一気に読ませるリアリティあふれる物語 - マドンナの感想

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マドンナ

3.753.75
文章力
4.00
ストーリー
4.00
キャラクター
3.75
設定
3.50
演出
3.50
感想数
2
読んだ人
3

一気に読ませるリアリティあふれる物語

3.53.5
文章力
3.5
ストーリー
3.5
キャラクター
3.0
設定
3.0
演出
3.0

目次

奥田英朗らしいハートフルな後味を残す物語

この「マドンナ」には全部で5つの短編が収められている。タイトル「マドンナ」が表すように、文字通り会社のマドンナに恋する男たちの話や、閑散としたビルのパティオに定期的に姿を現す老人が気になっている男性の話など、テーマも豊富だ。それらがコミカルになりすぎずに尚且つリアリティあふれるストーリーになっているのは、奥田英朗の想像力の賜物だろう。
前述したように、こういうテーマはややもするとコミカルになりすぎて幼稚になってしまったり、文章が浮き足立ちすぎて直視できないような表現になってしまったりすることがよくある。しかしそこは奥田英朗らしいテンポのよい文章と緻密な心理描写で、しっかりと読ませる小説となっているのはさすがだと思う。
奥田英朗の代表作といえば「精神科医・伊良部シリーズ」になるかと思うけれど、それ以外の短編も実にハートフルで心地よいものが多い。個人的には長編ではいくつか好みでないものがあるものの(「ウランバーナの森」がそれにあたる)、奥田英朗の作品は短編になると外されたことがない。そもそも代表作である「精神科医・伊良部シリーズ」は強烈な個性を持つ主人公でありながら、そのストーリーにやりすぎ感やコミカルすぎることを感じることがない。笑いは笑いで確保しながら、読ませるストーリーを描けるのは奥田英朗のよさだと思う。

タイトルにもなっている「マドンナ」

この本の一番最初に収められているこの作品の肝は、なんといっても人事異動でやってきた女性に恋焦がれる上司のその心理描写だと思う。主人公であるその上司春彦は、この女性知美にどんどん心惹かれていっている。しかし自分は17才も年上ということに加え、何より既婚者である。許されるはずのないこの感情に取り付かれ、仕事にも支障を来たし始めていた。しかも彼女に焦がれる男性は春彦一人でなく、春彦の部下山口もどうやら知美に惹かれているらしい。もちろん年上の既婚者である自分とは違って、山口は独身で知美ともお似合いの年齢だ。ここで2人恋が芽生えてゴールインともなれば普通はめでたいことに違いない。それも本人は分かっているのだが、もし結婚ともなれば式で挨拶を頼まれることも避けられないだろうという息もできないような空想が後押しし、強烈な嫉妬に悩まされてしまっているのだ。これほど恋していても、上司であり既婚者である自分はなんの気もないように振舞わなければならない。このジレンマで心が暴走している様が実によく描写されており、心が苦しくなるくらいだった。特に山口と知美が休日に展示即売会を担当することになったときの春彦の休日らしからぬ心ここにあらぬ状態は、本来なら笑ってもいいくらいだとおもうのだけど、なぜか笑えずに本当にこちらも心がそわそわしてしまうくらいだった。
また、春彦の妻がすべてお見通しなのもすごい。パエリアパーティなるものを開催すると春彦に部下を連れてこいと促し、家に連れて来させたのは、きっと夫が恋している女性を見極めるためなんだろう。手は出してないと思うものの心中穏やかでないはずだ。たとえ自分が息子の担任にときめいていたとしても、夫の恋のほうが現実的になりやすい。それでも釘をさしながらも平気な顔をしているところが妻の懐の深さを感じさせた。
春彦と山口の恋は、知美の恋する相手がふらりと営業部にやってきたことであっけなく幕が下りる。呆けたような2人を尻目に、知美はその恋の相手と浮き浮きと喫茶店に行く。知美の今まで見たことのないような上気した表情を見ながら恋が終わるのを実感した感じがとてもよく出ていて、いい終わりかただと思う。またケンカまでしたこの2人が仲良くなったのもベタながら、好感が持てるラストだった。

