西加奈子作品中、最高の絶望と狂気! これは恋愛小説ではない!
これは恋愛小説ではない、サイコホラーだ!
本作には4人の男女が登場する。
それぞれに自分の過去やトラウマ、大小の秘密を持ち、それらを絡めつつ共通の1日を語る、という実験的スタイルで話が進んでいく。
2008年、小説新潮に3か月間の連載で発表された。
一見するとサスペンスのようでもあり、恋愛小説のようでもある。
しかし、好きという感情は含んでいても、本作は恋愛メインの小説ではない。
別の人物が同じ出来事を語る中で、次第に真実がわかる、というのは推理モノではよくある展開ではあるが、本作は最後まで細かい所を明かさないので、別々の視点が纏まった時、何かの真実が見える、というスッキリした読後感を望んだ読者は、激しい肩透かしを食らうだろう。
女性の死体の素性についてははっきりと語られないし、個々のキャラが行きつく先も明確にならない。
スッキリどころか最終章であるアキオの章は中盤以降どす黒い闇だらけで、最後にちょっとだけ出て来た謎の女性と並んで放尿するというラスト。
これはスッキリの対極に位置する展開だろう。
誰がこれを恋愛小説などと煽ったのだろう。
アキオとハルナの過去の関係、ナツの記憶障害がアキオの手によって作り出されている事、そしてアキオが狂気を主として普通に生きている事、トウヤマの性癖、それらを整理すると本作はそれぞれの登場人物の精神性を主とした話だと分かる。
西加奈子は時々ダークサイドストーリーを描くが、本作はトップクラスに闇が濃く深い。
なにしろ、トウヤマ以外の人物に、どこにも抜け道が無い。
恋愛サスペンスと評される本作ではあるが、私はサイコホラーと位置付けても良いのではないかと思う。
読み返すほどに、ナツが薬の影響を受けているシーンは絶望的だ。
その元凶であるアキオ自身も、最終章のラストで幻覚を見ているのかと思われる描写もある。
彼は薬が入った湯呑に口を付けているし、それを二人で飲むという表現もしている。
これらのシーンは1960年代SFの騎手:フィリップ・K・ディックの作品を連想させたりもする。(彼の作品は薬でトリップするシーンが多く、多くの場合、絶望的に抜け道が無い世界を描いている)
以下に個々のキャラクターを検証して、その闇の深さを確認していこう。
崩れゆく美しき女 ナツ
このナツの章だけなら、少し危うい恋愛ものと受け取ることが出来るかもしれない。
記憶障害があるのか、と思わせる記述が散見するが、生来の疾患とも受け取れるし、他の人物の闇が見えないので、個々の悩みが見え隠れする青春群像劇とも受け取れるのだ。
特にこの章では、ナツが本来持っている鋭い感覚、味や情景描写が意識的にちりばめられているので、切ない恋愛短編としても鑑賞に足りる。
ハルナの章以降で恋愛とは呼べない深くて暗い闇が描かれ、それを読んでから再度この章を読み返すと全く違った味わいが見える。
最初は読者の誰もが、少し危うい女性、あるいは作者の比喩表現とも受け取るファンタジックな描写を美しいと受け取るだろう。
しかし、これらが全て薬に犯されていく彼女が見ている幻覚なのだと認識し、アキオが死にゆくミルに抱いた感覚を追体験する。
これは吐き気を催すような邪悪だ。
西加奈子の、鋭利で感覚に訴える文章が効果を増し、触れてはならない心地よい快感を憶えそうになる自分が恐ろしい。
恐らくナツは、徐々に日常に支障をきたし、衰弱し、意思疎通できない動物と同じものになっていくのだろう。
トウヤマは彼女を無意識の媚態。ほとんど白痴のような女と表現する。
アキオの章ではそれまで取らなかった行動として、彼の性器を、ナツはいつまでも、口に含んでいた。とても幸せそうだった、と語る。
もはや彼女は健常には戻れないだろう。
彼女が薬の影響を受けていることを知っているハルナもナツは、時間の感覚が無くなってきているのかもしれない、とその進行を物語っている。
ハルナから見て、女性らしいところは少ないのに美しい、そう思わせるナツの個性や彼女の本来の想いは殆ど描かれない。
彼女はただひたすらに被害者であり、アキオが作った蟻地獄に堕ちていく無力な存在だ。
たった一人の希望、トウヤマ
本作の中で最も普通の人間で、悪に加担しない男だ。
