精神科医・伊良部から教えられること
本が好きじゃない人でも楽しめる
「空中ブランコ」は、131回直木賞受賞作品。精神科医の伊良部の患者を軸に、五つのお話が掲載されています。
小説が苦手、どうも自分には合わないと思っている方に、ぜひ読んでもらいたい作品。まるで、漫画かドラマでも見ているように、物語が進んでいきます。小説というと、心の葛藤や苦悩といった事が多い中、こちらの空中ブランコは、コメディタッチ。精神科医という、重いテーマを描きながら心の病を笑いで飛ばすお話は、爽快感抜群の物語となっています。伊良部の発言によって、今まで、悩んでいた事が、バカバカしく思えるかも知れませんね。
日頃、本を読まない、文章を読むのが苦手と感じている方も、この本を読んで笑ってみて下さい。
精神科医の伊良部のキャラクターが逸品
精神科医というと、人の心を治す医者ですから、大人で人格者というイメージを持たれている人が多いのではないでしょうか?そんな、凝り固まったイメージを、すっかりと破壊してくれたのが、伊良部先生です。
今まで、こんなキャラクター見た事ありません。大病院の跡取り、デブで自分に対してのコンプレックスなどなく、子供の様な心を持ち、それでいてわがまま。本来なら、こんな人物に光を当てる作者はいませんが、奥田英朗作品では、見事にそのキャラクターを生かした精神科医が描かれ、その伊良部先生によって、様々な人が、救われるのです。
あらためて考えさせられます。人を救うのは、頭が良い、いい人間ばかりとは限りません。
伊良部先生のどうしようもない、言動から徐々に心の中で、絡まったヒモを解きほぐしてくれます。実は伊良部先生の言葉や、精神病に対する治療方針は、間違っていないのです。
また、人間とは自分よりも下、自分の敵ではないと思える人間の前では、人心をゆるしてさらけ出せるようですね。その点でも、伊良部先生のキャラクターあっての空中ブランコと言えるでしょう。
くだらなくても笑える義父のヅラ
男性のカツラと言えば、コメディに欠かせない、悪く言えばくだらない笑い話になる素材を、義理の父のヅラとする事で、心の病と結びつけたお話。どうして、精神患者とこうも面白い題材が結びつくのだろうと、作者の溢れる才能に感心するばかりです。しかも、カツラを剥がしたくなる衝動が、精神病の原因となっていたから驚きです。よくよく考えてみれば、奇妙な設定と原因なのに、読者を納得させる力が、作品に満ちています。
また、達郎が伊良部と同じ精神科医なだけに、自分の精神状態を把握し、伊良部とその事について意見するところは、リアルさを感じさせてくれます。なんの脈絡もないと思っていた伊良部先生ですが、実は伊良部先生なりの考えがある事がわかります。
女流作家では心の描写が細やかに表現
「空中ブランコ」の作者は、男性であるのに、女性の心の描写が、とても細かく描かれています。嫉妬や悩み、女としての自尊心などが入り混じる女流作家では、主人公の愛子が、精神的に追いやられおう吐を繰り返してしまう物語。こんな、お話の設定であれば、シリアスなドラマとなり、女流作家の苦しみの話となりがちですが、見事にコメディタッチに仕上げています。しかも、最後にはその悩みを克服させてしまうのですから、読み手にとっても、満足のできる作品です。
愛子にとって大事ものは、なにか?すぐ側にあるものを見逃していませんか?という事を投げかけてくれます。日頃、成果や利益ばかりを追っている世の中、作家にとって本当に大事なのは読者だという事を、気づかせてくれました。さらに、伊良部先生の元で働いている看護婦のマユミを、この話でとてもうまく使われています。ミニスカートで大きな胸を持つマユミですが、愛子が心して描いた小説を読んで泣いたと告白します。いつもと違った彼女の一面をみる事で、その告白の度合いをさらにアップさせました。
最後のまとめ方が素晴らしかった
「空中ブランコ」には、5つのお話があるのですが、どのお話でも最後のまとめ方が、読んでいて温かい気持ちになるような、心地よいまとめ方をしています。
自分自身の精神的な病を乗り越えた先にある物は、清々しい気持ちなんだよと教えてくれているようです。
空中ブランコでは、飛べなかった自分を克服、最後には伊良部が飛べるよう応援しています。ハリネズミでは、張り合っていた敵のヤクザも、自分と同じ神経症だった。また義父のヅラでは、義父のヅラを嫁と話し、笑い合うなど、自分だけではなく、人も同じ事を思っていたと感じ、悩んでいたと知るだけで、心を軽くして日々過ごせるものなのだと、教えられるでしょう。
私から見て、「空中ブランコ」は、批判する所などない、面白くて元気がもらえる小説でした。映画やドラマでも、この伊良部先生を描いたものがあるようですが、やはり本で描いている伊良部先生には追いつけないような気がします。あの特異なキャラクターを出せる俳優はいないのでは、ないでしょうか?
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