ぼくは文章がかけない - ぼくは勉強ができないの感想

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ぼくは勉強ができない

5.005.00
文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
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ぼくは文章がかけない

5.05.0
文章力
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ストーリー
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演出
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目次

秀美が「素晴らしき淫売とくそじじいぶりのぼくの家族である。」という場面

このフレーズの音のテンポ、言葉のテンポが心地よい。何度でも繰り返したくなる。「素晴らしき」と「淫売」という、形容詞と名詞の組み合わせが普段あまり耳にしない組み合わせであり、秀美の言葉だとものすごく、清々しい。

秀美が黒川のことを「植草ではないけれど、気の強さで肉体と精神の均衡を保っているのだろうか。」という場面

何度読み返しても、すっと頭に入ってこない。だが、解らないわけでもないのだ。肉体と精神の均衡、これが何を表しているのか。はたまた、何かを表しているのではなく、肉体と精神の均衡でしかないのか。何年後かに、この小説を読み返した時には、今とは異なった手応えを感じる気がする。この場面になった時に、頭の中を巡ったのは自分が学生だった頃である。ああ、これが、気の強さで肉体と精神の均衡を保っていたことか、と、昔の自分自身が思い浮かんだ。また、自分を取り巻いていた級友などのことも、思い浮かんだ。だがしかし、思い浮かぶだけで、なかなかつかめないのである。

黒川が植草のことを「何も考えてないのよ」という場面

このフレーズには、グサリときた。この文章を書いている今も、いろんなことが頭の中を駆け巡っている。だが、それが何の役に立つのか。そんなことは、解らない。では、学校の勉強が何の役に立つのか。そう聞かれたら、きっと立ち尽くしてしまう。いろんな本と接しているうちに、自分が使う語彙は増えていく。そうなれば、自分はたくさん考えているのだ、と、浮かれる自分もいるのだ。気楽な奴はいいよな、と、浮かれる自分もいるのだ。黒川の「何も考えてないのよ」このフレーズは、いつなんどき、も、私のそばに置いておかないとならないような気がする。

雑音の順位「好きなものだけを選び取るというのに、ぼくたちは、あまりにも慣れ過ぎている。そして、それだけが、唯一、ぼくたちのこだわっていることなのだ。」

「そして、それだけが、唯一、ぼくたちのこだわっていることなのだ。」このフレーズは、分からなくて頭を混乱させる。ぼくたちのこだわっていること、読んでいて、なるほど、ともならない。すごく引っかかる一文である。意識的にこだわっているのか、無意識的なこだわりなのか。

仁子と桃子、「大人」「かっこよさ」

この小説に出会い、「大人」「かっこよさ」の概念がガラリと変わった。仁子と桃子どちらにしても、現実だとどういうイメージだろうと想像してみたが、やはり、想像できなかった。私の中で、桃子さんはものすごく憧れの対象になった。どんな洋服を着ているのかな、どんな髪型をしているのかな、想像しても彼女は、掴めないし、このような面から、彼女のようになろうとしているのが、決定的な違いなのか、と、考えもした。やはり、「大人」、「かっこよさ」が自分の中に、すっと馴染んでいくには、まだまだ、経験も無駄な時間もいろんなことが足りないように感じる。浪漫の種を大切に拾っていく女性になりたい。

雑音の順位「溜息のそよぎも感じ取れる静かな休息の場を作り上げたら、ぼくは、桃子さんに電話をしようと思う。」

溜息のそよぎ、とても穏やかな表現のように感じた。この一文で「溜息のそよぎ」という言葉がお気に入りになった。私は、今この文章を綴っている。きっとこれを口に出したら、全てが台無しになってしまうのではないか、そう感じるのだ。きっと私が、そういう風に感じるのは、この本を読んだ後だからだ。

時差ぼけ回復

この時差ぼけという感覚ものすごくわかるのだ。ベットに入ってなかなか眠りにつけない時間が、私の中のそれだ。学校に行きたくなくて休む日がある、だけど、学校を休んで家にいても、やりたいことも特にない感じにも似ているような気がする。「時差ぼけ」っていう概念を共有できるのが、救いのような。でも、これが本当に「時差ぼけ」なのかは、解らない。

ぼくは勉強ができる

煙をつかむのに手間をかけて何が悪い。人生も成功も、全て煙をつかむようなものだって。「学校の勉強なんて意味がないじゃん。」私は、そんなことばかり思っていたけれど、その言葉は、あまりにもかっこ悪い。突き詰めていけば、働く意味も人生の意味も生きる意味もなくなってしまうではないか。意味なんか求めるよりも、生きていきたい。かっこよく生きていきたい。この小説を中学生くらいから、読んでいたら、さぞかし「大人」な子になれたのかなと、思ったりするが、今読んでも「大人」になれていないから、今からだなと、思ったり。この小説が、すっと私の心の中に馴染んでいって、気づかないうちに大人になっているのかなと考えたり。秀美の祖父が、「始末に困らないからな。困らないものがいったい何なのか、お前にもその内、解る時が来るだろうよ」という一文が、印象に残っている。理由もなく印象に残っているのは、数年後に読み返した時に私も解る気がするからだろう。

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他のレビュアーの感想・評価

ぐっとくるセリフが満載です。

主人公の自意識私はこの主人公が好きですが、そもそも山田詠美さんの作品はすべての主人公においてこれは山田詠美さん自身なのでは、と思うような一貫した存在があるように思えます。非常に個人的な感覚なのかもしれませんが、主人公には一貫して「自分は特別なのだ」という意識があると感じます。この作品の主人公である時田秀美も、「ぼくはきみたちの考えていることが読めているけれども、それを優しく包み込んで、相手にはそれを気づかせないように相手の望むとおりに振る舞ってあげている」といった自意識をすごく感じるのです。主人公は実際にはそんなことを言っていないのにも関わらず、物語からにじみ出ているのがすごく面白いなと感じました。小説内で山野さんに「優越感を一杯抱えているくせに、ぼんやりしている振りをしている」とはっきりと指摘されているのも、痛快な点です。ただ同時に「自分も皆と同じなんだ。母子家庭だけど、楽しくやって...この感想を読む

5.05.0
  • tomotomo
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  • 2014文字
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