子どもが色々なことを経験し成長していくストーリー - サウスバウンドの感想

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サウスバウンド

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子どもが色々なことを経験し成長していくストーリー

5.05.0
文章力
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ストーリー
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演出
5.0

目次

すべての登場人物が好きすぎる

主人公の二郎は小学校5年生。元革命家の父親が一郎で息子が二郎。そのネーミングセンスも世間からずれた感じを見事に醸し出している。比較的常識派だと思っていた母親さえも元革命家だったことの衝撃を受けるような、このような両親に育てられたとは思えないくらいの普通の小学生だ。
そんな小学生が父親に翻弄されながらも、色々なことを経験しどんどん成長していくストーリーを奥田英朗が圧倒的な表現力で描ききっている。上下巻あるけれど一気に読みきってしまう作品だ。
主人公が様々なことを経験し成長していく過程を描いた小説をビルドゥングスロマンと言うらしい。最後につく“ロマン”という言葉からフランス語かと思いきや、意外にもドイツ語だというこの言葉はこの本の表紙裏に書かれていて初めて知った。そしてこの言葉がこれほどぴったりくる物語もそうはないのでは思うくらいの作品だと思う。
個人的には小学生が成長していく話は、荻原浩の「四度目の氷河期」が一番だと思っていたけど、これも全く負けていない。登場人物の全てに魅力を感じる。それは登場人物の立ち居振る舞い、セリフなどに一切のブレがないからだと思う。それでストーリーに1本柱ができるため、話にどんどんのめりこんでしまうのだ。

読み手の思い出をたちまち蘇らせる数々の場面

小学校5年生の男の子が中学生の不良にからまれてしまう場面はとてもリアルだ。誰しも同じような経験をしたことがあるのではないだろうか。あの時のどうしようもない気の重さ。胃の中に砂をつめこまれてしまったような気持ち。そういうことを一気に思い出した。
また半分だけ血のつながった裕福な祖母の家に訪ねていったときの面映さ。あれほどお金持ちでなくとも、いとこの前とかではちょっとかっこつけたくなってしまうものだ。そして家では見たことのない料理の数々に驚いたりと、その感情は自分を抑えることのできる大人とは違い、子供ならではの止められない激しさがある。そしてそれが見事に描写されていた。
二郎が四谷の家でスペアリブに夢中になってしまったくだりなどは、恥ずかしさとこそばゆさが一体になって身もだえしてしまったくらいだ。挙句、かろうじて体裁を保とうとしてやったバック転のせいで吐いてしまうところなどは、男子らしくてかわいくてかっこ悪くてかわいそうで、本当に胸が詰まりそうだった。
その他にも、女の子のお誕生会に呼ばれたこと、友達だったのに不良になってしまった相手に対する怒りと苛立ち、自分の思い通りにならなくなってきた自分の体の変化など、そういったことが実にみずみずしく描かれている。
また急な引越しのため友達の家を訪ね歩くところは、背伸びして大人ぶってみても子供らしさを感じて好きなところだ。男の子っていいなあと思える場面のひとつでもある。訪ね歩いているうちにだんだん夕闇が濃くなってしまい、一番長く時間を過ごした淳との別れが意外にあっさりしていたのもリアルだ。何かと対立していた黒木ともここで全てが清算され、カツとも断絶でき、良かった良かったと親のような気持ちになってしまった。

父親のブレのない筋の通った考え方

元過激派で元革命家で、現在は二郎いわく“アナーキー”という父親は、国民年金を意図的に納めないのは当たり前、それどころか学校に通わせることさえ異議を唱えている強者だ。そのため“普通の生活”というものが友人たちとかけ離れていることを知った二郎は、この父親にどうにか大人しくしてもらいたがっている。
この父親は考え方は確かに過激で現在日本の資本主義とはまず相容れないような主義の持ち主だけど、その行動には一本スジが通っている。それは運動のための革命でもなく、社会をよくするための人柱としての活動でもなく、ただ自分のどうにもごまかせない考えの元に動いているからだと思う。それは西表島で二郎に言ったセリフにも通じる。
西表島に行ってからの父親は、東京にいた頃のぐうたら生活が嘘のように働く。畑を耕し、イノシシを狩り、漁に出る。その生き生きとした様は本当に幸せそうで、信念の元に生活することの自然さを教えてくれた。
だからこそ二郎はここで父親を認めるようになったのだと思う。将来父親のようになりたいとは思わないけれど、父親のやっていることはかっこいいと思えることは、子供の体験としては宝物のようなものだと思う。またここで素直に父親に憧れないところがなんともリアルで、奥田英朗らしい地に足のついた表現だと思う。

