自分の殻を破る、青春小説
19歳の綿矢りさ。
小説が好きな方なら知らない人はいないでしょう。世間が湧きましたね。昨年の芥川賞である「火花」が売り上げ最多記録を余裕で抜きましたが、文藝春秋の売り上げ最多記録はこの「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」が載った号が未だに歴代一位を獲得しています。綿矢りさ先生が19歳、金原ひとみ先生は20歳。現代小説の新しいステージが始まったと多くの大御所作家たち、または書評家の方が口にしています。それだけセンセーショナルで、歴史ある小説の世界で一つの目印をつけた作品がこの「蹴りたい背中」です。19歳とまだ大人へ踏み込む前だからこそ作ることのできた小説だと私は思います。垢にまみれず、若者だからこそ見える世界での、大人にはわからない感情、感覚、感性。全てが揃っていると思います。
蹴りたい、けど、蹴る資格がない。
クラスのあぶれ者である主人公は、1人でも平気よ、と髪をなびかせ、悠々と学生生活を送っていました。みんなは無理して周囲に溶け込み、話を合わせ、自分を偽り、1人になりたくないからこそ群れる、軽蔑すべき対象です。そんな人たちとは一緒の括りにされるなんて御免だわ、と思っています。私は集団でいたくもない人たちといるより1人を選ぶ、虚しくなんかない、惨めなんかじゃない、むしろ気高いわ!なんて思っているんでしょうね。理想はそうなんでしょうね。けれど、現実は違います。仲の良かった絹代は早々と周囲に溶け込み仲間に加わり、笑いたくもないのに笑顔を作り周りに合わせ、主人公のハツから離れていきます。しかし、絹代は見放したわけではなく、何度も仲間に入ろうとハツを誘うのですが、ハツは上記で書いたように"仲間"といわれる人々を軽蔑しています。当然、誘いを断るのですが、自分が可哀想な存在だと思われるのも自分で認めるのも嫌だと強く思っています。
そんな中、同じようにあぶれたお一人様の男の子がいました。その子の名前はにな川。彼は完璧な孤高の人です。女性ファッション誌を授業中に見て、誰とも世界を共有しようとしません。誰にも理解されなくても平気でいれるだけの自分の世界を持っています。
憧れ、羨望、敗北感。自分は周りが目について、周りの動きに敏感で、より自分を惨めにしています。けれどにな川は周囲の変化を一切気にせず、自分の世界だけを守っています。その姿勢は強固で、いくら貶めようと思っても彼は怯みません。彼の猫背が余計に主人公を苛立たせます。本来なら自分がそうありたい存在だったのに、その位置を獲得しているのはにな川という不気味な男子。その事実に腹が立って、自分の所在ない心もとない気持ちも救えないで、主人公はにな川の背中を蹴りたくなります。でも、主人公の中で優位な立場であるにな川を蹴るなんて、そんなことはできないのです。
神格化された憧れとは世界を相容れないこと。
仲良くしたい子だけと友達でいることを許されない、ちっぽけな社会性。ネットワークの狭さに、暗黙の了解の多さ、うんざりしていました。特に女の世界は集団でトイレに行き、集団でお弁当を食べ、1人になりたいと一度誘いを断れば、次の日には別人にでもなってしまってわたしだと認識してもらえないのだろうかというほど、存在を無視されます。もう上辺だけを取り繕って付き合う交友関係に疲れ、わたしはひとりになりました。けれど、主人公と違うのは、同じ匂いを嗅ぎつけて仲良くなった友人がクラスにいた、ということ。あと、単体同士でなら、普通に誰とでも話せたこと。主人公は遮断しすぎていると思いました。相手を知ろうとしない。もはや他人に興味すら湧かない。仕方のないことですが、それでもいいとは思いますが、食わず嫌いは頂けないなあと大人の意見として、主人公に言いたいです。
けれど、高校生くらいの複雑な時期に、そんな正当な大人の意見が受け入れられるわけがありません。大人になんかわかられてたまるか!と思うでしょう。それほど、学生時代の友人との距離感は難しいのだと思います。大人の世界でも子どものような人は多くいますが、嫌いな人とプライベートまで付き合う必要のない大人の世界は、割り切ることが容易なのだろうと思いました。
世界が一つしかなく、しかも、仕切りがあまりにも薄くて弱くて、常につながっている関係がどれほど息苦しいか。断ち切りたくても断つことのできない狭い世界は、一度暗くなると、光が差し込むのに時間がかかります。これは、未成年特有の不自由さであり、まだ親に守られているからこその悩みです。
その悩みを、主人公は包み隠さず態度にも言葉にも出しています。
直接クラスメイトには言いませんが、要らないプリントを細かく千切り、一切の交友を持とうとしません。ちぎってちぎって、自分のもやもやを積み上げていって、それを大事に抱えて守ろうとします。自分自信を大事にしているのです。小説の最初の方にそんな描写が書かれていますが、それがすべてなのだと思います。
この話は、殻を破ろうと必死にもがいている、違ったタイプの2人の成長過程を描いています。それがまた、胸に迫ってくるのです。こみ上げてくるものがあるのです。
まさにわたしだと読んでいて切なくなりました。わたしはここにいるし、わたしを歪めてまで周囲に馴染むことはしたくない。周りと同じことをして自分を見失うなんてしたくなかったのです。きっと主人公も同じように自分でありたかっただけなんだと思いました。
今の学生がどうやって友人たちと繋がっているのか、それがどのように実生活に影響を及ぼしているのかわかりませんが、綿矢先生と同世代の自分にとってこの作品は、生きにくい学校で必死に自分の存在を主張している学生がいることをぶれることなく描き切ってくれています。
嬉しかったです。同じような価値観を持っているということが、殻を破る2人の姿を見れたことが。
薄っぺらい大人にだけはなってほしくないと思いました。
他人に理解されなくても、自分をしっかり持った人間でありたいと思いました。
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