後味の悪さがたちが悪い作品
目次
主人公の悪意と癖の悪さが際立つ3つの短編集
この本にはタイトルにもなっている「熱帯魚」を含め、「グリンピース」「突風」の全部で3つの作品が収められている。それらに共通するのは、癖があり、何やら他人を見下しているような感じのある主人公だ。
吉田修一の作品は、日常を切り取りそれを緻密に描写することで非日常に感じてしまうような秀逸さがありそれが魅力なのだけれど、今回の作品には確かに切り取られているのは日常ばかりなのだけど、そこに切り取られた日常には常に人を許さないような悪意が含まれているような感じがした。
全体的に暗いし、だからどうなのそれ、といった感じも拭い去れない。しかしその感覚は決して悪いものではなく、気に入っている作家の作品でもそういうことはよくある。その上個人的には暗くて後味の悪いものは小説でも映画でも好みでもある。吉田修一の作品でも後味の悪いものはたくさんあるし、その中では好きなものも多くある。「さよなら渓谷」の後味の悪さや「静かな爆弾」の意味のわからない終わり方なども嫌いではない。でも今回の「熱帯魚」はその後味の悪さがどうも気に入らない作品だった。
他人を見下し女性を馬鹿にし手ひどい態度をとり、しかし自分はそれをせずにはいられないほど病んでいるわけでもない。そうしてしまったことを後悔し逆に苦しめられているわけではない。ただ息をするように相手を傷つけ、相手がどう感じたのかという想像力もない。もちろん責任感といったものもさらさらない。そういったものが若さゆえならば、その刹那的な生き方に痛々しさを感じたかもしれないけれど、そうでもない。そういう行動をとり続ける主人公に感情移入できるはずもない。
吉田修一らしいリアルで緻密な周囲の風景や場面の描写のせいで最後まで読んでしまうけれど、どうにも読後感は当然よくなかった。
色々な設定を詰め込みすぎた「熱帯魚」
この作品はここに収められている3作品の中で最も意味がわからない作品だった。住んでいる家族、血のつながっていない弟、14才の女の子、(恐らくは)ゲイの大学教授、託児所での立てこもり事件など、一つ一つは悪くないのにそれを一気にまとめすぎて全く意味がわからなくなっている。主人公は入籍していないとはいえうまくいっているように見える彼女がいながら、現場の家主の娘に手を出しボヤ騒ぎまで起こし、挙句ゲイでもないのに大学教授の恋に口を出し、まるっきり何がしたいのかわからない。それに次に出るボーナスで家族全員を強引にプーケットに連れて行こうとする脈絡のなさ(家族をうまくまとめようと躍起になっているがための旅行とするなら、家主の娘に手を出す意味がわからないし)もついてきて、途中で読むのをやめてしまった。そもそもまだ現場一つもまだ任せてもらえてない若い大工のボーナスがそこまで大金という印象もないし、どうも物語のための物語といった感じがしてリアリティがなかった。
ゲイの大学教授もゲイである必要性が感じられない。この大学教授の存在はゆったりしており、なにかとガチャガチャしている主人公である大輔をうまく対照的になっているので、別にさほど話が広がっていないゲイの方面に持っていく必要がないと思うのだ。
「最後の息子」はこの「熱帯魚」の前に書かれた作品だけど、ここでのゲイの人々の話は魅力的で十分感情移入できるものであり、ひきこまれるストーリーだった。だけど今回の大学教授はそのままで十分味のある存在であり、ゲイであるがゆえの魅力ではない。だから余計にこの設定はいらないのではと思った。
あと、大輔が戯れにカラスを捕らえる場面。こういうストーリーの意味のなさは決して嫌いではないのだけど、どうしても風呂敷広げすぎではないかと思わずにはいられない。書きたいものあれもこれもと詰め込みすぎて、結局よくわからないものに仕上がっているような気がするのだ。
この作品は細切れにして5つか6つの作品にすればそれなりに味のあるものが出来ると思う。一つ一つはいいのにもったいないなとさえ思える作品だった。
この作品については後味が悪いというものではない。プールに沈んだライターのカラフルさは映像的で吉田修一らしいものだと思う。そして「さよなら渓谷」のようなねっとりとした暮らしぶりなどの雰囲気は悪くなかったのだけど、ストーリーがまるで頭に入ってこないという意味では、最も残念だった作品だった。
