作品は最高、でもあとがきはちょっと・・・
ラストの解釈?そこは個々でやってください
本作について語られるとき、一般読者サイトでは必ずと言っていいほどラストで葉子がどうなったのか、という点にフォーカスが置かれる。「あのひと」に会えたのか、会えなかったのか、生きているのか死んでいるのか。読んだ人間は当然考えるだろうが、クイズでもないし、結論を出すべきなら作者も書いているはずで、書かれていないという事はどうでもいいことなのだ、と私は思う。書き手側、江國香織にとってはあのシーンでこの作品は終わっているのだ。語るべきはそこではない、と私は思う。
今回私が語りたいのは「あとがき」についてだ。新潮社の文庫では物語終了直後に作者のあとがきがついている。このあとがきの「狂気の物語」とか「私の書いたもののうち、いちばん危険な小説」とかの表現がまた長年の論争を呼んでいる。この解釈自体も私はどうでもいいと思っている。言いたいのは、この結末を放置するタイプの話で何故作者のあとがきを付けるのか、という点だ。
小説世界の中では作者は当然「神」である。登場人物が勝手に走り出す、という話も良く聞くし一応作家志望の私もそれを味わったことはある。とは言え、作家自身が「こいつは死ぬ」と決意していればその人物は死ぬし、「幸せになる」と思えばなるのだ。
特に読者にとっては作者の言葉はまさに神の声だ。作者は続編を書くこともできるが、読者側にとっては勝手に想像することはできても、それはその世界の公式ではない。2次創作の世界が独り歩きして何が公式見解なのか分からなくなるようなアニメもあるが、当然本作はそういった種類のキャラクター小説ではない。
それを踏まえてあとがきを再読する。読むたびに怒りがわいてくる。私の中でこのあとがきさえなければ、「神様のボート」は江國香織作品のベスト1だ。しかしこの存在のため4つか5つ程度順位を下げる。
謎を謎で返すなぁっ! 江國香織ぃーーーーっっ!
私は江國香織に言いたい。「謎で終わった話に欄外でまた謎かけをするな」と。
せっかく草子と葉子の物語に一旦決着がつき(その後どうなるかは個々の読者の胸にゆだねるとして)物語の余韻に浸っている時に、この余計なあとがきだ。正直なところこの2ページでお話をぶち壊している、とさえ思う。作家は本編の中でのみ語るべきだ。当然小説や本の存在が営利目的である以上、結末に謎を残せばいろんな人から「あの後どうなったのですか」と聞かれるだろう。ここであるべき答えは「そこは皆さんにゆだねます」的な回答だろう。それをぺらぺらしゃべるくらいなら謎にせずに結果まで書ききってしまえばいいのだ。何年、何十年もたってのコメントとかならまだしも、直後に語ることではない。
そういう意味であとがきなど載せるべきではないと私は思う。書いて良いとすれば、読者や関係者への感謝、あるいは取材対象などに幾つかの視点がある場合などの注釈、お詫びなどだ。もう少し許すとすれば書いている時や書き上げた後の、作品世界の神ではなく自分個人としての生活などだろうか。
そもそも論になるが、多くの本に掲載されている巻末の「解説」、これっているのか?と思う事がしばしばある。解説を先に見てから買うか買わないか、読むか読まないか考える、という人もいる。そういう人はその解説した人物の作品を読めば良いのでは?と言いたくなる。あくまでもそこはおまけで作品ではない。何故その部分で作品を決めてしまうのか、全く理解できない。その人が文章が下手だったら面白いかもしれない本編に巡り会えずに終わってしまうかもしれないのに。そういう観点で考えると巻末の解説って不必要どころか害にすらなることも多いと思う。
仮に役に立つ事があるとすれば読書と作文が不得意な小中学生が読書感想文の宿題をクリアするために、内容を読まず感想だけ読んで書く、という場合くらいだろう。
もし巻末の解説がないと売上が下がるとすれば、いっそはっきりおまけ的なモノにして、作品そのものとは無関連の作者の私生活エッセイなり4コマ漫画なり(当然漫画の作画は別のプロが行う)の方が良いと思う。内容に大きくかかわらないが作中の名場面をパロディ化する、などどうだろう。作者が執筆中に聞いたBGMのリストとかもアリかもしれない。何しろ巻末のスペースを利用するなら、作品自体を再読する窓口にしたり、作家自体をアピールする場とすべきだ。多分純文学系には困難な選択だろうが・・・
そういう転換が無理なのであれば無駄に解説に金など書けず作品だけで勝負した方が良いだろう。
本が売れない、とか出版業界は日々叫んでいるが、当然だと思う。単行本にしても文庫本にしても何十年も前からスタイルが変わっていないから、新世代に受け入れられない。当たり前のことだ。純文学の巻末に漫画が載っていると嘆く人もいるかもしれない。そういう閉鎖的な考えが文学事態の凋落を招いている。文学は文学で楽しむ方法、おまけはおまけで楽しむ方法を考えればよいのだ。
もし葉子と草子がこの解説を読んだら
たぶん巻末の山下明生の「エクニはオレが最初に認めてなんちゃら・・・」という解説を葉子が読んだら、煙草に火を付けつつ「くだらない」と言うだろう。たぶんその態度からその場所から一刻も早く立ち去りたい、と草子ならわかるはずだ。その草子は、何も言わず首をすくめるかもしれない。そのしぐさに困惑して「どう思う?」とか「だめかな」とでも聞こうものなら、「べつに」と言って背を向けるだろう。二人は世界一性格の悪い母娘なのだ。
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