読んだけど意味が分からなかった、という人に、本作の楽しみ方教えます!
目次
ブラフマンが何か、などと考えてはいけない
本作のレビューや感想では、そもそもブラフマンはなんという生き物か?という考察が目立つ。
無論、感想は人それぞれ、考えたい人はいくらでも考えて良いのだが、私はあえてそこは考えない。
ブラフマンという言葉の意味を、本作では「謎」としているので、答えは無い、と小川洋子が言っているのだと思う。
水かきがあるし、泳ぐのが好きそうだからカワウソとかかな、くらいの感覚でも良いし、単に架空の生き物と考えてもいい。
そこに神経をとがらせるより最初は、なんだかわからんけどめっちゃ可愛い! と思って読み進めば良いと思う。
小川洋子は、与えないと決めた情報は徹底して書かない。
多くの場合、私とか僕とか主人公に固有名詞を与えない場合、その主人公の容姿もほとんど記述しないことが多い。
読んでいるあなたとして考えてほしい、という事なのかもしれない。
それと比較して考えれば、ブラフマンは容姿について数多く語られているのだから、むしろ情報が多いくらいだ。
まずはその愛らしい姿、動作をただ読める通りに楽しもう。
小川洋子は犬を長く飼っていたこともしばしばエッセイに書いており、またハダカデバネズミなどの一般的に可愛いとは言い難い動物にも興味を示す、部類の動物好きだ。
その彼女が愛情を込めて書いているブラフマンをひたすら想像しよう。
適当にページを繰ると、そこにいろいろな彼がいる。
寝ていたり、美しく泳いでいたり、ひまわりの種をかじっていたり、泉泥棒に向かって突進したり、それを味わうだけで、まずはこの作品は十分に楽しめることを知ってほしい。
人間としては、つい雑貨屋の娘を見てしまうけれど、そこにはそれほどの情報は無い。
彼女はただ行きずりにブラフマンの死を演出したに過ぎない。
彼女は何の比喩でもなく、ただ主人公の男性に対する対比として出てくる記号的女性だ。
本作で見るべきはブラフマンの愛らしさと、それを愛した僕、それだけだ。
ちなみに
小川洋子は2016年に行った講演で、小説は訳が分からないほど面白い、という趣旨の話をしている。(2016年12月3日 関西大学梅田キャンパス「人生に 文学を」)
https://www.youtube.com/watch?v=iWTloEBGwDA
わかることばかり読むのは何とつまらない読書体験だろう、とも言っている。
さて本作はどのように訳が分からないことを書いているのか、という読み方もまた面白いかもしれない。
ストーリーは特にないので結末の意味とか考えなくていい 考えるな、感じろ!
本作の基本ストーリーは単純だ。
主人公がある傷ついた動物を拾い育てる。次第に交友が深まっていき、お互いの信頼を築くが不慮の事故で動物は他界してしまう。
言ってしまえばそれだけだ。
この動物そのものが謎ではあるが、他にはあまり謎は無い。
つまり、考えるな、感じろ!という種類の小説なのだ。
では何を感じるのか、まず小川洋子の小説スタイルなどを示し、その先に楽しみ方を記そう。
小川洋子の作風の変遷を考えながら楽しむ
彼女の小説は時期によって随分作風が異なるので、どの時期に書いた作品かを知っておいた方が読みやすい。
1988年のデビュー時は、かなり繊細な文体で、どちらかと言えば修飾語過多な言葉選びの妙を追求するような作風だった。
内容は病気や身体の一部を欠損するような、少々キモグロい作品が多かったように思う。
作品によってはホラーとも思えるようなものもある。
この時期を総括すると、彼女は言葉選び職人だったのだと思う。
わかりやすいストーリーや、共感、カタルシスは無く、敢えて言葉の並びの美しさを強調するために、非日常を不気味さやグロさの中で表現したのだ。
「妊娠カレンダー」がこの作風の代表として91年に芥川賞を取っている。
芥川賞は基本的に純文学を書く新人に与えられる賞だ。(その基準はかなりあいまいで新人とは言い難い作家が受賞することもある)
傾向としてショッキング、またはセンセーショナルな内容が好まれるようにも見える。
小川洋子の初期作品は、死、身体の欠損をかなり露骨に扱うケースが多かったので、新人女性作家というメディア向けの側面も含めてまさに彼女はうってつけだったのだろう。
しかし、2000年を前後してその作風にあきらかな変化がみられる。
その代表的なものは2003年の「博士の愛した数式」だろう。
キモ、グロ、不気味要素は一切なく、小川洋子がずっと書き続けてきた欠損を「記憶」という見えない部分に留めることで非常に清涼感のある作品に仕上がっている。
博士と私と私の息子(ルート)の触れ合いもわかりやすく、誰にもでも得られるカタルシスを持ったラストは多くの人を泣かせる。
文体も初期のゴテゴテ感は消え、すっきりと読みやすいものになった。
一部の文学通からは大衆向けになったという評価もあるだろうが、間違いなく彼女の作品の中で最も親しみやすい。
