芳醇な白い球体のパズル。 - ラッシュライフの感想

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ラッシュライフ

5.005.00
文章力
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ストーリー
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キャラクター
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芳醇な白い球体のパズル。

5.05.0
文章力
5.0
ストーリー
5.0
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

普通の人々の本性

ラッシュという言葉を聞くと通勤ラッシュや帰省ラッシュなど、忙しない現代の普通の無個性な人達の生活が連想されないだろうか。

しかしこの「ラッシュライフ」と名付けられた小説の中には所謂「普通」の人など存在しない。泥棒で生活している男、神様を妄信する自死遺族の青年、不倫相手の妻を殺そうとする女性カウンセラー、無職になり自暴自棄になって泥棒をしようとする中年男、などなど。あらすじだけ読むと何でもありの派手なミステリー小説のように思える。

しかし実際に読んでみるとこの小説のテーマは現代の人間の思う普通とは何か?幸せとは何か?というひたすら根源的で地味なテーマであると気付く。

この小説の中の登場人物は読者から見るとかなり異質であると感じられるが、当の登場人物達はまったく自分を普通であると認識していると感じられるセリフの言い回しが多い。

それ故いっそう読者達にとって登場人物達の異質さが感じられるのであろう。考えてみると現実に生きている読者達の真の姿なんていうのもこの小説の中の登場人物達と大差なく、笑顔で同級生をいじめる子ども達、仲がよさそうで実はいがみ合っているママ友グループ、出世なんか関係ないと表向きは言いつつ同僚たちの動向を逐一チェックしている会社員、私なんかブスだからと自虐しながらも「かわいい」という言葉を他人に強要する若い女性達、普通の社会生活を送りながらも虚構と現実を区別できなくなるほどにSNSやオンラインゲームにのめり込んでいってしまう若者たちなどはこの小説の中の登場人物になっていてもおかしくないのである。

普通の人が一番怖いという言葉が実感できるようなゾクッとする場面も多々あり、ミステリーと共にホラーの側面から見ても楽しめる。 

脱皮の切なさ

著者である伊坂幸太郎さんの小説はどの作品も謎が解ける時の疾走感や爽快感がずば抜けており、読んでいるとスカッとするという読者は多いいだろう。

しかしこの作品だけは読了後に疾走感や爽快感だけではなく、何とも言えない切なさも多分に感じられる。その切なさは物語の最後で職を失って自暴自棄になった豊田が、今までの自分から脱皮するかのように強くたくましく生きようと決心する場面に集約されている。どんな人にもそんな時期があるのではないか、豊田のように情けなく小さな自分自身に打ち勝ち、脱皮するという体験が。例えば受験、就職、結婚などの大きな人生の節目、あるいは自分が今までどうしても勇気が無いために手を伸ばさなかったものに挑戦しようとした時、苦境に真正面から立ち向かおうと決意した時。豊田に感情移入しながら読んでいると思わず涙腺が刺激される場面であるが、ふと読み終わった後冷静な思考が切なさを連れてくる。

現実を生きている私達はその素晴らしい決意後にやって来る辛苦を知っているからである。

大きな決断には必ず大きな犠牲が伴う。その犠牲になったものの大きさに気付くのは決意し、行動し始めた後である。

豊田だけでなく、この小説の登場人物達はこの物語の後どう生きていくのか。

犠牲になったものが何かも分からないまま、自分の信念だけを頼りにゴールが何かも分からないままひたすら突っ走るように生きていくのではないか。

そんな痛々しいほどに切ない傷だらけの姿が想像できないだろうか。

複雑に見えて単純なパズル

この小説の全体像を端的に言うと壮大な騙し絵である。

しかし私はこの小説の全体像は複雑そうに見えて単純なパズルなのではないかと思う。登場人物達の行動が重なり合い、読者にとって一つの騙し絵のように感じられるように構成されているのは分かるが、登場人物達は一人一人に強い個性があり、小説内には一度も登場人物全員が会うシーンは登場しない。読み始めはバラバラにぶちまけられている極彩色で複雑な形のピースを前に読者は戸惑ってしまう。読み進めていく内に真相が明らかになっていくと同時に、どこにもはまらなそうなほど複雑な形のピース同士が連結し出し、最終的に予期していた完成図とは程遠い単純な形のパズルが出来上がり、読者はいい意味で度肝を抜かれるのである。

個人的に私は読み進めている時にはこんなにも複雑で多彩なピースが最終的に上手く組み合わさるのであろうかと心配になっていたが、その心配は杞憂に終わった。

この小説は何の着色もされていない白い球体のパズルであった。読了後には伊坂幸太郎ワールド独特のさわやかさと疾走感と少しの切なさを感じながら、出来上がったパズルの肩をすかすほどの単純さと、中身がぎっしり詰まっていると分かる重さを存分に味わうことが出来た。

私はシンプルで明快な結末が伊坂幸太郎独特の飄々とした小気味良い言葉でなんともあっさりと言い切られているところも、余韻に長く浸ることが出来てとても気に入っている。

この小説の最初と最後にふさわしい言葉。

ラッシュライフ。

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