家守綺譚の評価
家守綺譚の感想
平凡でいることの難しさ
俗物な主人公と超然とした高堂たぶん、読みおわって、皆不思議に思うと思う。なぜ主人公は葡萄を食べず、高堂は食べてしまったのか。なにかと迂闊で能天気な主人公のほうがうっかり手をだしそうで、いつも冷静で神経質そうな高堂のほうが、下手なことをしなさそうだ。ただ、高堂には少々鼻がつくところがある。主人公を俗物あつかいして小馬鹿にし、あやかし関連のことに、いちいち目を白黒させる主人公を尻目に、たかがそんなことで、というように涼しい顔をしている。たしかに、知識の深さも見識の広さも高堂のほうがあるし、自分で誇ってもいるのだろう。にも関わらず現世では、満たされなかったのかもしれない。主人公が湖の底に行ったとき、葡萄をすすめてくれた人がこう言っている。ここにいればいいと。心穏やかに、美しい風景だけを眺め、品格の高いものとだけ言葉を交わして暮らして行ける。何も世俗に戻って、卑しい性根の俗物たちと関わりあって...この感想を読む
穏やかな雰囲気ながらも、どこか背筋がぴんと伸びる思いがする、梨木香歩の「家守綺譚」
南禅寺のほど近く。学生時代に亡くなった親友・高堂の家の守をすることになった綿貫征四郎は、細々と文章を書きながら、貧しい生活を送っています。そんな征四郎の前に、ある雨の日に現れたのは、死んだはずの高堂。床の間にかかっている水辺の風景の掛け軸の中から、ボートに乗って出てきたのです。舞台となる時代としては、明治か大正のようです。まるで夏目漱石の「夢十夜」のような雰囲気の小説です。植物を題名に持つ短い物語が28収められています。現実の世界と異界の境目が曖昧で、ごく当たり前のように、不思議なことが主人公の周りに起こります。それは亡くなったはずの高堂が掛け軸の中から出てきたり、主人公がサルスベリの木に惚れられたり、河童や小鬼といったあやかしが出てきたり、しかも河童と犬のゴローが懇意になってしまったりというようなこと。しかしそれらの不思議は、この世界の中にごく自然に存在していますし、そこを流れているの...この感想を読む
売れない物書きの日記風、ショート・ショート集
明治時代、庭いっぱいの植物たちがいる、ある家の、家守をしている、売れない物書きの日記風のショート・ショート集です。28編あります。愛犬ゴローと暮らす、売れない物書きの綿貫が、家主の息子であり、友人でもある、死んだはずの高堂や河童、タヌキ、和尚などと交友する話に、庭の草木が絡み、不思議な世界を作り出しています。なにしろ、第一話からして、サルスベリに懸想されたり、床の間の掛け軸の中の景色から、高堂が現れたりと、いきなり不思議の世界へと導かれていくので、驚きましたが、読み進めるうちに、すっかりはまってしまいました。淡々とした中に、ほのぼのした感覚があり、ゆっくりかみしめながら、少しずつ読んでいくのが良いほんかなと思いました。