父親不在の父親殺し
「ファイトクラブ」というとどのようなイメージだろうか?ある人は暴力的な映画というだろうし、ある人はカルト的人気を誇るカリスマ映画というかもしれない。今日はそのどちらでもなく「父親と息子」の話としてこの映画を考察してみたい。
父親と息子
なぜ「ファイトクラブ」が父親と息子の話になるのか?と思われるだろう。父親なんか一度も登場していない。(逆にそれがポイントだったりするが…)この点について考察する前にハリウッド映画の根幹にあるテーマについて触れておこう。それが「父親と息子」なのだ。あらゆるハリウッド映画にはこの考え方が浸透している。父親と息子の関係を描いていて、息子(主人公)が父親の愛を勝ち得るために奮闘したり、父親という存在を乗り越えて成長していく姿が描かれている。
分かりやすい例としてジェームズ・ディーン主演「エデンの東」は父親に愛されない次男が父親の愛情を勝ち得るために奮闘する。さらにSF映画の金字塔「スターウォーズ」では息子が悪の提督である父親を倒す話となっている。アニメなどで言えば「レゴムービー」では父親と息子のレゴに対する価値観のズレを描いていた。その他にもたくさんあるがあらゆるジャンルで「父親と息子」の話が描かれているのだ。これはなぜだろうか?なぜ「母親と息子」ではないのだろう?
これはおそらくキリスト教が関係していると思われる。聖書の中では神は父親として描かれており、人間は主に息子として描かれているからだ。ゆえにアメリカでは父親の存在というのは非常に大きい。父親は聖書の神のように愛情深く家庭を世話しなければならない。父親は家庭を守り、子供を自立させるための手助けをしていく。その過程で子供(息子)は父親を乗り越えて一人の大人となり、新たな家庭を持つことになる。
父親不在
アメリカ家庭では父親の存在というのは子供にとって非常に大きな存在だということがわかった。ではここから話を「ファイトクラブ」に戻そう。実は本編ではほんの数分なのだが非常に重要なシーンがある。風呂場で主人公とタイラーがこんな話をしている。
「誰と戦ってみたい?」「父親」「僕は父親をよく知らない」
この言葉からわかるように主人公は(タイラーも)母子家庭で育った。父親不在家庭だ。ゆえに主人公を導き自立へ促してくれる存在がいないのだ。その点を主人公もこう語っていた。
「結婚できない…30になっているのに」
つまり精神的にまだ未熟であることを表している。(ちなみにアメリカの若者たちは結婚する年齢が日本より早い。10代後半から20代前半で結婚する。20代後半ではもう遅い)父親に大人へと導いてもらっていないからだ。その会話の中で年に一度父親と電話することが語られる。
「大学行ったら次は?」「就職しろ」「就職したら次は?」「結婚しろ」
これは父親に導いてもらいたいという子供の願いが含まれている。どう生きたらいいか父親からアドバイスが欲しいのだ。だが1年に1度の父親の声では本当に導いてもらっているとは言えない。ゆえにこの主人公の導き手を求める願望がこの「ファイトクラブ」の根底にあると言っても過言ではない。この映画の裏テーマは父親への愛着である。
では主人公は導き手を求めるために何を行なっただろうか?この点は非常にわかりやすいし話を面白くしているポイントでもある。タイラー・ダーデンを人生の師匠としたのだ。タイラーは主人公が持っていないものを全て持っている存在だった。ルックスが良くて賢くて実行力のある人間。まさに自分の理想とする存在を主人公は”父親”としたのだ。
父親殺し
ハリウッド映画における父親と息子の話に戻る。ハリウッド映画において息子はいかにして父親を乗り越えて成長するかが物語の柱になっている。この父親を乗り越える作業を「父親殺し」という名前をつけた本がある。(島田裕巳著「映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方」)なぜ「父親殺し」というのかはその本を参照していただきたい。父親という存在を乗り越えた時、一人の大人となるので厳しい言葉で言うと父親は不要になる。(「スターウォーズ」では本当に父親は死んでしまった)ハリウッド映画の最後ではこの「父親殺し」が行なわれるのが習わしだ。
では「ファイトクラブ」ではどうだったか?この映画でも「父親殺し」は行なわれた。ラストで主人公はタイラーの暴挙を止めようとする。ビルの地下にセットされた爆弾を解除しようするが、タイラーにコテンパンにやられてしまう。タイラーに捕まってしまった主人公は最後に拳銃で自分を撃ちタイラーを倒したのだ。正確に言うならばタイラーと融合したのだが。このタイラーを倒したことが、主人公が”父親”を倒し自立した大人となった瞬間である。大人となった後の主人公の言動や行動に注目してほしい。今までとは別人である。融合した影響もあるがハリウッド映画でよくある父親を乗り越え成長した後の主人公の姿である。タイラーと融合した主人公を演じたエドワード・ノートンさすがである。
この映画の評価は言うまでもないだろう。今では次世代の「タクシードライバー」とまで言われているカリスマ的映画となった。だが自分は別の面でも新たな映画が作られたと感じた。この映画は単なる「父親殺し」の作品ではなく「父親不在の父親殺し」映画だと。
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