原典と比べて - 杜子春の感想

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杜子春

4.384.38
文章力
4.50
ストーリー
4.25
キャラクター
4.25
設定
4.38
演出
4.38
感想数
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原典と比べて

4.54.5
文章力
4.5
ストーリー
4.5
キャラクター
4.5
設定
4.5
演出
4.5

目次

『杜子春』について

芥川龍之介の『杜子春』は完全オリジナルではなく、モデルとなった作品があります。原典は、中国の『続玄怪録』に収録されている「杜子春」という話です。

貧乏になった男が老人と出会い、はじめは金銭をもらっていたが、後半は老人のもとで仙人の修行をして失敗におわるという物語の大まかな流れは同じです。しかし、芥川龍之介は自分流に書き直しています。そのため、芥川の『杜子春』と原典とを比べると多くの相違点がみられます。

例えば、登場人物の人間像や試練の失敗理由です。この2つは原典と大きく違っています。芥川龍之介がなぜ大きく変更したのか考察してみたいと思います。

登場人物の人間像

原典では、老人が杜子春に金銭を直接手渡しで渡します。また、杜子春にこのお金で生活を立て直して欲しいと望んでいます。

しかし、芥川の『杜子春』では金銭の直接な受け渡しはなく、黄金が埋まっている場所を教えるだけです。また、黄金が埋まっている場所を教えるとすぐに姿が消えてしまいます。

このことから、原典では人間らしく描かれている老人を芥川は神秘的なものに書き換えていることがわかります。

また、主人公である杜子春の人間像も原典と大きく違います。

原典の杜子春は老人から金銭を貰うことにより、自分自身に問題があると悟り反省します。そして、老人に恩返しがしたいという理由で仙人修行を行います。修行に失敗した後は、自分のことを恥じて生きていきます。

しかし、芥川の作品では金銭の受け取りで杜子春が反省する様子はありません。また、修行をしたい理由も周りの人に絶望したからという自分勝手なものです。そして、一番違う点は修行の後です。原典では、修行に失敗したことを恥じますが、この作品では失敗した方が良いとされています。

原典では仙人になることが目的であると考えます。しかし、自分の行動を改めて厳しい修行をしても仙人になれません。このことから、仙人になることの難しさが描かれていることがわかります。

一方、芥川の作品では仙人になることが目的ではなく、杜子春に自分の内面を考えさせるのが一番の目的であると考えます。老人が金銭が埋まっている場所わ教えるだけなのは、金銭のような物質的なものでは立ち直れないと考えていたからだと思います。仙人の修行も失敗することを望んでいたことから、仙人修行は杜子春に考えさせるための口実だったことがわかります。

杜子春を救う人物が人間離れしているという点もおもしろいと思いました。人間は金銭などの物質的幸福を求めがちで、欲深いものです。そのため、人間ではなく神秘的なものが描かれているのだと考えました。

これらのことを強調させるために、芥川は人物像を書き換えたのだと思いました。

失敗の理由

杜子春が声をあげてはならないと言われた修行を失敗してしまう理由も大きく違います。原典では、母親に生まれかわった杜子春が我が子を殺されたときに「あっ」と声をあげていまいます。対して、芥川の作品では馬に姿をかえた父母が殺されるときに「お母さん」と声をあげてしまいます。

原典は、儒教が関係しているのだと考えます。儒教は家庭を中心とした人間関係が基本です。その中でも子どもは特別で、夫婦間に愛がなくなり破綻したとしても子どものために家庭だけは保とうという考えです。杜子春もこの考えを大切にしたため、声をあげてしまったのだと考えました。

対して、芥川の作品では親が殺されたときに声をあげます。また、「お母さん」と言ってしまったことから特に母親への想いが強いことがわかります。

母親は杜子春のせいで鞭打ちにされたことを怨む気配すら見せませんでした。このことから、母親の無償の愛が描かれているのだと思います。また、このことがきっかけで杜子春は心が動きます。そのため、母親の無償の愛で子どもが成長していく姿が強調されているのだと考えます。

この作品が書かれたのは、芥川の長男が生まれてすぐです。子どもの誕生によって親の心や恩に気づいたのかも知れません。

母親の愛が強調されている点は、芥川の幼少期に関係があると思います。芥川には3人の母親がいました。生みの母のフクと育ての母2人です。生みの母は芥川が幼いころに発狂し、早死にしています。このことは芥川のコンプレックスになっています。また、2人の育ての母の大きな愛を一人で受けていました。これらの複雑な事情が関係し、母親に対して強い想いがあるのだと思いました。

母親の無償の愛をみたことにより杜子春が考えを改めることから、母親の偉大さを感じました。また、自立するためには親の愛が必要なのだということも感じました。これらのことを芥川も感じ、望んでいたのかも知れません。

杜子春が「お母さん」というのは、芥川が実の母をそう呼べなかったためだと考えることもできます。現実で叶わなかったことを物語の中で実現させたのかも知れません。

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