を感じないのは少し残念なところだ。唯一好感が持てたのは、警備員の彼だと思う。どこかしら飄々とした彼の描写は、清潔で洗ったコットンのシャツのようなイメージだった。
“間違った”ことと分かった上で聡史の元に走った小百合は、読み手的には「なんでそっち行くかなあ」という憤りさえ感じさせたけれど、結果彼女は後悔しないで生きることができるのではないだろうか。なかなかいいラストだったと思う。
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