作家・芥川龍之介の晩年の創作上の苦悩を、赤裸々に吐露した、悲愴な人間社会への不信や、人生への絶望感が感じられる随想集「侏儒の言葉」 - 侏儒の言葉の感想

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侏儒の言葉

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作家・芥川龍之介の晩年の創作上の苦悩を、赤裸々に吐露した、悲愴な人間社会への不信や、人生への絶望感が感じられる随想集「侏儒の言葉」

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作家・芥川龍之介の作品は、常に意識的に作品の主題、構成、効果などをあらかじめ緻密に計算した上で、その明確に示された主題、緊密な構成、個性的に描き出された登場人物、少しもゆるがせに出来ない程の的確な表現など、彼は優れて知的な、作家としての意識的な努力を重んじる作家であったと思います。

芥川の晩年の「侏儒の言葉」は、盟友の作家・菊池寛が創刊した月刊誌の"文藝春秋"の創刊号から連載されたものに遺稿を加え、全部で二百五十余章からなる随想集で、最近、彼の作品を読破中という事もあり、晩年の人生、芸術、思想、文化など様々なテーマについて、彼の得意とするシニカルでアイロニーに満ちた表現を駆使した、この「侏儒の言葉」を今回、読了しました。

この作品を読み終えて感じるのは、全編に色濃くにじみ出ている、晩年の彼の、人間社会への不信や人生への絶望感です。
題名にある通り、この「侏儒」というのは道化師の事で、彼は自分自身を道化師に見立てて、彼の芸術観、創作上の苦悩、人間としての苦悩までをも、自身の身を切り刻むような悲愴とも言える思いで語っている事でした。

この作品の中で、特に彼の創作上の苦悩が色濃く出ている、「創作」と題する一章が強く印象に残りました。

「芸術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかも知れない。しかし作品そのものを見れば、作品の美醜の一半は芸術家の意識を超越した神秘の世界に存してゐる。一半? 或いは大半と云っても好い。我我は妙に問ふに落ちず、語るに落ちるものである。我我の魂はおのづから作品に露るることを免れない。一刀一拝した古人の用意はこの無意識の境に対する畏怖を語ってはゐないであらうか? 創作は常に冒険である。所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない。---- 芸術は妙に底の知れない凄みを帯びてゐるものである。我我も金を欲しがらなければ、又名聞を好まなければ、最後に殆ど病的な創作熱に苦しまなければ、この無気味な芸術などと格闘する勇気は起らなかったかも知れない。」

この冒頭の言葉の「芸術家は何時も意識的に彼の作品を作るのかも知れない」と芥川の創作上の基本姿勢を語っていますが、「----作るのかも知れない」と敢えて断定的な言い方をしていないのは、作者の意識的な努力にもかかわらず、その意識を超越した無意識の力によって作品というものは成立するものだと語り、この部分は作家と作品との微妙な位置関係を語っていて、非常に興味深いものがあります。

そして、この事を論じて、「問ふに落ちず語るに落ちる」といった諺や、「一刀一拝」の故事などを引用して「無意識の境」を説明しようとしています。
しかし、芥川は決して「無意識の力」をそのまま肯定している訳ではないと思います。
つまり、無意識の世界が自然と作品の中に表われてしまう事に芥川は、古人とおなじく「畏怖」しているのだと思います。

それから、「創作は常に冒険である」と論を進めていますが、ここでいう"冒険"というのは、恐らく、"創作"というのは、次の瞬間に何が起こり、 どんな結果が待ち受けているのかが、全く予想のつかない、"一種の賭け"のようなものだと言っているのではないかと思います。

もし仮に、作品が作者の意識的な努力だけで成立するものならば、このような「冒険」というものはあり得ない事になります。
なぜならば、意識によって初めから予想され得るからです。
ところが、その「大半」を"無意識な力の働き"によっているという事になると、結局は、「所詮は人力を尽した後、天命に委かせるより仕方はない」という事になります。

そして、芥川は「芸術は妙に底の知れない凄みを帯びてゐる」とまとめ、そして「無気味な芸術などと格闘する勇気は起らなかったかも知れない」と結論づけています。

「芸術は妙に底の知れない凄み」だとか、「無気味な芸術」という言葉には、創作の難しさを身にしみて感じている晩年の芥川の気持ちが感じられます。

その中でも特に、「病的な創作熱に苦しまなければ」、つまり、"創作に対する病的な程の情熱に駆り立てられなければ"という言葉の中には、芥川の作家としての自負と同時に、彼の苦悩が表われていて、そんな情熱に駆られなければ、創作などに悪戦苦闘する事もなく、平凡に、安穏に暮らせたであろうにという事が言外に秘められていて、晩年の芥川の悲愴ともいえる創作上の行き詰まり、人間社会への不信や人生への果てしなき絶望感を、身を切る思いで、赤裸々に吐露していて、その後の芥川の自死を知っているだけに、必死で芸術と人生と格闘していた人間・芥川の姿がほろ苦くも切なく、浮かび上がって来るのです。

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