吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
吾輩
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吾輩は猫であるは、明治の文豪・夏目漱石が1905年(明治38年)から翌年にかけて俳句雑誌の「ホトトギス」で連載した長編小説である。夏目漱石の処女小説作品でもあり、単行本は上・中・下の3巻に分け、1905年~1907年に大倉書店から「夏目金之助」名義で出版された。1911年には全1巻で出版されている。 英語教師である苦沙弥先生のもとに拾われてきた名もない猫である「吾輩」を主人公として、猫の目を通して先生やその友人たち、先生の下に集う書生たちなどの姿を風刺を交えながらユーモラスに描いた作品である。本作品は発表当時から評判となり、現代に至るまで広く親しまれる古典文学となっている。 本作品は「吾輩ハ猫デアル、名前ハマダナイ。」という有名な書き出しから始まり、以降さまざまな「吾輩は~」のスタイルを取り入れたパロディ作品が生まれた。 2015年時点でさまざまな書店から出版されているほか電子書籍などでも販売されており、著作権が消失しているため青空文庫などネット上のフリーライブラリーでも読むことができる。
言わずと知れた漱石の代表作の一つです。この冒頭の一文となるタイトルが知られてる割には、実際に全部読もうとすると、結構難しい個所もあります。分厚い長編で、全体に落語のような話から、文学、科学、逸話、怪談、豆知識、現実でのご近所の争いなど全編にわたって多彩な材料が詰まっています。「江戸味が残っている」という風に江戸の戯作を味わいを感じさせる場面もありますし、一種のドタバタ喜劇のような場面もあります。そういう個所は読みやすいでしょうが、なかなか一般的な知識では読みにくい所もあります。これは一流の趣味人でありながら、学者でもあった漱石が自身の教養を注ぎ込んで作品を仕上げているためで、その分ハイレベルになっている個所もあるわけです。分量もあって幼い子供にはちょっと難しい面もあるかもしれません。
吾輩
主人公の吾輩(猫)が水甕に落ちて死ぬシーン。処女作というのが信じられない。漱石の人生観のような気がしました。
苦沙味夫人
苦沙味夫人が夫の友人迷亭に話した台詞。インテリ過ぎる夫の会話が妻にはさっぱり理解出来ない。この後、迷亭の台詞は「樽金?樽金はちと妙ですぜ」「たしかには覚えていないがタークィン・ゼ・プラウドのことでしょう」と続く。