荻原浩らしさてんこもりのハートウォーミングストーリー - 誘拐ラプソディーの感想

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誘拐ラプソディー

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演出
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荻原浩らしさてんこもりのハートウォーミングストーリー

4.04.0
文章力
4.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.0
設定
4.0
演出
4.0

目次

借金を背負って誘拐を企てたものの

この作品は、借金を背負ってにっちもさっちも行かなくなってしまった男、秀吉が自殺を試みようとする場面から始まる。首吊りにしようと枝を選ぶも、枝が折れるかもしれないと言い訳をして止め、飛び降りにしようと思うも、足が痛くなってこれ以上飛べないと止め、いろいろしているところはまるでコントのようなテンポのよさで、笑ってしまうところだ。
結局自殺する勇気もなく、どうするか途方にくれているところ、自分の車で子供が寝ている。そこでこの男の子を誘拐することを秀吉は思いつくのだ。この短絡思考のところもなんとも秀吉らしい。刑務所にいるときに知り合った男が絶対捕まらない誘拐の仕方を聞いていた秀吉は、この子供が神様からのプレゼントのように思う。でも実はこの男の子、ヤクザの息子だったという展開は、いかにも荻原浩らしいユーモアとセンスにあふれていて、ページを繰る手が止まらなかった。

ヤクザの冷静さと秀吉の勘違いの温度差の面白さ

男の子、伝助を誘拐した秀吉は、伝助が持っていた携帯から伝助の家に電話する。「お宅の子供を誘拐した」と伝えるために。秀吉は知らないけど、相手はヤクザの親分の家だ。電話に出た母親はそのせいか自分の子供が誘拐されたと言われても、よくわかっていない様子でのんびりしている。必死な秀吉と対照的で面白いところだ。ここだけではないが、全体的にテンポがよく、映像を見ているようだった。
誘拐したと伝えたものの、誘拐された本人の伝助に怯えはまるでなく、そもそも家出したきたから帰りたくないと言う。そしてまるで危機感のない二人の逃避行が始まった。
また伝助の父親の冷酷さが始め描写される。伝助に生傷が耐えても騒がない、妻は自分の命令には絶対。そのような冷徹さを感じさせる描写がしばらく続いた後、秀吉からの電話に慌てふためき出る様は真逆すぎて、皆が演技だと疑わなかった。始めは私もそう思ったのだけど、この動揺は本物だと分かるまでに時間はかからなかった。
この演出が、ストーリーのためのストーリーとか、ただ読み手を笑わせようとしているだけでないのがわかるのは、回りの極道たちの反応だ。
親分を不憫に思ったり、逆にこんな行動を取らせる犯人を強く憎んだりという、過剰な彼らの喜怒哀楽が、物語をリアルにしているように思う。
きっと極道の息子がさらわれたらこうなるのだろうなという気さえしてしまうのだ。
そしてその父親の慌てふためき様にやりすぎ感がない。あまりやりすぎてしまうとコメディチックになりすぎて、読むのがつらくなってしまう。でもこの場面はそういうこともなく、冷徹な父親にも温かい血が通っているんだと思わせてくれる要素になっている。
ちょっと違うかもしれないけど、こういう場面を見ると、ヤクザの親分としての格や懐も深く感じることができるように思う。ただただ冷徹な表現ばかり続くよりも、こちらのほうに人間味を感じるからかもしれない。

意外にも心を通わせ始める二人

誘拐犯と誘拐された子供の二人は、恐れも危機感もなく(秀吉は作戦を成功させようと必死だが)、なんとなく交流を深めていく。伝助の子供ならではの柔らかさや温かさに、秀吉はささくれだった心が慰められているのに気づく。少しベタな設定だが、ベタでいいんだという良さを感じられた。
こういう二人が交流を交わしていく映画に「パーフェクト・ワールド」がある。個人的にはケビン・コスナーの映画にあれ以上はないと思えるほどの作品だ。誘拐犯であるケビン・コスナーはもちろん、誘拐された子供自身も問題を抱えていた。宗教上の理由で、ハロウィンもなにもしたことがないという彼のために、ケビン・コスナー演じるブッチは、衣装を着せてやる。不器用にパンツ1枚で、それでもうれしそうに衣装を着る男の子フィリップの表情は今思い出しても胸が締め付けられる。
この作品はあれほどのシリアスさもメッセージ性もないけれど、それでも十分心温まるし、ちょっと涙腺が緩んでしまうところがある。
それも荻原浩の表現力の高さゆえだろう。