彼にはコンプレックスがあり、病的な性癖はある。しかし、それは人を殺めたり貶めたりするものではない。
幼少期に目の前で殺人を見ており、7、8歳で祖母の身体に惹かれる兆候を見せるが、それでも尚、ナツが置かれた状況、ハルナとアキオのどす黒い闇に比べれば、ごく普通の人間だ。
チェーンスモーカー、暴力性、けだるさ、それらはアキオの圧倒的な邪悪の前には、誰でも持ちうる日常の些細な闇にしか見えない。
彼はトラウマを抱えつつも、少し変わった自分の性癖に折り合いをつけて、豊かではないにしても生きては行けるだろう。ある意味本作で唯一希望が持てる人間だ。
だが、私が予想せずにはいられないのは、アキオに何かを打ち明けることで彼に近づいたが故に、ナツ亡き後のターゲットになるのではないか、という未来だ。
トウヤマは最後にアキオに何を告げようとしたのだろう。
自らのコンプレックスか、将来に対する不安か、アキオへの許しか、それはわからないままだ。
そのようなトウヤマの日常性を他所に、ナツは既に幻覚剤に深く蝕まれている。
それまでとらなかった行動をしているという記述がアキオの章にある。薬の量を増やしたかのような描写もある。
彼女はおそらく急速に弱っていき、アキオの腕の中で、物言わぬ小動物のように、よだれを垂らしながら静かに息を引き取るだろう。
そしてアキオは、次の目標を必要とする。
奇しくもトウヤマを永遠に我が物にしたいハルナが幻覚剤の供給係を務めている。
二人がトウヤマを第二のナツとして扱わないという保証はない。
その狂気はどのように発現するだろう。
トウヤマは祖母の幻覚を見ながらハルナと性交を行うかもしれない。
ハルナは自分の言いなりになった彼を、ペットを愛するように、深くいたわるだろう。
そしてアキオはその二人の交わりを見ながら暗い狂気に浸るのではないだろうか。
単なる計算高い女ではない、ハルナ
一見普通の計算高い女に見える彼女だが、その闇は深い。
彼女は整形して姿を変えていることを隠しており、トオヤマにそれを知られることを恐れているような描写がある。
一方、並行して真実の醜い自分を知ってほしいというゆがんだ願望もある。
アキオに幻覚剤を売っており、ナツにそれを飲ませている事も知っている。
ナツへの嫉妬から、積極的に殺したいとまでは行かなくても、死んでも構わない、という気持ちもあるのだろう。
そのように書くと普通のサスペンスドラマのようだが、彼女は自分自身の死や、周囲の全員への殺意も表している。
実際の殺人歴はないと思われるが、全てを壊したい、という退廃的願望があるようだ。
トウヤマの観察ではしたたかで、計算高く、生きる術を知っている。強い女だ。
セックスは「欲望の結果」では無く、「自分が女であることを認めて欲しいという声高な請求」であり、自意識の駆け引きとも見えているようだ。
ハルナの章の最後で母に電話を掛けるシーンがあり、これは母への想いや憐憫を表す心温まる描写に見える。
しかし彼女はそんなシンプルな人間ではない。
そのような殊勝な思いと並行して、母親であると同時に金づるである彼女を生かさず殺さず搾り取っていく、という行為を続けていくのだ。
そしてそのような汚い自分を呪い、しかし辞めると言う選択肢は選ばない。
容姿を美しく保ち続けること、アキオやトウヤマのような美しい男に惹かれ続けることを辞められない。彼女は苦しみながらもその甘美な闇から抜け出すことが出来ない。
アキオのような邪悪ではないが、深い深い闇に生きている。
本作が書く狂気
本作はさりげない文章でつづられているが、西加奈子最大の狂気を描いた作品だ。
彼女はどこにもたどり付けない人間を時々描くが、本作は最初にして最高級にドス黒い。
これ以前に書いたものでは「きいろいゾウ」である種の闇を書いているが、それはハッピーエンディングを迎えている。
この後「白いしるし」や「地下の鳩」でもダークサイドを描いているがそれらは比較的穏やかだ。
この闇をどうとらえるか、それを放置し、読者にゆだねるところもまた西加奈子作品の中で異色の味わいを放っている。
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