文学、社会問題、旅情、三角関係、切なさ、友情、家庭の温かさ、すべてがつまっている - 津軽殺人事件の感想

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津軽殺人事件

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文学、社会問題、旅情、三角関係、切なさ、友情、家庭の温かさ、すべてがつまっている

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目次

文学好きや絵画好きを引き込む魅力的なキーアイテム

太宰治氏のファンというのは、彼の作品が発表されて以降、時代が変わってもどの世代にも一定数いるようであり、かなり根強い人気がある作家だと言ってもいい。

そんな太宰治氏は津軽の出身である。津軽殺人事件とうミステリーだから、当然津軽がらみの殺人事件が起きるわけだが、太宰が自ら描いた肖像画を東京に買い付けに来た、古書店の店主が殺され、しかも店主が残した手帳には、太宰の詩の一節が、という文学好きや絵画好きの興味をくすぐる事件となっている。(こういう言い方は、架空の事件とは言え、殺人事件に対し不謹慎かもしれないが)

肖像画の存在については内田氏によるフィクションのようだが、太宰治氏が好きな人ほど、絵が存在するのでは?と思ってしまうのではないだろうか。

実は、太宰氏は、学生時代頻繁にいたずら書きをする人だったようで、落書きの多くが今でも残されている。しかも、男性の顔の絵が多い。そんな経緯から、自分の顔の一枚や二枚、書いていてもおかしくない、そんな空想に放り込まれる。古書店主の石井も、そんな気持ちから、郷土の偉人の財産を東京から津軽に置いておきたい気持ちもあったのだろう。事件自体は太宰や絵の存在を超えたところに動機があったわけだが、導入としては非常に現実と虚構の曖昧さが憎い演出である。

人生の転機、そして切ない三角関係と友情

この作品は、数ある内田作品でも、ミステリーの本筋と並行して登場人物の心の機微がかなり詳細に書かれている作品だと思う。

ヒロイン石井靖子と、浅見光彦の友人でもあり靖子の司法試験浪人仲間の村上の葛藤が、序盤から前面に出ている。この二人が司法浪人だという事実や、いつまで浪人を続けるか、試験を諦め別の道に行くかどうかは、はっきり言って事件と直接関係はないのだが、色んな意味で人生の方向性を決めるタイムリミットについて苦悩する姿は、非常に共感が持てる。

靖子は結果的に、父親の死で地元に帰って古書店を営むことになってしまったので、司法の道は諦めてしまう形になったが、村上は自分自身の進路の問題もあるし、ちゃんと法律関係の仕事をして、靖子と結婚したいという気持ちもあったろう。

靖子は家庭的で明るく、村上も正義感に溢れ、非常に好感が持てる人物だ。浅見は最初こそ村上の親友として、靖子の力になるつもりだったろうが、靖子の作った手料理の温かさ、彼女のお味噌汁を所望するセリフをうっかり言ってしまうあたり(どう考えても、靖子に浅見が好意を持っていると誤解されてもしょうがないような言い方)浅見にとって、村上の存在がもしなかったら、靖子は有力な結婚相手の候補者だったのではないだろうか。

少なくともこの作品で紹介されている中では、靖子は村上より浅見に関心があるようである。

浅見も、靖子も、村上も、それぞれが誠実な人間であるため、三角関係や友情が非常に切ない。浅見が身を引くことが思いやりなのか、どうしたらよかったのか、本当の愛情とは、思いやりとは何だろう?ミステリーの本編以外にも、こういった描写が非常に胸に迫る作品である。

旅情もあり、社会派でもある世界観の奥行き

この作品では、あまり津軽地方に詳しくない人でも、葬式の特殊な習慣や太宰ゆかりの地などの知識も得られるし、またミステリーの性質としては、最初のダイイングメッセージこそ文学的だがその実社会派の類に属するものなので、一方方向からではない、多面的な視点で津軽地方を感じることができる。

事件そのものの本質が非常に根深い所にあるので、最初の太宰の肖像画や、石井靖子の父である秀司の殺害現場に太宰そっくりの妙な人が現れたことなど気づくと忘れてしまうほどであるが、あのきっかけがここまで根深いのかと思わせるほど、背後に大きなものがうごめいているのには驚嘆する。

太宰治氏の存在自体は、事件に直接的は関係がないので、やや太宰がらみの展開を期待すると期待通りの展開ではないのだが、それでも読者の想像の斜め上を行く展開は、その全貌を暴きたいという読者の欲望を引きつけてやまない。

同時に、この作品ではかなり地元の描写が詳細なため、まるで読者がその地に立ったかのような錯覚に陥るほど臨場感を感じる。

旅、社会問題、恋愛、将来、友情、文学、ミステリーと、上下巻構成でもないのにここまで盛りだくさんな内容をうまくまとめてある小説も珍しいのではないか。

冷静な内田氏の分析

浅見は「記憶の中の殺人」という作品の中で、軽井沢のセンセが全国を殺人事件の舞台にしていることを、「センセの傍若無人な失礼は、全国に累を及ぼしている」とばっさり言い放っている。最もこれは内田氏の自虐とも言えるが、津軽地方もその例外ではない。

さらにこの作品の特徴として、青森県民というか、とりわけ津軽人の傾向について、ひたすら賞賛するというのではなく、極めて冷静に分析をしている。言いにつけ悪いにつけこういう傾向がある、という太宰治氏の人間性をヒントとした分析は、文学的にも非常に興味深い考察ではないかと思う。

最もすべての津軽人に当てはまるわけではないだろうし、生まれた世代に寄っての差はあると思われる。しかし、内田氏の舞台となった地域へのリスペクトはあっても、100%媚びずに冷静な視点を向ける姿勢には、こういう姿勢がないと社会派ミステリーは書けない、とも思ってしまうのだ。

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