写真と小説が組み合わされて作られた世界
吉田修一と佐内正史のコラボレーション
この作品は吉田修一の短編(というよりは超短編)と佐内正史の写真が一緒に収められている。実に本の約半分が写真で、そうとは知らずに手にとって読み始めたので、一瞬読むのをやめようかと思ってしまった。と言うのも、写真を見るのが嫌というわけでなく(実際、「~写真コンクール」と銘打ったコーナーがあれば足を止めて見入ってしまったりもする)、あくまで小説を読むために本を手に取っているわけだし、その上小説自体に外部からイメージを与えられることをあまり好まないためだ。だから映画化された本の表紙に、その俳優たちの写真を載せているのもあまりいい気はしない。あくまで登場人物たちのイメージやその世界は自分で想像するのも楽しみのひとつだからだ。
だからこの写真と一緒に小説になっているのを見てちょっと不安になってしまったけど、結果思ったのとは違っており、そういうことか!と思わせられた。これは新しい発見かもしれない。
この写真はあくまで小説の一部であり、全体のイメージというわけではない。ましてや小説の内容を修飾するような余計なものでもない。たとえば、一番初めに収められている「部活」という話を読んだ後で(写真を見た後でもいいけれど)この写真を見ると、ストーリーに出てくる「こつんこつん」という音がゲートボールのものだということがわかる。そしてそれは小説だけ読んでもわからない。逆にタイトルを添えてある写真だけ見ても意味はわからない。小説と写真とセットで見て意味が分かるという楽しさがこの「うりずん」にはあった。
佐内正史の写真
彼の名前はなんとなく聞いたことがあったけれど、意識的に写真を見たことはなかった。だけど少し調べてみたら、気づかないまま色々なところで見ているようだった(「ジョゼと虎と魚たち」の中で使われていたとか)。なので改めて見るのは、ほとんどこれが初めてということになる。鳥肌がたつような強烈な写真というわけではないけれど、日常の景色をうまく切り抜いたような写真は吉田修一のイメージにもよくあっているように思う。また吉田修一の超短編のタイトルが添えられた写真は、それを見ることによってその物語で書かれている景色や、登場人物たちが見ているもの、また彼らが飲んでいる店の風景のイメージやその世界が少し膨らむような効果を与えているように感じた。
ただ、「告白」ではスキーバスの待ち合わせ所に集まってくる若者の写真とか、「刺青」では刺青をいれている若者とか、若干そのままじゃないか感を感じさせるものもあった。素人なので写真の奥深さなどは全く分からないのであまりえらそうなことは言えないけれど、正直ちょっと物足りなさを感じたものもあるのも事実だ。
この「うりずん」に収められている彼の写真は、きっと吉田修一の作品と一緒に味わうために撮られたものだと思う。なので、機会があれば佐内正史の自身のために撮られた作品も見てみたいと思った。
たくさんの小さな物語たち
「うりずん」には吉田修一による超短編が全部で20話収められている。短編くらいのサイズがあれば20もあると結構な量になると思うけれど、これらすべては4ページほどの短編というには短すぎる超短編で成っているので、あっという間に読みきってしまった。そしてそれらには全て2文字の漢字のタイトルがついている。「部活」「告白」「息子」「解雇」…。その中には物語の文章だけではわからないこともあり(例えば前述した「部活」でのこつんこつんという音や、「解雇」では二人が見ているスポーツとか)そういう疑問が写真を見ることで解決したりといった、今までの吉田修一の作品ではなかった試みだと思う。
もちろん物語だけでも楽しめるものもたくさんある。長短編という短さが、吉田修一の短編のいいところを凝縮したような、そんな感じがする物語たちだった。
なんとなく切なくなってしまう「解雇」
この話はタイトルを読み飛ばしていれば、登場人物の2人がなんのことを話しているのか分からないと思う。「解雇」というネガティブイメージとは裏腹に二人の会話に恨みめいた言葉がでてこないからだ。初めは二人がスポーツか何かをしていて、それに負けてしまったというような印象を受けた。でも2回目に読むと、2人は解雇されたのだということが分かる。解雇されたけれども絶望しているわけでない。偶然にも2人とも部活でスポーツをしており、だからこそスポーツで負けたかのような悔しいけれどさっぱりしたものが感じられる。それはきっと2人ともまだ若いからかもしれないが、そこに悲壮感が全くないのが実に爽やかで、だからこそ「解雇」というタイトルとはギャップを感じられた。そしてそのギャップがなにかしら新鮮さを感じさせる作品だった。
こちらまで苦しくなる「告白」
スキーバスの時間に間に合わせるために必死に会社を出て、必死にラッシュアワーの客たちをすり抜けながら駅を走りぬけ、なのにようやく待ち合わせ所に着いたのはバスが出発した3分後だった、というこの話は主人公の激しい息遣いや動悸さえこちらに伝わるようなものだった。その上彼はその日一緒にスキーに行くはずだった女の子に告白するつもりだったのにおかげで出来ず、しかも彼女はそれからしばらくして結婚を決めたという話を聞いた時の彼の後悔はきっと一生続くかもしれないと思った。バスに間に合っていればもしかして自分とうまくいってたかも、とか、もともと結婚を決めた彼氏がいたのならきっと玉砕だったはずだとか、でも彼氏とうまくいっているなら別の男性との出会いが生まれると予想されるスキーバスに行くかなとか、そういった気持ちが堂々巡りしたはずだ。そもそもそんなような時間のない日に説教を持ち出してきた上司も恨むかもしれない。もちろんそういう気持ちは年を重ねるにつれ甘いものに変わっていくのだろうと思うし、彼も実際懐かしく思いだせる程度にはなっている。しかし当時はどれほどの苦悩を感じただろう。それを想像すると、この「告白」はこちらまでなにか胸の奥がきゅっとなる話だった。
斬新すぎていまいちだった「息子」
散文調で、すべての語尾に「!」をつけ、自らの人生を年齢順に書き連ねていった作品なのだけど、あまりにも散文すぎ、そして「!」が多すぎて読むのに疲れる作品だった。もちろん超短編だからできる試みだとは思うのだけど、形式が斬新すぎて読みにくく感じた。読みにくいのに読んでいっているのに、書かれている内容はあまり中身の濃いものではなくいわゆる“よくある話”で読みどころもなく、そういう斬新な形しているのに意外に泣かせるのかということもなく、ちょっと残念な仕上がり具合だと思った。
うりずん、とは
“うりずん”とは沖縄の言葉で、冬が終わって大地などに潤いや生命などが戻って来る時期を指し、だいたい2月から4月くらいの時期を言うらしい。この作品自体に沖縄をテーマにしたものはないし、イメージからしても少し違うようにも思う(もともとこの沖縄っぽいタイトルに惹かれて読んでみたので、中身がまるっきり沖縄でなかったというのは意外すぎた)。しかし全部読み終わったあと改めてこの言葉の意味を調べて思ったことは、ここに書かれた登場人物たちのこれからを表しているのかなということだった。
ここに書かれている多くの物語は、主人公たちの人生の絶頂を書いたものではなく、むしろ逆に逆境だったり、それこそ解雇だったり、失恋だったり、人生の谷間が書かれたものが多い。だからこそその時期が冬であり、“うりずん”は必ず来る、といった意味なのかと理解した。少し陳腐ではあるが、このタイトルのおかげで全ての物語に小さな希望が見え、全体的にハッピーエンドな印象を受けるのと同時に同様の読後感をもたらしてくれた作品だった。
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