正々堂々としていればいいなんてのは間違いだってことにさ。それは自分たちを納得させているだけだ。本当はもっと苦しい道を選ばなきゃいけなかったんだ。
武島直貴
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「手紙」は、毎日新聞日曜版に2001年7月1日から2002年10月27日まで連載された、東野圭吾による長編小説で、2003年3月1日に毎日新聞社より単行本化された。2006年秋の映画化に合わせて、文春文庫より文庫化されたところ、1か月で100万部以上を売り上げるミリオンセラーとなった。本作品は第129回直木賞候補作品となった。 この作品は、弟の大学進学資金のため民家で強盗を目論んだものの住人の老婆に見つかり殺人を犯した兄・武島剛司と、殺人者の弟としてのレッテルを貼られた生活を送ることになった弟・武島直貴、2名の加害者・加害者家族としての人生を、獄中の兄から送られる手紙を軸にして描いたものである。 2006年秋には山田孝之・玉山鉄二主演で映画化、全国松竹・東急系で上映され、興行収入12億円を突破するヒットとなった。また、2008年にはミュージカル化され、2016年にも三浦涼介・吉原光夫主演での公演が決定している。
「差別をなくす」のではなく「差別による苦しみを軽くする」には人が罪を犯した時、本人が責められるのは当然だが、その家族まで差別されることは、本来ならあってはならない。親は責められることもあるが、例えば兄弟の場合、同じ親の下に生まれたというだけで、弟が兄の罪を責められるいわれはない。特に弟が未成年の場合なら尚更だ。それでも現実は厳しい。差別は許されないというのが理想に過ぎないことは、過酷な差別の実態を思い浮かべればよくわかる。世間を震撼させた事件で、加害者家族が仕事や結婚をあきらめざるを得なくなり、命を絶つ場合もあると聞く。この小説も例外ではなく、武島直貴は強盗殺人犯の弟というレッテルを張られ、音楽の道や恋愛、やりがいに満ちた仕事を断念せざるを得なくなってしまった。そのような差別に直面しても、死なない限りは生き続けなければならない。ならば、どうやって生きていけばいいのだろうか。差別をなくす...この感想を読む
天津甘栗の所が泣ける剛志が盗みに入って天津甘栗が置いてあったのを見て、思い出に浸んでしまった事が、剛志の誤算であった。僕も天津甘栗が大好きで小さい時に母がいつも天津甘栗の皮を剥いてくれた。それさせなければ、剛志は殺さずに刑務所にいかずに済んだのにって初めは思いましたが、だが、上手くいったとしても、お金がないと思えば、必ずまた同じことをして、捕まり刑務所に入る事になるんだろうなって思いました。剛志はいい人、それとも悪い人。剛志は弟の為にしてしまった事が刑務所に入る事になってしまった。例え理由が直貴の事を思ってした事かもしれないが、それが、かえって直貴に迷惑を掛けて苦しめることになると思わなかったんだろうか。服役している時にでも直貴宛に手紙を送ってくる事じたいが、封筒が刑務所からと送られてきている事が分かって差別を受ける事も考えないのだろうか、恋愛でも人を一途に思っているは聞こえはいいが、...この感想を読む
「失敗は成功のもと」は殺人には通用しない「人は誰でも間違えること、失敗することはある。だから、間違えてもいい。でも、その間違えをきっかけに人は成長しなければならない。」小さい頃から祖父にそう教えられ、何度も言われてきました。私自身もそう思って生きてきました。けれど中には、間違えても絶対にしてはならないことがあります。そのことをこの本『手紙』によって痛感しました。「殺人」という過ちの重みは、何をしても償うことはできません。人にはしてもいい失敗と決してしてはならない失敗があるのです。人には心があります。道徳があります。幼い子どもでさえ分かります。人間だから分かるのです。人間だから犯してはならないのです。人の見る目人間は人と違うことをするだけでその人を見る目が変わります。どんな学校にも校則は必ず存在しますが、その校則を破り髪の毛を赤く染める生徒がいたら、どんな生徒であろうと、周りの人間の見る...この感想を読む
武島直貴
主人公の妻と子どもを怪我させた加害者の両親に謝られて、犯罪を犯し服役中の兄・武島 剛志に訣別の手紙を出す決心をした時。
武島直貴
昔のバンド仲間と再会して、強盗殺人犯の兄と絶縁して、平穏無事に暮らしている近況を話している時。