現在にも通じる教えがたくさん入っています。
夫婦のあり方を教えてくれたハリソンとエミリー。
アンの青春の中でなぜか一番心を惹かれてしまうグリンゲイブルスのお隣に越してきた散らかった部屋に住む無礼で口悪いハリソンさん。初めはなんてアンシリーズに相応しくない登場人物だなんて思ってしまったけれど読み進めていくうちに、セリフ一つ一つに綺麗ごとじゃない、真っすぐな愛情深い優しさがあって、いてくれたらなんて有り難いお隣さんだろうと最後には思ってしまいました。大切にしていたオウムのジンジャーが雷に打たれて死んでしまったと同時にどうしてもそのオウムを飼うことは許せなかった前の奥さんエミリーが戻ってきてた。このエピソードにはとても深い意味がある気がしました。つまり誰かを大切にして一緒に暮らしていくには、自分が大切にしているものでも時として手放さなくてはならないということです。エミリーがもう少し心広ければとも思いますが、それは好きになったほうが負けということかもしれません。ハリソンさんにとってエミリーが何にも変えられない大切な人だったのは紛れもない事実ですから。エミリーが帰ってきた後急に身なりがきれいになり、奥さんの尻に敷かれながらも嬉しそうなハリソンさんもたまらなく好きです。幸せになれて本当に良かった。
曲がり角の先のお話。
人生に降りかかる出来事を曲がり角ととらえたアンが、最初の曲がり角の先に見つけたのは教師とアボンリーの町をよくする改善会の仕事でした。作者であるモンゴメリも教師の仕事についたことがあり、この曲がり角という言葉はモンゴメリ自身の生まれてすぐに両親を失いその後祖父母に育てられたという境遇の中で経験した様々な経験や試練の中から彼女自身が起こりうる出来事を(良いことも悪いことも)曲がり角として前向きにとらえそれらを乗り越えていったのではないかと推測させます。ちなみに朝ドラの「花子とアン」でもでてきて、とても嬉しかったです。
アボンリーで育ち、アボンリーのために働く。
孤児だったアンがアボンリーで心ある人たちと心ある触れ合いの中で成長し、そして今度は町を良くしようと積極的に加わっていく姿は、今の時代にも通じるとても健全な人間の成長過程のように思われます。対照的に現在日本では地方で生まれ育った若者が就職する時期になるとどんどん都心に流れてしまっていて、それはどうにも奇妙なことに思われるからです。小さな町の中で生まれ、小さな町のために働き、そして死んでいく、そんな普通なことの中に普通な幸せがあるのではとこの本を読んで考えるようになりました。
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