ヤクザ同士の思惑に巻き込まれていく二人

のんきな逃避行を続けると思いきや、篠宮たちと対立する中国人マフィアに拉致されたりと、思いがけないシリアスな展開を見せる。しかし短絡的に暴力に走らず、秀吉が中国人マフィアの死んだ子供に似ていたことで、彼の情が秀吉を助けた。思っても見なかった幸運に助けられたことを、秀吉自身も気づいていないのがドラマティックだった。
よく不良が子犬をかわいがっているのを見て本当はいい人だと思うとか、普段悪さばっかりしている人間がちょっといいことをしたら、実はいい人なのかもと思うような風潮があるが、このマフィアもまさにそれだ。
だけど悪さばっかりしているからこそ、その小さな善行や優しさが輝くのも事実だと思う。そして本人もその輝きが少ないとわかっているからこそ、人よりもそれを大切にするのだろう。
秀吉が助かったのはそういう小さな輝きによってだ。また、秀吉を必死に追いかけようとする伝助の小さな勇気も忘れてはいけない。
このあたりの展開はシリアスではあったけれど、この作品の中でも好きな場面のひとつだ。

涙腺が緩んでしまった秀吉の最後の電話

伝助との逃避行ももうすぐ終わるとき、秀吉(もちろん知人の振りをしてだけど)篠崎の家に電話をする。それは身代金目的でなく、伝助にもっと電車に乗せてやってくれと頼むものだ。車移動が基本の伝助は、生まれて3回しか電車に乗ったことがない。だから乗った電車、行った駅、車掌の服の色、すべてを覚えている。将来の夢が車掌だという伝助だからできることだ。そういうことがどれだけ大事なのか覚えていてやってくれと言う秀吉の言葉に、つい涙腺が緩んでしまった。こういうのが荻原浩は本当にうまいと思う。心が少しほんわかするような出来事のあと、切なく泣きそうになってしまう展開は、荻原浩特有のものだろう。人の心をここまでうまく揺るがせる小説家もなかなかいないのではないだろうか。
最後、秀吉は伝助の機転によって助けられる。伝助の友達に電話して警部である父親に秀吉の危機を伝えたのだ。小さいながらも必死で秀吉を守ろうとした伝助の行動にはじんときた。反面、伝助も自分の家が普通と違うところに気づいているのだろう。自分の父親が怒るということがどういうことかということを、子供ながら気づいているのかもしれない。そう思うと、のんきな伝助だけど不憫にも感じるところだ。
伝助も秀吉と逃避行することで、今までしたことのない体験をしたのだろう。登場当初よりもぐっと成長したような印象を受けた。
このあたり、すべて涙なしでは読めないラストシーンだと思う。

最低だった実写化映画の出来

この小説は映画化されている。そもそも主人公の秀吉が高橋克典というのが違う。情けなく弱弱しく、そしてコミカルな動きは彼にはできないだろう。伝助の父親、篠宮が哀川翔というのも、ヤクザ者は彼でいいだろうというような短絡さを感じさせる。極めつけは、極道の妻がYOUだと言うことだ。個人的に彼女の声は俳優向きではないと思う。しかもコントならともかく、演技は下手だろう。監督はいったいなにを考えてこんなキャスティングをしたのか首をひねるところだ。
また小説なら笑えるところも、映画ならさっぱり笑えず、痛々しい寒さばかりを感じた。小説の出来に反して、実写映画は本当にひどいものだったと言う印象だけ残っている。
荻原浩の名作で「愛しの座敷わらし」という作品がある。これもこの「誘拐ラプソディー」と負けるとも劣らない、ハートウォーミングで泣ける話だ。これも実写化されたというので見てみたら、またまたひどいものだった。キャスティングもちぐはぐで、まるで違う作品のようだった。
「実写化運」というものがあるとすれば、荻原浩はそれがないタイプなのかもしれない。とはいえ、それがある作家をスティーブン・キング以外に私は知らない。
この本を読むのは実は3回目だ。そしてその読後感は、最近荻原浩から遠のいていたけど、また読んでみようかなと思わせてくれた。

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