母親の意外な一面

東京で喫茶店を経営していたときは、暴走しがちな父親をうまく操作して、世間的な母親とそれほど大差ないような母親だったけれど、西表島に来る前後から本来の性格が見え始める。西表島に引っ越すと決めてからはまるでなにかから解放されたかのような振る舞いで、四谷の家を飛び出した理由が分かるような気がした。
四谷の家を飛び出した理由はさほど詳しくは描写されていないが、読み進めていくにつれそれが理解できていくようになる。母親の言動そして祖母の言動。登場当初は穏やかで品がよく見えた祖母だったけれど、西表島に引越しが決まったという二郎たちに、限りなく常識の枠に囚われたような発言をする。そんな祖母とこの母親がうまく行くはずがない。説明はないけれど登場人物たちの性格をきちんとブレずに書くことで、色々なことがわかる。それはパズルのピースがはまるようで心地いいけれど、作家の類まれな才能でもあると思う。そしてそれが出来る作家はとても少ないとも思う。

父親の意外なようで納得のいくようなルーツ

いきなり西表島にいったところで伝もなくうまくいくのかと思っていたら、父親のルーツがここにあったという展開は新たなストーリーの広がりを予感させてとてもワクワクした。またその展開も前のほうに書かれている父親の特徴ある風貌の描写が伏線になっていて、無理やり感がまったくないところに作家の手腕を感じさせた。
石垣島に住む人々が崇めるサンラー、アカハチの末裔。それが父親だとすると父親の動かす情熱のルーツはまさにそこにあるのだろう。このロマンあふれる展開で、父親のいささか乱暴すぎる言動が情熱あふれる言動に見えてくるから不思議だ。
リゾート開発会社から立ち退きを強いられ、それに全力で逆らう父親と母親、そしてベニーの姿はとても美しい。父親がどれほど絵になって見えたことか。二郎にとっては魂が生まれ変わるくらいの経験だったと思う。
前述した父親の言葉「おまえはお父さんを見習わなくていい。お父さんには自分でもどうしようもない腹の虫がいる。それに従わないと自分が自分でなくなるんだ」と言う言葉が強烈に印象に残った西表島での出来事だった。

パイパティローマへ旅立った親を見て

立ち退き騒ぎで逮捕劇まで演じた両親は、隙を見て姿をくらました。この展開が本当に好きだ。あきらめて観念した大人ではなく、彼らは最後まで子供の心を持ったままだ。また両親がまだ小さい桜や二郎まで置いていくところも好きだ。子供を子供として扱わず、小さな大人として扱っているように感じるからだ。そのように扱われた子供は自分のことを誇りに思うと思う。
血のつながっていない家族として一人孤独がちだった姉もここに来て急に自然な美しさを取り戻していく。不倫という不幸な恋愛から抜け出した自由さを満喫しているようだ。ここにも説明がなくとも伝わるメッセージ性がある。
両親は伝説の島パイパティローマを目指したはいいけれど、とりあえず波照間島に身を寄せたようだ。このあたりもリアルでいい。行方知れずといったお茶を濁すようなラストでないのが良かった。
最後、二郎と七恵が「夕読み」(この課外活動は本当にいいと思う。本土でもやったらいいのに)で読んだ「アカハチの伝説」はラストにもってこいの話と雰囲気だった。完璧な終わり方だと思う。
奥田英朗のエッセイを読んでいると、しきりに「東京から離れたい」話がでてくるけれど、この物語はその願望を元に描いたのだろうか。そのせいか、登場人物たちすべてに地に足のついたリアリティが感じられた。
正直に言うとこういう親を持つと確かに子供としては大変だろうけど、その経験はその辺の子供がすることのできない貴重なものであることは間違いない。二郎はどんな大人になるのだろうか。読んだあとはそういうことにも思いを馳せてしまうくらいの良作だった。

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