善悪を越えて痛快な感覚をもたらす - ソーシャル・ネットワークの感想

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善悪を越えて痛快な感覚をもたらす

4.54.5
映像
4.7
脚本
4.3
キャスト
4.6
音楽
4.5
演出
4.7

目次

現代のありように最も大きな影響を与えた人物のひとりを描く

子供が時々、学校の図書室から本を借りて帰って来ます。歴史上の人物のいわゆる「偉人まんが」にはまっている彼が、今度はどんな戦国武将やら、ある いは科学者なんかの本を借りて来たのかと思って見てみると、表紙に「スティーブ・ジョブズ」と書いてあるのを見て、私は少なからず驚いてしまいました。

まだ亡くなって間もない、そして彼 が為して来たことの意味を総括するには、まだしばらくの時間を要すると思われる、更に色々といわくのある人物である(まあそれは多くの偉人と呼ばれる人々 に当てはまることなのですが)、そんなまだ生々しい存在であるジョブズという人を子供向け「偉人」のカテゴリにこうも早々と入れてしまっているのだな、と いう驚きです。

私たちを取り巻くいわゆる「グローバル化」された環境は、その極まり方のスピードに人間の体が追いついて行けないという様相を呈していて、こんなことまでできるんだという驚くほどの利便性や高い効率をもたらすと共に、あらゆる層において大きなひずみを生んでいます。

何かひとつを原因として、そこを変えれば全てが変わるというような単純な問題では全然ないにせよ、多くの人が「今の社会の有りようについて最もドラスティッ クに影響を与えた人物のひとり」として、スティーブ・ジョブズ、あるいはビル・ゲイツ、そしてこの作品の主人公であるマーク・ザッカーバーグの名をそのリストのトップに載せることに異存がある人は少ないでしょう。

映画「ソーシャル・ネットワーク」が製作されたのは2010年。その当時ザッカーバーグはまだたったの25才。監督のデヴィッド・フィンチャーが繰り返し強調するように、この作品があくまで事実の設定を借りたフィクションであるということを差し引いても、この作品が、マーク・ザッカーバーグというアメリカ人の青年が「生きる伝説」(それは当然良い伝説だけとは限りません)たる存在になったことを示す、ひとつの役割を果たしている作品であるという部分は否めないと思います。
そのような人物を物語の中心に据えたゆえに、この作品は一つの時代のありようを丸ごと大きく切り取った実感のあるリアリティを感じさせてくれます。

端役に至るまでエキサイティングな配役

映画は、ある賑わったカフェの中で向かい合って口論する若いカップルを横顔で捉えたショットのシーンから始まります。
カップルはジェシー・アイゼンバーグ演じるマーク・ザッカーバーグと、ガールフレンドのエリカ。ケイト・マーラの妹であるルーニー・マーラが演じています。お姉さんのケイトも魅力的ですが、ルーニーは新作「キャロル」で ケイト・ブランシェットとW主演を果たし、カンヌでは主演女優賞を既に受賞し、同年のアカデミー賞にもノミネートされており、今最も注目すべき若手女優のひとりになっています。私はこの作品で初めてルーニーを見ましたが、正統派の美人ながら、意思的で奇妙に印象に残ったのを覚えています。
冒頭のシーンで破局するという脇役ながら、終始マークが執着しつづけるという役どころ。それに見合った存在感をしっかり醸していたと思います。

余談ですが、この作品の次にルーニーを見たのは「ドラゴン・タトゥーの女」で、やはりフィンチャーの作品ですが、これでもう私はノックアウトされてしまいました。ニューヨークのセレブリティの家系に生まれ育ちながら、この輝くような、そして大きな闇を含んだ才能のきらめきって一体何なんだろう、と個人的にとても興味がそそられます。その後もソダーバーグの「サイドエフェクト」でいかんなく本領を発揮していたし、差し当たっては、もうすぐ公開される「キャロル」が楽しみでなりません。

脇役のル―ニーのことで長々と脱線してしまいましたが、主演のジェシー・アイゼンバーグもとても好きで彼の作品は殆ど見てますし、ショーン・パーカー役のジャスティン・ティンバーレイクも、エドゥアルド役のアンドリュー・ガーフィールドも、そしてウィンクルブロス兄弟を一人二役で演じたアーミー・ハマーも、皆魅力的で、書き出したらきりがないというかんじです。

要は、フィンチャー映画は、キャスティングがいつも気が利いていて、華やかで、観る者をエキサイティングな気持ちにさせてくれるのですよね。

隅々までよく練られた、痛快なフィンチャーの代表作のひとつ

冒頭のカップルの会話に戻りますが、このシーンは非常にエキサイティングでもあり、いかにもフィンチャーらしい演出です。早口でたたみかけるように相手をやりこめるマークが、いかに秀才で頭がよく回り、でもどんだけ男子として要領悪く不器用で、彼の持つある種のコミュニケーション障害的な過剰性も端的に描かれています。

全体を通して、話の展開も流れよく良く練られていて、あれよあれよという間に手に負えないほどに自己増殖してゆく「facebook」のある種の怪物性や、終始どこか現実味を欠いたふわふわした存在で、人として何かが欠けたしかし圧倒的にイノベーティブな才能を持つ主人公マークの存在、「facebook」という巨大ビジネスに群がり翻弄される人々の姿など、優れてエンターテインメントでありながら、どの面においても素晴らしく描かれていると感じます。

そして、あらゆるデヴィッド・フィンチャーの映画がそうであるように、善悪を越えて痛快な感覚をもたらしてくれること。私が彼の映画を愛好する理由を端的に言うとすると、結局このひと言になるような気がします。

反社会的でありながら、ぎりぎりのラインで爽快、と表現できるのがフィンチャーの映画で、その塩梅が好み、でした。過去形なのは、近作「ゴーンガール」がちょっと期待はずれで、爽快とは言い難かったため。どちらかというと、ソダーバーグ寄りになってしまったというか・・・。ちなみにソダーバーグ的というのは、いかにも賢そうに見せて陰湿にひねくれているという私の独断と偏見に満ちた形容詞です。どんなに残酷でもどんなに破滅的でも、どこかロマンチックで可愛らしさを持ったフィンチャー映画を楽しみに、次作に期待したいところです。

そういう意味でも「ソーシャル・ネットワーク」はフィンチャー映画の中でも時々見返したくなる、大事なお気に入りの一作なのです。

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