ああ、たしかに美しい緑の谷だ - わが谷は緑なりきの感想

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ああ、たしかに美しい緑の谷だ

4.04.0
映像
5.0
脚本
3.5
キャスト
4.0
音楽
3.5
演出
3.5

目次

過去の記憶は美しい

この映画は、過去の物語だ。もちろん太平洋戦争すら始まる前の映画という意味もある。巨匠ジョンフォードの傑作という意味もある。だが、冒頭の老人の手を見て欲しい。これが、物語の語り手の現在なのだ。彼は、この物語が全て過去のもので、美しかった全ては「今」はないことを語る。そうだ、この映画が公開された1941年から見ても過去の物語なのだ。過去は、そうあってほしかったという語り手の願いによって彩られる。これは、そういう話だ。

本当に、谷は美しく緑なのだ

老人の記憶のなかの炭坑の街は、すばらしく緑だ。モノクロ映画であるにもかかわらず。モノクロ映画で色を見せるには工夫がいるはず。(有名どころでは黒沢映画の椿三十朗で赤い椿を見せるのにすべて墨で塗ってしまった、というのがある)いやはや、ジョンフォードはどうやってこの鮮やかな谷を撮影したのか。そして美しい姉が彼を呼ぶ声が響く。やがて、彼が誇るたくましい父親や頼りになる兄達が炭坑からあがってくる。炭で真っ黒になりながらも、誇らしげに白い歯を見せて笑いつつ、だ。家族の絆も信頼も、確かにそこにあった。(余談になるけれども、この映画のこの炭坑が、宮崎駿の天空の城ラピュタのモデルになった)

歳月は、すべてを押し流す

もちろん、美しいだけじゃあ終わらない。姉と牧師の恋愛。主人公の彼、ヒューの進学といじめ。不況による労働争議。たわいないと言えば、本当にたわいない、どこの国でも、どんな時代でもあることばかりだが、小さな大家族を翻弄するには十分だ。やがて牧師は姉の未来を案じて身をひき、姉は炭坑主の息子へと嫁ぐ。(その結婚も、あまり幸福なものには見えない)長男はなくなり、他の兄達も解雇され、新天地へとさっていく。完璧だった世界は少しずつ色あせ、つらく厳しい現実へと置き換わっていく。人の心も景気の悪化とともにすさんでいく。

それでも、わが谷は美しい

最後は、一家を支える象徴だった父親の炭坑での死。みなでの、救出劇のなかでつかのまよみがえる連帯。そして、騒ぎにまぎれるように一度だけ手を取り合い見つめ合う姉と牧師。多分、二人が会うのも最後だろう。美しいものはみんな過去へとしまわれてしまったのだ。でも、とヒューは言う。父親のような男は滅びないのだと。そして、画面にはかつて彼が見上げていた父と母と姉と兄達が誇らしげにならぶ姿が映るのだ。美しい過去として。すべては、みんな思い出の中だ。(現実のヒューは、これから全てを捨てて兄たちの居る新大陸へといくのだが)

そう言えば

この人は怒りの葡萄でも労働争議出してたなあ。きっとこの時のハリウッドにはそういう空気が蔓延していたんだろう。

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