企業の軋轢をコミカルに描いた「ダンス」

企業の中でも派閥はある。そしてそれ同士の戦い以外にも、それのどれにも属そうとしない異物を排除しようとする輩はどこにでもいる。これはそれをコミカルながらもシニカルに描いた作品だ。
浅野は飄々と、会社のなんとなく皆が守っている朝7時半着席を無視とか、なんとなく強制のような印象の社内行事に不参加とかする人物だ。それは決して悪いことではないし、むしろ部下からするとそのような上司を心強いと思うだろう。しかしそこに無駄に体育会系というか足並みをそろえようというか、時代遅れの主張をする中年が少なからずいる。自分が派閥同士の対立に負けそうになっている腹いせなのかなんなのか、本当にこの男飯島は見苦しい。間を取り持つように命令された芳雄は日々悩んでいる上に、自分の息子がダンサーになりたいと言い出した。そんな先行き不安定な職業おいそれと認められないという悩みまで増えたのだ。この気持ちは分かるような気がする。クラシックダンサーならまだしも、ヒップホップダンサーなどというのは日本人の体型に合わない気もするし、将来どうなのかとも思う。これは実にいいところをついてきた職業だと感じた。個人的に私たち夫婦で息子が何になるというと反対したくなるかと考えたところ、これもまたヒップホップダンサーだったからだ。
タイトルにもなっている「ダンス」はその企業内の愚かな争いをダンスに見立てている部分もあるのだろう。この物語のラストは浅野が芳雄の顔をたてて社内運動会に出席したことで、いざこざはありながらもなんとなく収束した。酔って帰った芳雄が息子にいきなりダンサーの道を許したのも、この浅野の行動が大きく影響したのだろうと思う。
特になにが言いたいとかいうメッセージ性のある物語ではないし、私もそういうのは嫌いだ。でもこの物語はそういうことを感じさせながらもそれを言葉で伝えていないところが好きな作品だ。

板ばさみの辛さを感じさせる「総務は女房」

この展開はなんとなく既視感を覚えた。それもそのはず、「精神科医・伊良部シリーズ」の「町長選挙」で出てきた展開によく似ていたからだ。あれほど無邪気に金品を要求する伊良部を参らせた賄賂攻撃が、この物語の主人公恩蔵を襲う。町民の勘違いで力があると思われた伊良部とは違い、恩蔵は生え抜きの営業育ちで出世のため他部署を見てくるようにと言われて2年の約束で総務部に配置された人物ということだ。なにもせずとも出世の道が約束されているとはいえ、目の前で行われている不正を見逃すことができるほど間抜けではないという自負なのか、総務のくせにという見下しがあるから故なのか、通例や慣例というもっともらしい言葉で表されているいわゆる横領を粛清しようとしていた。そのあたりから周りが一気にきなくさくなる。脅しなど直接的な暴力ではなく、泣き落としや土下座などで周りが恩蔵を懐柔しようとするのだ。このあたりの展開は少し胃が弱い人なら本当に胃が痛くなるのではないかというくらいの悲壮さで、正しいことを行っているはずの恩蔵がまるで悪役のようになってくるのだ。「町長選挙」でものんきな伊良部だけでなく、派閥の板ばさみになっている町の職員に深い同情を覚えたけれど、今回は回りのいわゆる弱者たちに同情を覚えてしまった。
結局なにもかもバカらしくなってしまったのか恩蔵は「全てを白紙にもどす」として、なにもしない上司になると約束する。それで周りの緊張が一気に溶けたのは理解できるけれど、恩蔵自身もなにか肩の荷が降りたのかもしれない、そんな終わり方だった。
不正は不正だし、慣例などと言われてもそれは体のいい横領に違いないわけで、どうしてそれがまかり通るのかはわからないけれど、あえてそういうダークな部分を包み込んだ大企業というのもあるのかもしれない。
タイトルにもなっている「総務は女房」という言葉はよく聞く。逆に総務を敵に回すとどうなるかわからないということも。この話はそういう陰湿ながらも悲しい暗さをうまく表現した作品だと思う。

パティオに定期的に姿を現す老人の話

この話はこの作品の中でも最も好きな話だ。閑散としたパティオに定期的に姿を現す老人に声をかけて以来、姿を現さなくなってしまった老人のことを主人公の男性は深く思い悩む。その深すぎる悩みをその部下の加奈子の軽い言動がうまく茶化して、なんとなくいい雰囲気のある作品に仕上がっている。一人でいる老人が寂しい存在だというのは若者の思い上がりではないか―…。ここの文章はとても印象に残った。一人を楽しんでいる老人だっているはずだ。結果その老人が姿を現さなくなったのは話しかけられたことが原因ではなかったけれど、そこまで思い悩む主人公の気持ちがとても好ましく、そしてとても理解ができるものだった。
この作品には他にも上司が女性となった男性の悩みが描かれた物語もある。その悩みは恐らく男性なら深く感情移入できるものかもしれない。個人的にはその女性はいささか極端に過ぎるような気がした。そしてそれがストーリーのための極端さに思えたのだけど、海外のオフィス事情は詳しくないので、部下となってしまった男性の心理のみがこの作品の判断材料だった。そしてそれはとてもリアリティがあるように感じた作品だった。とくにその上司が野球観戦を楽しんでいる様は、野球好きの奥田英朗らしい描写でこちらも楽しさが伝わってくるくらいで好きな場面だ。
この作品は短編だけれど、その辺の長編を読むよりも心になにかを残すと思う。そしてもう一度読みたいと十分に思わせてくれる良作だった。

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