ぐっとくるセリフが満載です。
主人公の自意識
私はこの主人公が好きですが、そもそも山田詠美さんの作品はすべての主人公においてこれは山田詠美さん自身なのでは、と思うような一貫した存在があるように思えます。非常に個人的な感覚なのかもしれませんが、主人公には一貫して「自分は特別なのだ」という意識があると感じます。この作品の主人公である時田秀美も、「ぼくはきみたちの考えていることが読めているけれども、それを優しく包み込んで、相手にはそれを気づかせないように相手の望むとおりに振る舞ってあげている」といった自意識をすごく感じるのです。主人公は実際にはそんなことを言っていないのにも関わらず、物語からにじみ出ているのがすごく面白いなと感じました。小説内で山野さんに「優越感を一杯抱えているくせに、ぼんやりしている振りをしている」とはっきりと指摘されているのも、痛快な点です。ただ同時に「自分も皆と同じなんだ。母子家庭だけど、楽しくやってる。皆と同じなのに」といった、皆と一緒なんだ、という特別感とは相反する感覚も合わせて持っているところが人間らしいです。
細かい状況説明の少なさからくる圧倒的な読みやすさ
本に関心はあったものの、なかなか読む機会が掴めなかった頃、面白いらしいから読んでみたらと渡されたのがきっかけでこの本を手に取ったのですが、まず読みやすさに驚きました。小説というのは、まず初めに状況説明があってそれを呑み込んでから、半分くらいまで読み進めればようやく面白くなるものだという概念を持っていたので、初めからすぐに面白いというのがまず衝撃でした。冒頭からすぐに世界に入っていけます。細かい描写がそれほどなくても具体的にイメージできてしまうのが山田詠美さんの小説のすごいところだと個人的には思っているのですが、この作品は特に状況説明が少なかったように思えます。登場人物も一人一人印象深いセリフを言うので、心に残ります。「あれ、この人ってどんな人だったっけ」とまた前のページに戻って読み直さなくてはいけない、といったことは起こりにくいと思うのです。また、難しい表現がないので、気軽に読み進めることの出来るとっつきやすさがあると思います。本をほとんど読んでいなかった私でも一気に読めた初めての作品になりました。本を読まない人に勧めるとしたら、私はこの作品を選びます。
生身の温度を感じるような登場人物たち
主人公や同級生の真理、山野さんなど「こんな高校生実際いないだろう」というくらい高校生にしては大人びたキャラクターが多くいますが、どのキャラクターにもどことなく気持ちや考え方の揺れを感じます。自信のなさや将来への不安や希望といった感情が、セリフにはっきり書かれていなくても、にじみ出ているのです。感情が白黒ついていない、色々な思いが重なっていてその表現になっている、といったことを感じられることに、生身の温度を感じました。現実にはいないんじゃないかと思うような格好良いキャラクターなのに、生身の温度を感じられることで、どことなくリアルさも持っているところがとても好きです。主人公の母仁子の、良い母親でありながらも、浪費して食費が足りなくなってしまうといったところなども人間っぽさが表れていて、親しみを感じます。
登場人物たちの個性あふれる印象的なセリフ
個人的に一番面白かったセリフは「しかしね、ぼくは思うのだ。どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ」です。誰もがひれ伏すような経歴を持つ人を相手にしても、威力を発揮する目の覚めるようなセリフです。こういったセリフがこの作品からはいくつも出てくるので、それが魅力の1つだと思っています。また、「けれど人間が、そんなにも弱くて良いものだろうか。つまんないんだもん、もてないんだもんで否定されてしまうようなものなど、初めから無いも同然ではないのか」という相反するようなこんなセリフを言っているところも面白いです。他にも秀美の母による「ほらほら、悲しみは、おなかをいっぱいにしないわよ。つまらないことで悩んでると、ハンサムじゃなくなっちゃうから」など、その一言だけでぐっとくるようなセリフが随所に散りばめられています。
「勉強ができる」こと以外の魅力へのユニークな表現方法
「勉強よりも素敵で大切なことがあると思う」と主人公は言っていますが、その「勉強よりも素敵で大切なこと」を表現する方法が非常に個性的で面白かったです。勉強が出来ることで人を見下している脇田に「でもおまえ女にもてないだろ」と言い放ち、脇田を絶句させてしまうといった主人公の感性には斬新さを覚えました。勉強が出来る人にはかなわないと思っていた私にとって「そんな着眼点があったのか」と目から鱗でした。
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