アッシュは救済されたのか?
アッシュ・リンクスというひと
BANANA FISHを語る上で、主人公アッシュ・リンクスの存在感は一際だ。容姿・頭脳・行動力は言うまでもなく、隠された心の傷、時折見せる10代の少年のままの笑顔、ユーモアーーーー読者を魅了せずにいられない主人公だ。
もちろん読者だけでなく、彼は物語中で出会う人々を惹きつけてやまない。彼はストーリーキッズ達のボスだし、ディノ・ゴルツィネのようなマフィアにも戦闘力や性的存在として求められてきた。
だが、彼はその生い立ちやディノ・ゴルツィネに育てられた経緯を踏まえると致し方ないが、他者を受け入れることには臆病な少年だったように感じる。もちろん気の置けない仲間はいたのだろう。現に彼はストーリーキッズ達のボスだったし、孤高の狼という担ぎ上げられ方ではなかったように思える。しかし本編完結後に発売されたアナザーストーリーにおいて、ショーター、ブランカそれぞれとの出会いが短編で描かれているがそれを読むと、性格・相性と言った部分は差し置いて、彼が他者を受け入れる絶対条件の一つとして自分自身と同等以上の力を持った人なのではと思うのだ。
アッシュは他人が自分を高く評価することを客観的に理解していたと思う。しかし自己評価では、自分に価値を見いだせなかったのではないだろうか。むしろ自分なんてこの世界に存在しなくていい、まるで汚れ物みたいに感じている部分もあったのではないだろうか。ずっと「商品」として扱われてきて、「商品」としての己には価値があるけれど、その「商品」としての意義をすっぱ抜いてただの「モノ(=アッシュ・リンクス自身)」になったときにはただのゴミというような・・・。
でも本当は、心の奥底で愛情を渇望していて(だって彼はまだ少年なのだ)、でも「商品」としてしか存在意義は見いだせないからもがいていて。
そこで、ブランカというお手本や、ショーターという親友という存在は、それぞれ関係性は異なるものの、アッシュにとって初めて「商品」でない自分を評価してくれた存在だったのではないだろうか。彼らはアッシュと同等の力を持っていて関係性はイコールだったわけで、彼らからアッシュには特別「商品」であることを求めることがないから、おそらくアッシュもその臆病な心を少し開いて他者を受け入れることができたのだと思うのだ。
アッシュにとって英二とは
では、英二はアッシュにとってどんな存在だったのだろう。
アッシュから見た英二は当初はどこにでもいるような少しだけ棒高跳びが得意というだけの一般人だっただろう。それがバナナフィッシュを巡る陰謀に少しずつ足を絡め取られていく中、次第に英二と打ち解けていく。打ち解けていく中には多少の吊り橋効果もあったことは否めないと考えるが、でも、アッシュが英二にしか見せていない一面があるのは確かだ。前述のアナザーストーリーに収められている光の庭で英二が撮影した写真の中のアッシュは本編ではみられないような表情をしているし、アッシュは英二といるとまるで普通の少年のようだ、と物語中でも語られる。では英二の何がアッシュをそうさせるのかと考えたとき、それは英二の持つ「真っ当さ」ではないかと思うのだ。
日本の一般家庭で育った少年の持つ当たり前の感性。銃社会も少年レイプも知らない平凡な空気感。それがアッシュの中にもある「普通の少年」らしさを呼び起こしたのではないだろうか。
まして英二は後にアッシュに書いた手紙の中でこう語っている。
「ぼくは”君を守らなければ”とずっと思っていた」「ぼくは運命から君を守りたかった。君を連れさり 押し流す運命から」
もし英二がアッシュについてこう思っているなら、せめて自分といるときくらい辛い現実を忘れてくれたらいいのにと思わないだろうか。普通の10代として学校の友達のように接しないだろうか。それがアッシュの内面にある「普通の少年」らしさを引き出したんじゃないかと思わずにいられないのだ。
そして反対に、特異な世界で育ったアッシュにとって、英二の持つ「真っ当さ」はどんなにか眩かったことだろう。まだ10代の少年が、自分が立ち入ることの許されないまともな世界に立つ人間をみて憧れないなんてそんなことは無理だ。
どんなに取り繕うとアッシュがその「真っ当さ」を手に入れることは難しい。でも英二は英二でアッシュに惹かれ、手を差し伸べてくれる。ふたりの関係性を考えたとき、英二が手を差し伸べて、それをアッシュが必死に掴もうとする絵が浮かぶのだ。
アッシュ・リンクスは救済されたのか
BANANA FISHという漫画において、アッシュ・リンクスが救済されたのか、未だに考えてしまうときがある。なぜなら彼は物語のラストシーンで無言のまま死んでしまうからだ。
思うにアッシュは英二に出会うまでずっと孤独だったのだろう。愛されることを知らない少年だったのだろう。「商品」としての自分にしか価値が見いだせず、本来の自分自身に存在意義がわからなかっただろう。
けれども、親友のショーターを自分自身の手で殺害していよいよドン底まで堕ちたときに英二が言うのだ。「君まで死んだら僕は気が狂っちまう」と、なんの見返りも求めずに言われてしまうのだ。
アッシュにとってとんだ殺し文句だったに違いない。
親友をも殺害して落ちるところまで落ちたアッシュは、ゴミのように思っていた自分でも持っていた最後の矜持すら壊れてしまったのを感じたのじゃないだろうか。もう何も自分には残っていない。唯一心を開けた親友も、汚れ物ではあるがまだ生きているくらいいいだろうと許していた自分自身も、全て失ってしまった。もう心のなかには何も残っていなかったに違いない。それこそ死んでもいいと思うほどには。そんな空っぽの心に英二が「死ぬな」とそっと火を灯してくれるのだ。アッシュの心の足枷にヒビが入る音が聞こえるような場面だ。
後にブランカに対してアッシュが次のように語る場面がある。
「オレは今幸福なんだ。 この世に少なくともただ1人だけは…なんの見返りもなくおれを気にかけてくれる人間がいるんだ」と。
なんの見返りもない、商品でない自分が必要だよと。それはアッシュにとってもとても大切な意味を持っていたと思うのだ。自分の姿形が美しかろうがそうでなかろうが、IQがとんでも高くなくても、アッシュがアッシュでいればいいんだよって英二なら言ってくれるんじゃないかって思えるから。アッシュは初めて愛されることを実感できたのだと思うのだ。
図書館で死にいくアッシュが最後に英二の手紙を読み、涙を流して空を見上げる場面がある。無言だがとてつもなく美しい場面だ。
「君は1人じゃない ぼくがそばにいる ぼくの魂はいつも君とともにある」
この文中の英二の言葉がずっと孤独だったアッシュの心を救ったと願ってやまない。
商品としてしか存在意義を持てなかった足枷を最後の最後でヒビを入れただけでなく、跡形もなく壊して心を軽くしたのだと。
あの涙は救済されたアッシュの心が流した涙なのだと、信じている。
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