悪人かどうかは主観で決めるものではない
妻夫木聡の新たな発見
吉田修一原作のこの映画。小説がとても面白かったので、映画になってないのかなと探してみたらあったので、原作以外のなんの先入観もなく観た。主人公が妻夫木君というのがどうだろう、できるのかなと思ったけど(彼が悪いというのじゃなく、あまりにも善人顔というか。小説を読んでいるときは、この主人公を綾野剛とかそういった感じで想像していたので。)これは結構はまっていて、意外な発見だった。原作の、顔立ちは悪くないのに地方都市独特の泥臭さがまとわりついてまったくイケてない感を、よく出していたと思う。金髪の似合ってない感じもよかった。しゃべり方も下手な上、常にボソボソとしゃべり、猫背で。ストーリーが進んでいくにつれ、無理だと思っていた役柄がしっくりときていた。彼のイメージは「ブラックジャックによろしく」とか「感染列島」とかそういった爽やかで勇気があってといった感じだったけど、この映画で彼はまた違うものを獲得したのかもしれない。
善人顔なのに悪人をやるというのは、役者としてはイメージの固定を避けるためにも必要だと思う。それに悪役顔の人よりも善人顔の悪人のほうが怖い。有名なのは「トレーニングデイ」のデンゼル・ワシントンかな。あの彼の悪役としての演技(笑顔がすごい怖い)は迫真があり、映画全体に締まりを与えていた。
原作との違い(いい意味でも悪い意味でも)
増尾(岡田将生)に、佳乃(満島ひかり)が車の中から突き飛ばされて前頭部をガードレールに強打するシーンがある。これは原作では後頭部って書いてあったので、少し違和感を感じた。なぜ変えたのか意味がわからなかったから。後、個人的に変えて欲しくなかったのは、殺人を犯してしまった祐一(妻夫木聡)が家に戻ってきて食事をするところ。祖母(樹木希林)がよそってくれた食事を何食わぬ顔をして食べていたけれど、突然何のきっかけもなく急に吐くというシーン。これは原作では、祖母が祐一と話しながら急須にお湯を注ごうとしてポットを押すのだけど、中のお湯が切れていてゴボゴボといった音を立て、それに反応して吐いてしまう。これはあの長編小説の中でもかなりリアルなところだった。その音が彼に何を思い出させたかのかは、想像するのに難しくない。だからこそ変えて欲しくなかった。
もうひとつ原作と変えて欲しくなかったところは、祐一の祖母が悪徳業者の堤下(松尾スズキ)の事務所にお金を取り戻しに行ったところ。あそこはもっと大声で必死でみっともなくしてほしかった。ああいうお涙頂戴と言う感じではなかったように思う(ついでに言うと、椅子にしがみつく彼女をひきはがそうと乱暴に扱う堤下に力がまるで入っていなかった。殴っているふり、みたいな感じ。そういうのが見え隠れすると、なかなかストーリーに感情移入できない。)
あと、祖母房江のスカーフに対する大切な思い入れ。あれは映像化するのは難しいと思うけど、もう少し重みを持たせてほしかったところ。佳乃が殺害された場所にあれを結んだということで表現したのかもしれないけど、ちょっと物足りなかった。
もちろん、原作は上下巻ある長編だから、それを映画化すること自体多少無理もあると思う。説明多すぎてもだめだし。でも個人的にここは残して欲しかったと思う点が目立ったようにも感じた。
原作ではこれでもかと祐一の性欲の強さや執着心の強さが書かれる。もちろんそれを全て映像化するのは無理だし、さもすると説明が多く冗長になってしまう。でもそれは光代(深津絵里)とのいきなりの激しいセックスシーンで、全てを表せていると思う。あのあたりの祐一の思いつめた表情は、原作を読んだイメージにプラスされた。
あと最後のシーン、光代が佳乃が殺された現場にタクシーでいくところ。原作ではなかったし、別にいらないと思う。あれだと、最後に祐一が見せた光代への思いやり(首を絞めようとしたこと)が台無しになってしまう気がする。
