長い人生を生きていくのと同じように、時々立ち止まったり休んだりしながらも、進み続ける旅を描いた作品
北高の名物となっているのは、毎年秋に行われる鍛錬歩行祭。これは夜中に数時間の仮眠を挟んで、朝の8時から翌朝の8時まで、ひたすら80kmという距離を歩き通すという行事。前半はクラス毎の団体歩行、後半は仲の良い者同士で歩くことができる自由歩行となっており、膝を痛めていた西脇融は、当日の朝になっても、自由歩行で3年間一緒に過ごしたテニス部の仲間と一緒に歩くか、3年になって親友となった戸田忍と走るか決めかねていました。
そんな時、融の目に入ったのは、甲田貴子と遊佐美和子の姿。融は刺すような鋭い視線を甲田貴子に送ります。実はクラスメートや教師は知らないものの、融と貴子は異母きょうだい。中学の時、共通する父親の葬儀で初めて出会った2人は、偶然同じ高校に入学し、3年生になって同じクラスとなった今でも、一度も口を訊いたことがなかったのです。そしてこの3回目の歩行祭で、貴子は1つの小さな賭けをしていました。
恩田陸の作品には以前から学園物が多いのですが、いつになく爽やかな作品で驚きました。「六番目の小夜子」や「三月は深き紅の淵を」、「蛇行する川のほとり」にあるような沈み込むような影は、この作品には感じられません。それもそのはず、登場人物たちは朝から晩までひたすら歩いているだけなのです。特に何か大きな出来事が起こるわけでもなく、ひたすら歩いているだけ。それなのにその情景が全く単調にならず、それどころか登場人物たちの会話を通して垣間見えてくる人間関係の揺れだけで、ここまで惹きつけてしまうというのは凄いですね。
高校生活3年目になってようやくその良さが実感できてきた行事。参加当日の朝の高揚感と緊張感。ひたすら歩き続けるという非日常的な状態。夜という一種独特な雰囲気になりやすい状況に加え、疲れとは裏腹に徐々にランナーズ・ハイのような状態になっていく彼らの、いつもよりも一歩踏み込んだ思考と会話。歩き疲れて頭が働かなくなり、どんな作為的な表情も作れなくなったところに、唐突にぶつけられる言葉。
そこでのやり取りは、読んでいるこちらまでドキドキしてしまうほど。本当にただ歩いているだけなのに、なぜこれほど特別なのでしょうね。高校3年生というこの時期にしか出来ないこと、この時期だからこそ見えてくるもの。貴子や融、他の登場人物たちがそれぞれに見ている情景が、まるで自分自身の高校時代をそのまま思い起こさせてくれるようでとても懐かしかったですし、高校3年生というこの時期に、こういう行事に参加できる彼らがしみじみと羨ましくなってしまいます。
「黒と茶の幻想」や「クレオパトラの夢」、「まひるの月を追いかけて」などで「旅」を描いてきた恩田陸ですが、この歩行祭という行事もまた、1つの「旅」でもあるのでしょうね。長い人生を生きていくのと同じように、時々立ち止まったり休んだりしながらも、進み続ける旅。
もちろんこの歩行祭によって全てがに丸く収まったわけではなく、むしろ問題が顕在化した分、乗り越えなくてはならないことが増えているのですが、それでもきっと乗り越えられるという、明るい強さが根底に感じられるのがとても良かったと思います。
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