家守綺譚の感想一覧
梨木 香歩による小説「家守綺譚」についての感想が4件掲載中です。実際に小説を読んだレビュアーによる、独自の解釈や深い考察の加わった長文レビューを読んで、作品についての新たな発見や見解を見い出してみてはいかがでしょうか。なお、内容のネタバレや結末が含まれる感想もございますのでご注意ください。
穏やかな雰囲気ながらも、どこか背筋がぴんと伸びる思いがする、梨木香歩の「家守綺譚」
南禅寺のほど近く。学生時代に亡くなった親友・高堂の家の守をすることになった綿貫征四郎は、細々と文章を書きながら、貧しい生活を送っています。そんな征四郎の前に、ある雨の日に現れたのは、死んだはずの高堂。床の間にかかっている水辺の風景の掛け軸の中から、ボートに乗って出てきたのです。舞台となる時代としては、明治か大正のようです。まるで夏目漱石の「夢十夜」のような雰囲気の小説です。植物を題名に持つ短い物語が28収められています。現実の世界と異界の境目が曖昧で、ごく当たり前のように、不思議なことが主人公の周りに起こります。それは亡くなったはずの高堂が掛け軸の中から出てきたり、主人公がサルスベリの木に惚れられたり、河童や小鬼といったあやかしが出てきたり、しかも河童と犬のゴローが懇意になってしまったりというようなこと。しかしそれらの不思議は、この世界の中にごく自然に存在していますし、そこを流れているの...この感想を読む
平凡でいることの難しさ
俗物な主人公と超然とした高堂たぶん、読みおわって、皆不思議に思うと思う。なぜ主人公は葡萄を食べず、高堂は食べてしまったのか。なにかと迂闊で能天気な主人公のほうがうっかり手をだしそうで、いつも冷静で神経質そうな高堂のほうが、下手なことをしなさそうだ。ただ、高堂には少々鼻がつくところがある。主人公を俗物あつかいして小馬鹿にし、あやかし関連のことに、いちいち目を白黒させる主人公を尻目に、たかがそんなことで、というように涼しい顔をしている。たしかに、知識の深さも見識の広さも高堂のほうがあるし、自分で誇ってもいるのだろう。にも関わらず現世では、満たされなかったのかもしれない。主人公が湖の底に行ったとき、葡萄をすすめてくれた人がこう言っている。ここにいればいいと。心穏やかに、美しい風景だけを眺め、品格の高いものとだけ言葉を交わして暮らして行ける。何も世俗に戻って、卑しい性根の俗物たちと関わりあって...この感想を読む
売れない物書きの日記風、ショート・ショート集
明治時代、庭いっぱいの植物たちがいる、ある家の、家守をしている、売れない物書きの日記風のショート・ショート集です。28編あります。愛犬ゴローと暮らす、売れない物書きの綿貫が、家主の息子であり、友人でもある、死んだはずの高堂や河童、タヌキ、和尚などと交友する話に、庭の草木が絡み、不思議な世界を作り出しています。なにしろ、第一話からして、サルスベリに懸想されたり、床の間の掛け軸の中の景色から、高堂が現れたりと、いきなり不思議の世界へと導かれていくので、驚きましたが、読み進めるうちに、すっかりはまってしまいました。淡々とした中に、ほのぼのした感覚があり、ゆっくりかみしめながら、少しずつ読んでいくのが良いほんかなと思いました。
日常の中で息をひそめている異界
明治初期の日本を舞台に、売れない物書きが日々徒然を書きつづったという雰囲気の短編集です。短編ごとのタイトルが植物の名前で、文中にも季節の移り変わりを端的に表す植物が、時に強烈な存在感で、時にひそやかにそっと描写されています。そして、その植物を通して、いつの間にか、この世ならぬ世界の端に片足を踏み入れ、不可思議な出来事が起こります。全体の雰囲気は私小説、主人公の日常生活を淡々と描いているのに、いつの間にか瑞々しい植物たちを通して、異界を覗き見ている。そんな主人公とともに、自分もこの世ならぬ世界に迷い込んだようななんとも言えない読後感を覚えます。それは、周りの何気ない花や草を見る時、ふと何か訴えかけてくるのではないかと期待してしまうような心地いい感覚です。