不幸だけど満足ってことはあっても、後悔しながら幸福だということはないと思う。
行天春彦
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まほろ駅前多田便利軒は、第135回直木賞を受賞した、三浦しをんの小説である。物語の舞台は東京のはずれに位置する都南西部最大の町、「まほろ市」。駅前で便利屋を営む多田啓介と、そこに転がりこんできた高校時代の同級生、行天春彦との、バツイチ30代半ばの男2人が主人公。便利屋としての仕事は、犬の飼い主探しや小学生の塾の送り迎え、はたまた恋人のふりなど。しかしこんな何でもないような依頼が、この2人にかかると何故か厄介な事になったり奇妙な事に巻き込まれたり、きな臭い状況に。そんな中で、さまざまな人間模様が描かれていく。 「別冊文芸春秋」に連載されたのは第255号から第260号。 2006年3月に文芸春秋社より単行本が刊行され、その後漫画、映画、テレビドラマにもなり、この2人の物語は、外伝「まほろ駅前番外地」、続編「まほろ駅前狂想曲」へと続いていく。映画は瑛太(多田啓介)と松田龍平(行天春彦)主演で2011年4月に公開された。
三浦しをんを一大スターダムに押し上げた作品軽妙な切り口のエッセイや、『風が強く吹いている』などで人気がある三浦しをん。その代表作が、『まほろ駅前多田便利軒(以下、まほろ便利軒)』だ。同作品は2006年に直木賞を受賞。瑛太、松田龍平主演で、映画やドラマになっていることからも有名な作品だ。三浦しをんは『私が語り始めた彼は』で山本周五郎賞候補、『むかしのはなし』で直木賞候補に挙がっていたが、『まほろ便利軒』が評価を得るに至った経緯を密に見ていきたい。『まほろ便利軒』のストーリーはそれほど複雑なものではない。西東京の架空の都市・まほろ市で便利屋を営む多田が、同級生の行天と再会するというところから物語はスタートする。勝手に居候になった行天と一緒に、便利屋としての依頼をこなしていく多田。二人に依頼をもたらすのは、どこかマイペースなまほろの住人たちだ。マイペースな住人の依頼に、多田と行天はマイペース...この感想を読む
瑛太などが主演で映画化もされた作品。わたしは映画を先に観たからか、そのイメージでよんでいった。まほろに便利屋をひらいている多田のもとに元同級生のぎょうてんが転がり込んでくる。そこからはじまる、ふたりのいろいろな話。やくざに絡まれたり、トラブルを解決したり、なんでもないような仕事をうけたり。ふらふらした、地に足がつかない生活に見えて、なんだかしっかりやってるようにも見える。こういうひとと友達になりたいなあ、って思いながら読んでた。文体は読みやすい。キャラクター設定、ストーリーもとてもおもしろい。なにかいい小説ない?と聞かれたら真っ先にすすめたい。
便利屋の多田のところに、高校の同級生の行天が転がりこんできます。飄々とした行天に振り回される多田。何だかんだ離れられない絶妙な距離感が心地良いです。そして、2人とも不器用で不格好に生きているところも憎めません。便利屋の仕事で出会う人々は、うさん臭い一癖ある人たちばかり。何かしら背負っているものがあり、2人はいつのまにか巻き込まれていきます。スッキリ解決するわけではないけど、結果的に2人がゆるーい希望をぼんやりと照らしてくれる、そんな感じでしょうか。乾いた感じなんだけど、人間臭い温かさが残りました。そして、全体に心に残る素敵なセリフがちりばめられているので、いちいち読み返して、ホーッっとしてました。本当に作者の表現力には脱帽です。中でも「幸福は再生する」。この作品のテーマはこの言葉に凝縮されていると言っても過言ではありません。
行天春彦
ある青年から実の両親の暮らしぶりを知りたいという依頼を受けたものの、多田は真実を解明することはみなを不幸にするのではないかと及び腰である。行天が言った鋭い一言。
多田啓介
多田は自分の子どもではないかもしれない疑念を抱えたまま父親となった。不慮の事故によりその幼き子を失ったことで罪の意識に苛まれている。行天は多田のせいではないことを告げるが、多田の抱える絶望的な悲しみが表れた一言。
多田啓介
高校時代、行天に傷を負わせてしまったことを悔やんでいた多田。「すべてが元通りとはいかなくても、修復することはできる」と声をかける行天。行天との再会を果たし仕事をすることで、多田が気付く。