小説とエッセイのギャップMAX、文学界のツンデレ姫ーそれが小川洋子 - 妄想気分の感想

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小説とエッセイのギャップMAX、文学界のツンデレ姫ーそれが小川洋子

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目次

考察のためのデータ

小川洋子2011年刊行の11作目のエッセイ集。11作目にして本作は音楽でいうところの「ベスト盤」といえるだろう。と言うのは、初出1991年という刊行より20年も前のエッセイもあれば、おそらく2010年に書き下ろした10編(刊行が2011年1月なので執筆は必然的に2010年であろう)もある。内容もデビュー当時やそれ以前を回顧するもの、自己の著作に触れるもの、お得意のペットや家族ネタ、これまたお得意の自虐ネタなど、多種多様でまさにベスト盤的内容だ。

小説なら過去作を全集として集める場合も多い。既に存命でない昭和以前の文豪であれば随筆集という刊行の仕方も珍しくないだろう。しかし存命の、著名ではあっても大御所という齢でもない作家でこういったエッセイ集が出るケースは少ない。ではなぜ小川洋子はこのような扱いを受けるのか。小川洋子のエッセイについては私は過去に何度も感想を述べ、自分なりの考察もしてきた。本サイトの「カラーひよことコーヒー豆」の考察では、彼女のエッセイの魅力を3つにまとめてみたので是非参照していただきたい。

ここではエッセイ単体の魅力の考察ではなく、エッセイ集としての価値を考えたい

小川洋子中毒者のできるまで

まず代表作「博士の愛した数式」を読んでファンになった、という読者が最も多いと思うが、この作品は読者の年齢や性別、社会的立場を選ばない。性的表現や暴力的表現を含まないので間違いなく中学校の図書館にもあるだろうし、主人公は主婦であるのでその目線で読んでも共感は持てる。またルート少年を愛する博士には壮年の方でも通じるところがあるだろう。つまり誰もが手に取りやすい作品だ。さらに内容は数式の説明部分を除けば読みやすく、意外とスリリングな展開もあって読み飽きることなく読み進み、そして終盤ではほぼ確実にカタルシスを得られる。小川ワールドの入口としては完璧な作品だ。

この作品で小川洋子世界に踏み込み、次にどこに行くか、著作の多い作家なのでむろんこの先はケースバイケースなのだが、方向性はおおむね以下の3つに分かれると思う。

ひとつ目は本書のようなエッセイ集を手に取った場合だ。彼女のエッセイは非常に読みやすい。主婦層であれば、日々のあるあるネタに共感できるし、「博士の愛した数式」を面白いと思った若者であれば彼女の真摯な文章に惹かれるだろう。また彼女の文学性に着目した玄人読者は彼女のエッセイ集に一度は登場する「文筆への探求心」や「先輩作家へのリスペクト」に心を打たれるはずだ。このパターンはわかりやすいジャストミート路線でまた別の小川作品にいざなわれていく。

ふたつ目は「ことり」「いつも彼らはどこかに」「海」などの、やはり比較的読みやすい、不思議感はあるけど心を打つといった作品に触れた場合だ。この場合、二つの感動作に出会ってもう一つ小川作品を読みたくなっていることは容易に想像できる。そしてこの人たちはいずれ数多いエッセイ集のどれかにたどり着く。

問題は三つ目、少し不思議で不気味さも漂う、しかし選び抜いた言葉の博物館のような「完璧な病室」「まぶた」「妊娠カレンダー」などに出会ってしまった場合だ。正直このパターンの場合、ここで脱落してしまうケースがあることは否めない。「博士の・・・」はすごくさわやかで感動したのにこの不気味な話はなんだ?本当に同じ作家なのか?という感じだ。しかし、ここで彼女の文章の美しさ、その一つ一つの言葉を吟味しぬいたとも言える手の込んだ世界にもし気付いたら、小川洋子という人そのものに興味がわくはずだ。そしてその人たちは小説ではなくエッセイを手にするだろう。どのようにしてこのような世界が生まれるのか知りたい、と思うからだ。

こうして今日も小川洋子中毒者が生まれていく。そしてその人々は新旧のエッセイに出会い、20年の歳月を経ても変わらない彼女の文章力と執筆に向かう真摯さを再確認する。

小川小説は読者選ばない、しかしエッセイには激しいギャップが!

小川洋子自身は1962年生まれ、2016年現在50代中盤だが、その作風はどうか。

小説はどの作品も流行性はなく、かといって回顧的でもない。キャッチーさや風刺性とも縁遠く、年齢性別を問わないものが多い。ところがエッセイでは、はっきりと彼女のおばさんとしての日常や、デビュー当時あるいはそれ以前の時代を回顧する話が多い。若いころの話でもおしゃれや恋愛などの浮いた話は壊滅的に少なく、どちらかといえば自虐ネタ、節約ネタ、孤独ではあったけど全然楽しく生きていたわ私ネタの連発で、普通に血が通ったおばさん像がこれでもか、と書かれている。これはかなりのギャップである。小説のの不思議な浮遊感、異世界感と真逆の人間味がある。ツンデレと言ってもいいかもしれない。そしてそれがどの時代を切ってもほとんど変わらない。このあたりが過去のエッセイをいまだに世に出す価値の一つになっていると私は推測する。

もう一つ彼女のを語るときに常に書くことだが、どの時代、どの作品でも彼女の言葉選びには妥協がない。小川洋子が村上春樹に影響を受けたことは有名だが、その村上春樹は愛著グレートギャツビーを語るとき「1ページとしてつまらないページはなかった」と言っている。それを引用して小川洋子作品を愛する私はこう言いたい。

「彼女が選ぶ言葉は一つとしてつまらない言葉はなかった」と。それは小説であれエッセイであれ同様だ。彼女のエッセイはさらりと読み終えることができる。それは内容が薄いからではない。言葉選びが巧みで、文章がまさに澄んだ小川のようによどみなく流れていくだからだ。本書を冒頭で音楽で言うベスト盤と書いたが、音楽では時代の流れに合わせてリメイクする場合も多い。しかし、彼女のエッセイは20年の時を経てもそのまま読める。それほどに色あせない文章なのだ。

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