湊かなえ真骨頂のストーリー
全体に漂う気持ち悪さ
「母性」という穏やかで神聖なるものの象徴のようなタイトルにもかかわらず、このストーリーには全体的に湿度の高い気持ち悪さをまとっている。それは粘性の高い溶液に浸っているような不気味さだ。読み始めてすぐ直感でそれを感じたけれど、それがどこから来ているのか理解するのにそれほど時間はかからない。
母親の手記と娘の手記と交互に語られるこの物語は、自分勝手で自己満足のみで成立した歪んだ愛情を自分の好きなように投げようとする母親と、とそれをなんとか受け止めてろ過し、正常な愛情として自分のものにしようと奮闘した娘の戦いそのままである。そしてここまで歪んだ愛情を正しいものとして疑わない母親の人格はどこで壊れたのか、それは最後までわからないままだった。
母親は自身の母親とは仲がよすぎるくらいの仲だった。友達親子とも姉妹親子とも言われるような、限りなくくっつきあった関係は傍目にはとても不自然で気持ちが悪く、そして理解できないものだった。ただ母親の母親は結婚しているのだからあまり実家に帰ってきてはいけないとか、比較的当たり前のことを諭しているにもかかわらずどうしてこの母親はこうなったのだろう。そして最後まで自分は正しいと疑わないその自信はどこからくるのだろう。娘に与える愛情と思っているものはすべて自分のためだということにどうして気づけないのだろう。
「愛能う限り、大切に育ててきた」。なんていう気持ち悪い言葉のチョイスだろう。そしてこの気味悪さと、ねちねちとした女性の描写は湊かなえの真骨頂だと思う。そう思いながら読むのを止めることができなかった。
母親とその母親との関係
この2人の関係は、世間ではよくあるものなのかどうなのかわからないけれど、個人的には全く理解できないものだった。独身時代ならまだしも、結婚してからも夫よりも母親を頼るその気持ちが全くわからない。また恋愛相談さえ母親にし、いかに母親に気に入るかばかり気にし、そして褒めてもらえることをなによりの喜びとする気持ちが、全くわからないのだ。自分と母親以外の人には上品に失礼のないように接してはいるがそこには情や温度のないものに感じられるし、その情のなさは娘にさえそうだった。娘の手記でも「色のない人生」と語っているように、そこには母親らしい温度というものがほとんど感じられないものだった。しかしその娘にとって色彩を与えてくれる人間は祖母の存在であるわけだから、その母親の母親がおかしいというわけではない。むしろ人格者で奥深い人間だからこそこのように依存してくる娘を気にかけていたかもしれない。
とにかくこの母親の依存心と執着が終始ひたすら気持ち悪いストーリーだった。
母親と夫の生活
母親目線で始まる話はいつも自分の母親と自分の美しく温かな関係を強調する反面、夫である田所や自分の娘にさえ見下したような目線を持っている。そして彼女の言う「かわいそうな人」という言葉の使い方は、私が今まで感じていた「かわいそう」という言葉の違和感と一緒だ。それも一旦認めて褒めるようなふりをしている分たちが悪い。それもすべて相手のためと豪語し、いつも自分が正しいと思って疑わない妻を夫はどう思っていたのだろうか。夫は後に不倫をするけれど、それは無理ないのかもしれないが、手段としてはかなり卑怯だと思う。何も解決せずただ逃げて、娘も置いたまま自分は居心地のよい場所を見つけてのうのうとそこで過ごしていたのだから。ましてや家を焼け出されたため義理の実家での生活を余儀なくされたところで、このように夫に不貞を働かれたときの絶望は想像してあまりある。しかしこの母親にとってはこのような不幸も自分の母親と自分の特別な美しい関係性を際立たせる、汚らしい凡百の人間のすることと、見下した挙句悲劇の女王になれた出来事だったのかもしれない。
しかし母親と父親の生活を美しいと娘が感じていた時期もあった。そこでの描写は田舎の叙情的な風景とも相まって絵的にはとても素晴らしいものだったけれど、理解できなかったのは「2人は幸せそうではあったが笑顔を見せることはなかった」という描写だ。祖母が来ているときは2人とも笑顔なのに、という文章がつくのだけど、幸せそうな顔で笑顔がないというのが想像できなかったのだ。もしかしたら私が思っている以上に深い表現なのかもしれないけれど、少し違和感が残ったところだった。
義理の実家での生活
家を焼け出された後、義理の実家に身を寄せなくてはならなくなった家族だけど、そこでは姑のひどい嫁いびりが待っていた。それを必死でかばおうとする娘の気持ちはまるで母親には伝わっておらず、不器用な彼女の乱暴な言動のみが母親の目についてしまいそれを非難される娘の理不尽な気持ちが、とても息苦しくなってしまった。母親ももちろん姑の嫁いびりに耐えてはいるのだけど、確かにこの姑はひどいのだけどそれ以上にこの母親の“上品ながらも相手を見下す”お得意の精神で耐えることができたのではないだろうか。手厚く介護されながらも姑は母親のことを“お嬢様”呼ばわりしていたところから、姑もまた母親のその見下したような態度を肌で感じていたのだと思った場面だった。
そして姑のそのような扱いに屈することこそ、自分の母親の位置を姑のところまで落とすことになるというような意地もあったのだろう、やったことは立派なのだけど、どうもそのままその行動を褒め称える気になれない女性だった。
名のない祖母、名のない母親、名のない娘
この小説の登場人物のほとんどが名前がない。おかあさん、母親、娘。三人の血のつながった女性はすべてこう描かれる。それが余計血を感じさせ、奥にある湿った執着を感じさせてぞっとするところだ。逆に夫は田所と初めから名前がついている。こうすることで、この女性たちとの違いや溝といったことを感じさせる表現だと思う。
物語の最後でやっと母親と娘の名前は出てくるが、それまであまりにも名前がないまま物語は進んでいたので、その名前を知ったことがとても違和感があった。この違和感こそ、娘が感じていた名前に対する違和感なのだと思う。
娘の思いのやりきれなさ
ただ自分と自分の母親の関係のみ美化し、それ以外のものを一切認めようとしなかった母親に最後まで愛を求め続けた娘だったけれど、その思いは最後まで報われることがなかったのがなんともやりきれない。
ただ死んだと思っていた娘が結局生きることができており、しかも新しい命まで宿すことができた展開はよかったと思う。絶望と哀しみのまま死んだのでは救いがなさすぎる。そういう意味で、このことは良かったし、しかも自分が母親にしてもらいたかったこと全てを子供に注ぎ込むことで、結果自分の気持ちも救われるのではないかと思う。
この事件に興味を持った教師2人
母親と娘の手記の合間に、この事件に興味を持った教師2人の話も差し挟まれる。男性二人だと思いきや、一人は女性だったという軽い驚きは湊かなえらしいスパイスだ。この女性が実はこの娘だったのでは?と思ったのだけど、そこははっきりしない。もしかしたら10年後とかの娘が似たような事件を見つけたといったような設定なのだろうか。なにかしら関係がないとこの二人の存在理由もないわけだし、それが少し気になったところだ。
この「母性」は、全体的に暗くじめじめして歪んでおり、それがなんともいえない独特の雰囲気を醸し出している。映画でいうとチェコとかあたりの雰囲気があるように思う。そしてそれは決して嫌いではない。ハッピーエンドではあったけれども、なんとなく後味の悪い作品だった。しかしそれは個人的には好みではあるのだけど。
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