被害者視点で読む、本作の魅力
倒叙小説としての面白さ
本作は、『紙の月』『対岸の彼女』など多くの作品が映像化されるなど、今や人気作家としての地位を確固たるものとした角田光代の作品です。映画化もされた『八日目の蝉』は、そのショッキングな内容から世代性別問わず多くの反響を産みました。
この作品は大きく二つに分けられており、前半は不倫相手の子供を誘拐して自分の子供として育てる希和子の視点。後半は幼少時代を誘拐されて育った薫(恵理菜)の視点で描かれています。このように、犯人の視点で描かれる小説は「倒叙小説」と呼ばれ、東野圭吾の『殺人の門』や『容疑者Xの献身』などが有名です。フーダニット(誰がやったか)ではなく、ホワイダニット(なぜやったか)に焦点が当たるため、読者の共感が犯人に向かうことが多いのが特徴です。本作でも、悪人であるはずの希和子がいかに薫を慈しんで育てていたかが詳細に描かれているため、希和子と薫を引き離す警察が悪人に見えるほどです。
恐らく最初にこの本を読んだ読者の大半が、希和子に少なからず感情移入し、逃避行を続ける二人が少しでも長く逃げ続けられるように応援すらしたと思います。私も最初はそうでした。ですが、三度目に読んだ時、新たな視点が見えてきたのでご紹介したいと思います。
視点の変化
今これを描いている私は妊娠8ヶ月の妊婦です。そして、この時期だからこそ、犯人希和子の気持ちよりも娘を連れ去られた母親の視点でこの作品を読むことができました。
妊娠経験者や子供のいる方には言わずもがなですが、ここでまず妊娠出産がどれだけ大変なことであるかの認識を共有したいと思います。
妊娠出産の奇蹟
まず近年、初婚の年齢が上がってきていることは周知の事実です。昭和45~48年では100万件近くの婚姻が20代前半だったのが、平成21年には59万件まで減少。逆に30代前半の初婚率は年々上昇し、所謂「晩婚化」と言われる現象が起こっています。その結果、当然第一子出産年齢も上がり続け、近年では母親の平均出生時年齢は30歳を超えています。そうすると心配なのが、まず正常に妊娠できるのかということです。
そもそも全妊娠の10~15%は自然流産すると言われています。30代に至っては20%とも言われますので、実に5人に1人は流産してしまうのです。これは受精卵の問題で、残念ながら現代医学では対処法はありません。また、ある調査では不妊症の割合は7人に1人とも言われています。正常に着床し、妊娠成立するだけでもかなりの狭き門をくぐらなければならないのです。
さて、その門をくぐったところで安心はできません。妊娠初期は悪阻や様々な体調不良があり、入院となるケースも珍しくはありません。安定期に入っても10人に1人ほどの割合で「早産」「死産」が起こります。安定期だからと何でもできるわけではなく、悪阻が終わることで食欲が増加し妊娠高血圧症候群になることも。特に高齢出産では、20代の1.8倍の確率で発症するとも言われており、重症化すれば安全な妊娠は継続できません。
更に妊娠後期になっても、油断できません。全流産のうち20%は後期に起こるというデータもあるほどです。(詳しくは漫画『コウノドリ』や『透明なゆりかご』などを読めば更に理解が深まると思います。)
ここまで大変な思いをして、やっと出産にたどり着くのです。永遠にも思える十月十日を乗り越え、我が子を抱きしめられることがどれだけ奇蹟的なことであるか、少しはお伝えできたでしょうか。
さて、長々と妊娠出産について話しましたが、出産すればそれで終わりではなくむしろ長い闘いの始まりなのです。生後2か月~6か月まではSIDS(乳幼児突然死症候群)の割合が高く、何もしていなくても眠っている間に子供が亡くなってしまうケースが平成23年だけでも148件報告されています。寝ていても起きていても、母親は常に子供を気遣い、全身全霊をかけて必死に育てているのです。
そんな6か月の乳児を、希和子は突然母親から奪い取ったのです。
乳児誘拐がいかに卑劣か
今妊娠している身からすると、子供が6か月まで無事に生きているなんて本当に天文学的数字ではないかと思えるほどの奇蹟だとわかります。そんな愛しい我が子を、わずか半年で奪われるというのは、恐怖以外の何物でもありません。
そしてそこから希和子逮捕までの数年間。母親はどれほどの葛藤を強いられてきたのでしょう。我が子の無事を祈る気持ちと、もう死んでいるかもしれないと諦める気持ち。忘れて次の子供を可愛がる気持ちと、忘れてはならないという気持ち。毎日毎日薫(恵理菜)のことを考え、どれほど懊悩としたことでしょう。
本作の前半を、薫の母親の視点から読むと、日付が進むたび、年月が過ぎるたび、重く重くのしかかる暗闇に眩暈がするほどです。それほど、希和子の罪は重いのです。
そしてこの視点で読むと、後半の薫に対する母親の態度にも同情を禁じえません。
笑顔で何か言ったと思ったら、突然私に背を向けて泣き出したり、父親に向かってヒステリックに怒鳴りだしたりした。(p248)
「こんなに心配をかけて!どんだけ悪い子だ!そんな悪い子はうちの子じゃないっ」母は制御できないように怒鳴り、そういってはっと口を閉ざした。(p251)
薫からすれば何をやっても怒られ、ただただ萎縮する日々だったというのはわかります。ですが、この母親がどれだけの苦悩をしたか。連れ去られていた間にしたかったこと。習わせたかったこと。連れていきたかったところ。食べさせてあげたかったもの。全てを奪われたあとに他人のような娘が戻ってくるというのは、どれだけ苦しいことでしょう。
三度目にして薫の母親の視点で本作を読んだ時、本作は初読後の感動とは全く別の、ただただ苦しい物語と変化していました。同じ作品でこうも違うかと驚くほどです。そして改めて角田光代の才能に敬服する思いでした。
もし本作を再読し、母性について考えてみたいと思う方は、同著者による2016年刊行の『坂の途中の家』を読まれることをお勧めします。角田光代の描くリアルな母親像に、圧倒されること間違いなしの作品です。
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