杜子春のあらすじ・作品解説
「杜子春」は芥川龍之介が書いた短編小説で、1920年雑誌「赤い鳥」に掲載。 唐の都、長安で、杜という若者がいた。彼は裕福な家に生まれながらも、贅を尽くして今は乞食同然であった。そこに現れた鉄冠子という老人に2回も大金を与えられたものの、またしても散財してしまう。3回目に彼は鉄幹子に、仙人になりたい旨を伝え蛾眉山に連れて行かれる。仙人になるにはどんなことがあっても、声を出してはならないという鉄幹子の言いつけを守るべく、厳しい試練に耐える。これに怒った閻魔大王は、馬になった彼の両親を連れてきて、鬼たちにメッタ打ちにさせる。初めはじっと耐えていたが、どんな身分になっても変わらぬ愛を与え続けてくれる母の深い気持ちに触れ、涙を流して「お母さん」と叫んでしまう。また元に戻ってしまった彼のところに、鉄幹子が来て「あの時、声を出さなかったら、お前を殺してしまうところだった」と言い、泰山のふもとにある一軒家と畑を与えて立ち去って行った。
杜子春の評価
杜子春の感想
原典と比べて
『杜子春』について芥川龍之介の『杜子春』は完全オリジナルではなく、モデルとなった作品があります。原典は、中国の『続玄怪録』に収録されている「杜子春」という話です。貧乏になった男が老人と出会い、はじめは金銭をもらっていたが、後半は老人のもとで仙人の修行をして失敗におわるという物語の大まかな流れは同じです。しかし、芥川龍之介は自分流に書き直しています。そのため、芥川の『杜子春』と原典とを比べると多くの相違点がみられます。例えば、登場人物の人間像や試練の失敗理由です。この2つは原典と大きく違っています。芥川龍之介がなぜ大きく変更したのか考察してみたいと思います。登場人物の人間像原典では、老人が杜子春に金銭を直接手渡しで渡します。また、杜子春にこのお金で生活を立て直して欲しいと望んでいます。しかし、芥川の『杜子春』では金銭の直接な受け渡しはなく、黄金が埋まっている場所を教えるだけです。また、黄...この感想を読む
童話にひそむ人間の真理
これは世代を問わず幅広く読まれている名作です。元ネタとして中国の古典を下敷きにはしているものの、芥川なりにテーマをとらえてそれを上手く溶かし込んで成功した翻案作品に仕上がっています。仙人に宝のありかを教えてもらい、その度に金持ちになって世の中の繁栄を味わうのですが、金を失って没落するや離れていく人々。それで人間のあり方に嫌気がさして仙人になれるように教えを請うのですが、そのために試練を課されます。杜子春は試練に耐え抜くためにどんな辛いことが起きようと耐え抜きますが、ついに親が関係したことが起きると、親子の情愛から耐え切れず声をあげてしまい戒めを破ってしまいます。実はそれは仙人が望んでいたことで、最後に家と畑を与えれて余生を過ごすという選択を与えられます。富貴や人生のあり方に関して童話ながら鋭い示唆を与えており、考えさせられる名作です。
濃いです
だいぶむかしに、自分の中にノスタルジーブームが起こり本好きなこともあって買った一冊でした。歴史の教科書でみた憧れの芥川龍之介の本を手にしてはりきって呼んだ記憶があります。最近、再び手に取り短くあっというまに読み返してしまいました。時代が変わっても親と子の愛は変わらず、幸福とは自分の力で手にするもの。人間らしさを忘れず、生きていくことの大切さが伝わる一冊ですね。今の時代にも大切なことを教えてくれています。ラストの仙人の言葉にはやさしさを感じました。こどもたちにぜひ読んでもらいたい本です。こうゆう本を読むと自然と大事な何かを身につけていくはず・・