本作「ブラフマンの埋葬」はその翌年2004年の発行、2006年の「ミーナの行進」の2作にも、やはりキモグロはない。
10年以上経過した今でも、彼女の作品でお勧めは? という質問にこの時期の作品を上げる人は多い。
読みやすく、わかりやすく、比較的普通の感動を得やすいからだ。
本屋大賞というわかりやすい一般向けの賞を得たのが2004年。
以後2009年まではしばしば候補作にあがる。
この時期を便宜的に中期と呼ぶが、この時にも彼女は決して一般大衆的に迎合したのではない。
初期の修飾語過多の文章を整理して、次なる地平を目指した時、結果的にすっきりとわかりやすい文章なったのであって、決して文章へのこだわりが無くなったわけではない、ということを明記しておく。
2010年以降はまた少し作風が変わる。
初期のキモグロという程ではなく、平易で穏やかな文章のまま、また不思議を描くようになった。
大衆性はかなり後退し、文章表現の境地を目指しているように私は受け止めている。
修飾語を並べて美しい光景を書くのではなく、さりげない文章の流れでさりげない美しさを描くことに磨きをかけたのだ。
ある時は人の生き方を、ある時はことりのさえずりを、ある時はカタツムリの大軍を、文章でどのように表すか、ということに今の彼女は挑んでいる。
そんなわけで、少し不思議で静かな、無理な盛り上がりを作らず、文章表現がとても上手い、そんな作家に彼女はなった。
私は今、彼女を文章職人と呼んでいる。
私が勝手に名づけたつもりだったが、同年代の女流作家江國香織も同じ言葉で小川洋子にリスペクトを表していたので(「いつも彼らはどこかに」文庫版あとがきにて)、より自信をもってこの表現ができるようになった。
そんなわけで本作、「ブラフマンの埋葬」は中期に発表された、スッキリしているけれど純文学の香り溢れる作品の一つだ。
本書の読み味を音楽に例えてみよう
ブラフマンが何かとか、彼の死は何を意味するのか、と考えるのも楽しみ方の一つなので、もちろん間違いではない。
しかし、そこにとらわれている人は文章の意味だけを求めており、損をしていると思う。
歌に例えればわかりやすい。
ストーリーの盛り上がりや顛末、その意味だけを考えるのは、曲を無視して歌詞だけを見ているのと同じだ。
ティーン向けのポップソングなら、劇的なメロディがあって、わかりやすい歌詞で愛や孤独、共有しやすい日々の感情を歌った曲が、当然ヒットしやすい。
無論一定の歌唱力、演奏力は必要だろうが、それがずば抜けている必要はない。
ヒットに向けて大事なのはわかりやすさだ。
では、玄人向けの曲はどうか?
なによりも曲の作りと演奏のうまさが優先で、歌詞はその曲を邪魔しないモノ、言うなれば声も楽器であり、言葉による感動よりも演奏による陶酔を求めるのではないだろうか?
小川洋子はまさに、玄人向けの作家なのだ。
だからわかりやすい歌詞も無ければ、盛り上がるサビもない。
でも曲作りや演奏に相当する文章力は圧倒的に高い。
つまり彼女は、秋元康のようなポップソングの作詞家ではなく、エリック・クラプトンやジミ・ヘンドリックスのような名演奏家なのだ。
手元に「ブラフマンの埋葬」をお持ちの方はもう一度見てほしい。
ハードカバーなら33頁からのブラフマンの尻尾についての記述、たかだか動物の尻尾について小川洋子はそのいくつもの楽しい表情を(彼女の文章は顔が無いはずの尻尾にいくつかの表情があるかのように感じさせる)表している。
他にもブラフマンが泉で泳ぐのを待ちきれない様子、美しく泳ぐシーン、食事をしながら皿を押し続けるシーン、全てが繊細に奏でられる演奏のように心に響く。
音楽が好きな人なら、誰だってその曲の美しさ、楽しさ、悲しさに心を打たれたことがあるだろう。
文章というのはどうしても音楽ほど即効性がないので、ゆっくりしか脳に響かないし、音楽を聴くよりは少しだけその美しさを感じるための訓練が必要だ。
でも、この「ブラフマンの埋葬」は少しだけ時間をかければ、読み手にその文章が表すものが目に浮かぶという体験を簡単に与えてくれる。
純文学の入り口として、大人でも子供でも読める良書だと私は思う。
泉鏡花文学賞をとった意義
本作は2004年の泉鏡花文学賞を受賞している。
前述の芥川賞ほどの知名度は無いが、「ロマンの香り高い」文学作品に与える、という基準らしい。
泉鏡花はエログロやファンタジックな要素を多く取り入れた作品を書いており、ある意味小川洋子と共通項もある。(小川洋子も初期はエロ要素の描写も結構していた)
本作はエログロとは程遠い内容だが、小川洋子がもつ不思議なセンスが評価されたのかもしれない。
※芥川賞や直木賞のように遡って選考評が見れないのが残念である
この泉鏡花文学賞は候補作が直木賞と被る傾向も高いようだが、この時期から急速に洗練していく小川洋子には商業性が高い直木賞よりも、こちらの賞の方が相応しいように私は思う。
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