結局は一線を越えたのは祐一ひとり
ストーリーは始終、誰が悪人なのかと言ったテーマで進んでいくのだけど(極端な言い方をすると、祐一を取り巻く人以外悪人、みたいな表現)、結局人を殺すという一線を越えたのは祐一だけ。原作では、実は殺してない?みたいな感じがしばらく続くのだけど、映画だと比較的すぐそれがわかるから、その後はどうしても「結局は殺してるし」てなってしまって、灯台のあたりなんてちょっと見ていられない部分でもあった。なんか二人して逃避行に酔って…と言った感じで。だからそのあたりからは感情移入も失速してしまった。
ラストのシーン、朝日を見る祐一の顔がアップになって、タイトル「悪人」とはいる。そこであの祐一の無邪気な表情とキラキラした瞳見せ付けて、「悪人」と。これでも彼は悪人だろうか?っていうつもりなのかもしれないけど、そこでもやっぱり、人殺してしまってるしね、悪人だろうどう考えても。でももしかしたらここの表現は賛否両論あるのかもしれない。
悪人かどうかは主観で決めることでないと思う。人を殺すというのは、一番大きな一線なのだから。
キャストに対して言いたいこと(いいことも悪いことも)
役柄に合う合わないでなく、個人的に樹木希林と柄本明(佳乃の父親)がはいるのはどうもいただけない。ドラマならいいと思うのだけれど、どうしてもお涙頂戴の感動もの!みたいなイメージになってしまって、どうしても安く感じてしまう。しかも二人ともなんとなく演技の質が似ているし。それを一番思うのは、増尾と佳乃の父が対峙するシーン。増尾を殺そうとした気持ちが消えてしまった佳乃の父は、ここで長い説教くさいセリフを言う。ここが長すぎくさすぎという意見をよく見る。それはもちろん確かなんだけどそれ以前の問題で、この人の存在自体がそれに近い存在なのだから、そんなこと言うならキャストはそもそも柄本明でないほういい。あと佳乃の葬式で刑事に怒鳴りかかっておきながら、頭を下げるという情けなさの演出。これにもどうしても感動させようというか、泣かせようというか、そういった思惑を感じる。この二人がでてくるとそういった深読みをどうしてもしてしまうから、安く感じてしまうのかもしれない。
あと、悪徳業者の松尾スズキ。彼も善人顔(!)であるから、こういう悪役はなかなか悪そうでよろしい。
原作を読むと、どうしても深津絵里だときれい過ぎるような気もするけど(馬込光代という野暮ったい名前からも連想させるように)、彼女も顔立ちは整っているのにイケてない女性として演じているのではないか。実際スッピン多いし。そう思えば祐一とはお似合いだと思う。
満島ひかり演じる佳乃、彼女は原作を忠実に再現している。かわいいけど嫌な女。満島ひかりは、「川の底からこんにちは」でしか知らないけど、この時の彼女は演技がうまいのか下手なのかよくわからなかった。けど、今回の作品ではしっかりとその存在感を示している。あんなに憎たらしかったのに、死んだ後父親の前に現れるとき。あんなあどけない表情ができるんだ。もちろんこれは多分父親から佳乃なんだろうけど、このメリハリが素晴らしく印象的だった。
最後に言いたいこと
色々文句をいいながらも結局最後まで見ることのできた作品であるには間違いない。他にも言いたいところはたくさんある。
もちろん原作と映画の違いはあるだろうし、映像化というのはそういうことに違いない。にしても、大体は原作のほうが面白い。この映画もその範疇を超えることはなかった。音楽も久石譲という巨匠なのに、あまり印象に残らなかったし。それでも、ただ原作を読んだだけでは得ることのできなかったイメージを補うことができた。そう思えるだけでも、よい作品だったのかもしれない。
最後にもうひとつ。祐一を逮捕するために灯台に向かう警察。数多すぎ。
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