女の強さ
誰の物でもない女たちの移ろいの物語
アネルが黙々と歩くシーンから始まり、シェルビーの結婚式へと続く序盤。内気なアネルが主人公かと思いきや、突如発作を起こすシェルビーを見て、彼女が主人公で、母マリンとの物語なのかもしれないと思う。しかし、シーンが進むにつれ頭角を現し始める中年越えの女性三人。これは一体誰の物語なのだろうかと、疑問が生まれたまま進む。120分で完結する映画というよりまるで10週にわたって放送する連続ドラマ並みに、キャラクターが濃い6人の女性の話が展開されていく。特にウィザーとクレリーはまさに女の友情物の連ドラにはありがちなキャラクターである。さらに展開されるシーンでも、マリンが娘の妊娠を喜べないのに対して彼女たちが励ます様子や、葬式でマリンがヒステリックを起こした時の彼女たちの対応方法は女の友情物の連ドラでよく見るパターンである。本作が1989年の物語であると考えると、もしかすると本作がそういった女の友情物の原点なのかもしれないなどと思った。本当に女優陣が誰一人引けを取らないことで、タイトルの「マグノリアの花たち」通り、一輪の花、一人の女の物語ではなく、たくましく生きるアメリカ南部を象徴する6人の女たちの物語になっていた。
本作が元は舞台脚本であったと知ると、そういった物語の構図は目新しいことはないが、本作の良点は移ろいを意識した魅せ方である。これが、空間で魅せる舞台とは違って、一方通行の映像表現において、綺麗に物語が積み上げられ、6人の話であっても、一本の気持ちいい軸を築くことができた。イースターの結婚式から始まり、クリスマスでの妊娠発表、誕生と手術、ハロウィーンからの葬式、そして再びイースターで新たな命が産まれる。アメリカ南部がキリスト教の信仰が強いだけに、こういった魅せ方が自然なのかもしれないが、この移ろい、もっと言うならば、始まりのイースターからの葬式、再びのイースターという流れはまさに生命の輪廻を描いているといえる。筋道だけではなく、演出にもその工夫を感じる。おそらく時代が時代だけに、女優陣の髪型から全体にわたって華やかさを通り越してクレイジーなのは当たり前なのだろうが、これが功を評して、後の葬式の質素さ、物むなしさを引き立てる。そして、ラストのイースターで華やかさを表現し、終わりとして広がっていく解放感に繋がったと思う。
はじめに感じたまとまりのない不安感など馬鹿馬鹿しく思えるほど、快活な気持ちのいい女たちの物語だった。
母親マリンの視点と作者の視点
女6人の物語とはいえ、マリンとシェルビーの母娘の話が中心であるのは間違いないし、とても惹きつけられた。特にシェルビーが妊娠を報告したシーンと葬式のシーンは印象深い。娘のことを心配するあまり素直に「おめでとう」を言ってあげられない母と、やっぱり母にこそ「おめでとう」と祝福してもらいたい娘。本来ならけんかになるようなことではないのに、けんかになってしまうもどかしさといい、最終的に娘の意志をどうにもできない母の姿には切なさがこみ上げる。そして、葬式での母のセリフは号泣ものである。「この子の旦那と父は耐えかねて出て行ったけれど、私だけが残った。生まれてからを見守り、死ぬ瞬間も見守ることができたのは幸せだ」というセリフには女親の強さと、親として子に先立たれる辛さの両方が表現されており、ぐっと心に刺さった。
この二シーンは脚本家のハーリングが自身の実話を元にしていたということで、かなり濃厚に書かれていると感じる。自身の妹へ、何故自分の命を捨ててまで子供を産んだのかという問いかけと、そして先立たれた悲しみをハーリングはマリンにのせて、描いたのだろう。シェルビーの旦那の描写があまりないのは女たちの物語だから当然と言えば当然だが、ハーリング自身が母親としての思いに近かったからであろう。旦那の描写がしっかりしていると単なる余命物になってしまっていたと思うので、そこは幸いであった。しかし、ハーリングは男性ということもあり、いくらかマリンの言動に違和感を生じさせたと思う。それは、妊娠報告を受けたときの頑なさである。同じ女として子を産みたい気持ちはどこかでわかるはずであり、あれはあまりに頑なすぎたと思う。いくら娘の体が心配でも、嫁に出したからにはもう自分の所有物でないと意識して、二人のけんか中どこか譲る部分をマリンは出すべきだったと思う。結果としては時間が解決したようであるが、あのシーンは母親のマリンを観たというより、どこかハーリング自身の嘆きの方を強く感じた。
舞台脚本原作というだけに面白いセリフの数々
舞台脚本が原作ということもあり、繰り出されるセリフが面白い。確かにリアルを逸脱している部分もあるが、作品を単にしんみりさせない快活さを与えていたので良かったと思う。特に二つのセリフは印象的だった。
まず、マリンとシェルビーのけんかのシーンでシェルビーが「長い一生よりも幸せな30分を選ぶ」と言ったセリフ。舞台ではよく「何分後に○○」と言って本当に○○になるのはよくあるパターンなのだが、まさか映画でこのセリフを言われると単にセリフとしてスルーしてしまったが、実際に30分後ぐらいのシーンで死んでしまったわけであり、びっくりした。途中で手術も受けていたことからまさかそんなことないだろうと思っていたので、度肝を抜かれたわけである。
もう一つのセリフはウィザーが「早く死にたいからトマトあげるわ」である。後々マリンたちのことを思い、失礼だったと気にもしていたが、本来はウィザーのこの生き方はいいと思った。健康を、健康をと思い求めるミミッチイ生き方より、我を通して生を全うできた方がかっこいいし、それをこうさらっと言えるのが素敵である。
どちらもパンチのあるセリフで、たくましい女性を表現していて、とても良かった。
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