悠貴を死なせたことの意味について
死んでほしくなかったキャラ
現実社会においても、交通事故、急病、震災被害などで理不尽な死を迎える人がいる。架空の話であるアニメでも時としてキャラが死んでしまうことがある。それまで死とは無縁だったキャラもいるし、そう遠くない未来に死ぬことは分かっていたもののよくここまで持ちこたえた、というキャラもいる。また、悪役キャラで死んだことにホッとしてしまうキャラもいれば、死んでほしくなかった、生きて幸せになってほしかったというキャラもいる。本作の主人公の弟である悠貴は間違いなく、この「死んでほしくなかったキャラ、生きて幸せに暮らしてほしかったキャラ」に含まれるキャラであろう。本作はフィクションであり原作のないオリジナルストーリーであるから、悠貴を死なせない展開もできたはずである。実際に悠貴生還ルートの企画もあったようである。にもかかわらず死なせる方のストーリーを採った。ここでは、本作の立ち位置を踏まえて、悠貴が生還するルートのストーリーを採った場合の視聴者の反応を予想して本作と比較しながら、悠貴の死の意味を考えていきたい。
悠貴の死の描写について
まずは、本作品での悠貴の死の流れを押さえておく。お台場から自宅へ向かう道中、東京タワーの倒壊によって飛んできた瓦で頭を負傷した悠貴。数日後に倒れてそのまま帰らぬ人になってしまう。というのが真相だが、本作ではあたかも元気を取り戻したかのように復活し、未来とともに自宅まで帰り着いている。自宅に帰り着いてから、悠貴がすでに死んでいたことを告白、今まで生きていたと思っていた悠貴は未来が見ていた幻想だったことが明かされる。地震から1か月、悠貴の死を受け入れることができた未来は、悠貴に、弟として生まれてきてくれたことを感謝するとともに、しっかり生きていくことを誓って物語は終わる。テレビでの放送中には悠貴が上記のように生きているかのような描写されていたため、悠貴の生死についてネットなどで盛んに議論が沸き起こっていた。しかし、悠貴がすでに亡くなっているということが作品中に示唆されていることが突き止められ、悠貴死亡説が正しいと結論付けられた。具体的には、トリアージタグが「黒」、つまり死亡か治療不能であったこと、真理が悠貴の死亡届を提出していること、この出来事の後、悠貴が未来以外の人と会話しない(真理が悠貴に話しかけない)ことなどが挙げられた。
悠貴生還ルートの展開予想
では、本作のストーリーとは異なり、病院で悠貴が本当に元気になって生還した場合は、その後どういう展開になったのかをみていく。悠貴が本当に生きていたとしても、しばらくは死亡ルートと同じように展開していくことが推測される。真理の娘も未来と悠貴の二人で探し出したであろう。その後から分岐するものと考えられる。本編では自宅への道中に立ち寄った悠貴の通う小学校で号泣する未来だったが、これは悠貴の死を薄々感じていたから号泣したわけで、悠貴が死んでいなければ泣いてはいないだろう。そもそも小学校に立ち寄ることもないかもしれない。二人であればまっすぐ自宅に戻る方が自然な流れと言えるからだ。本編では一か月たっても心の傷が一向に癒えない未来だが、悠貴が生還していれば、周りの環境がいろいろ変わったにせよ、そこまで深い傷を負うこともなかったであろうことは容易に推測できる。本編の最後、未来は悠貴が小学校で育てていたマロニエの前に立っているが、悠貴が生きていれば二人そろってここで将来を誓っていただろう。
本作品の立ち位置
ここで本作の立ち位置、社会的役割について考えてみたい。もちろん、膨大な数あるうちの一つのアニメ作品ではある。しかし、取り上げている内容から考えて、それだけではないと考える。本作の想定は東京湾北部を震源とする海溝型の地震で最大震度7,マグニチュード8.0ということである。これは今後近い将来に必ず起こるとされている南海地震、東南海地震、東海地震とは違うものの、想定されている地震の一つではある。また、本作内のニュースキャスターと次回予告のナレーションには滝川クリステル氏を起用している。このことは単に本作が放送されるテレビ局のニュース番組に出演しているキャスターだから、という理由だけではないことを暗に示しているように感じる。実際のニュースキャスターを起用する、ということは、架空の作品にリアリティを感じてほしい、という意図の表れであろう。つまり、本作を見ながら、来るべき地震に備える手立てを少しでも考えてもらいたい、ということであろう。それが、本作を制作したもう一つの意味であると考える。
悠貴を死なせたことによる効果について
以上のことを踏まえて、悠貴死亡ルートを採ったことの意味合いを考えていきたい。ストーリーとして視聴者の涙を誘うのは無論、悠貴死亡ルートであるが、ここではそういう意味合いではなく、本作の制作意図と絡めた考察をしていきたい。本作の制作意図とは先に述べたように、将来必ず起こる地震災害の対策について考えるきっかけにさせることである。それには、本作を、フィクションではありながらも、自分たちのこととして捉えるようにさせたいわけでする。そのことを考えた時、よりリアリティを感じるのはやはり悠貴が死ぬほうのストーリーであろう。生還ルートはフィクションの話としてはハッピーエンドだが、他の人物は家族が犠牲になっているのに主人公たちだけ犠牲者なしと言うのは、ご都合主義という感じも受けてしまう。そこに作り物、というイメージができてしまう。一方、死亡ルートでは、主人公の身内といえども突発的な災害では亡くなってしまうことが十分に想定される、ということでリアリティを感じさせると考える。このリアリティこそが、自分のこととして捉えて、真剣に地震対策を考えるきっかけになるものと思う。こういう災害で一番起きてほしくない結果が「身内の死」のはずだからである。しかも、本作の場合、主人公たちの行動で特に悪かったということがないのである。「無理に自宅に帰らない」ということに反した、ということはあるにしても、その他でここが悪かったという行動はない。だからこそ、「どうすれば良かったのか」を真剣に考えなければ、減災ということにはつながっていかない。簡単に答えが出る問題ではないだけに、いかに真剣に考えられるかが、実際に自分や家族を守る結果につながるのだと考える。この面から言えば、悠貴死亡ルートはその効果が高いと判断することができる。
来るべき地震災害に備えて
本作品は東日本大震災発生当時にCS局で放送中であった。が、震災を受けて放送休止になってしまった。被災者の心理を考えれば理解はできるにしても、放送休止にしてほしくなかったと思う。そういうときにだからこそ、本作品を見ることで、被災者に思いをはせ、自分のこととして捉えるきっかけにしてほしかったところである。地震は日本にいれば避けることができない災害である。そして、想定されている巨大地震は近い将来に必ず起こるのである。そのときに的確な対応ができるように、また、その時のために日ごろから必要な準備や心構えを持っておけるようになっておきたいものである。本作品を見ることで、その意識を高めるきっかけにしてほしいと願わずにはいられない。それが制作者の願いでもあるのだから。
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