スタイリッシュであろうとしすぎのような印象を受ける「グリンピース」
この作品の主人公はどうにも理解のできない男だ。潔癖症なのかなんなのかよくわからない自分のルールに他人も従わないと気が済まないのか、いつも内心で悪態をついている。彼女に対してもしかりだ。そしてこういうネガティブな気持ちばかり書かれている物語は読んでいてこちらも気が滅入ってしまう。ただそこに、自分でもどうしようもないという葛藤やそれゆえの苦しみなどがあれば別だ。ドストエフスキー「罪と罰」のラスコーリニコフは殺人という大罪を犯してしまったけれど、自分の中に抱えきれない闇に囚われてしまっている。吉村昭「透明標本」では自身の研究のためには相手の死さえも軽く見てしまう静かな狂気が感じられた。そしてそれぞれの主人公たちはその醜さや汚さが分かっているがための葛藤を抱えて生きている。そういった葛藤や苦しみといった深みがこの「グリンピース」の主人公には全く感じられなかった。だからただただ何も考えていない嫌な奴としか思えず、嫌悪感のみが続いた。
ある意味、なにも考えていない若者のただ嫌なところをクローズアップしたストーリーというなら納得が出来る。そういう意味ならもしかしたらリアルなのかもしれない。
また登場人物として主人公の祖父が入院しているのだけど、この設定もさほど意味をなしておらず必要性がわからない。ここまでするのならもっとシンプルに自分と千里、そしてその友人2人だけの世界でいいのではないかとも思えた。
また文章も“許す、許さない”とか“思っていることを空き缶に書いて蹴る”といった聞こえのよい文章であろうとする目論みのみで綴られた印象で、心になにも残らない。
ところで千里の友人カップル鷹野と椿だけど、この鷹野は「太陽は動かない」の鷹野と同一人物?キャラ的には全く違うので関係ないと思うけれど、ちょっと気になったところだ。
女性を馬鹿にしているとしか思えない「突風」
ここに書かれているのは自己中心的な自分勝手さのみで生きているような主人公と、その主人公に振り回されている既婚の女性だけど、全体的にはこの女性ももうひとつ好きにはなれないが、それ以上に主人公がこの奥さんを馬鹿にしすぎているところにどうしようもない嫌な気持ちがずっとついてまわった。相手にしないなら相手にしないでいいのに、思わせぶりな態度をとって相手を翻弄し、自分の明らかに思わせぶりな態度でさえ「こんな確信のもてない相手の態度に縋らなければならないみじめさ」などと言い切った上で逆に自分が落ち込んでいる勘違い甚だしいその様子に、苛立ちが抑えられなかった。
そもそも長期休暇でペンションに働きに出るのはいいけれど、そこでもそこで必死に働く人たちをどこか小馬鹿にしたようなその態度は、どう考えても気分のいいものではない。だからそんな主人公はどれほどのものかと思いきやただの株屋だし、お金はあるのだろうけれど品性と感性の乏しい寂しい男を描ききったという意味では、ブレのないリアルな話なのかもしれない。
ただ最後まで読ませる話ではある。焼きそばを焼く場面や際限なくキャベツを刻むところなどは悪くはなかった。だけどあまりにも悪意が全面に出過ぎて、読後感はまったくいいものではなかった。
もうひとつ、この主人公に翻弄される奥さんがどうやらオーナーにDVを受けているようなそんな感じがするのだけど、その描写があまりにももう一つでイマイチ主人公にそこまで惹かれてしまう動機には弱いように思えた。
比較的最初のほうの作品ということ
「最後の息子」に続き吉田修一の2作目となるこの「熱帯魚」は、なんとなく吉田修一らしいよさもあるけれど、ストーリー展開はあまりこなれていない気がする。「愛は乱暴」や「路」などに比べると短編ということだけでなく、格段に落ちてしまうように思えた。後味が悪いものは決して嫌いではない私だけど、この手の後味の悪さは苦手だ。そして人の悪意というもの(特にエレベータ内でひったくりに会った女性を完全に無視するところなど気分が悪くなった)にここまで弱くなってしまっている自分にも気づいた作品でもあった。
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