When the road closes a door,somewhere He opens a window.
修道院長
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サウンド・オブ・ミュージックはアメリカで1965年3月2日、日本で1965年6月19日に公開され世界的大ヒットとなったミュージカル映画である。原作は同名ミュージカルで、1959年11月にブロードウェイで初演された。劇中で使われている音楽は、作曲家の名コンビリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の最後の作品であり、この作品はアカデミー賞作品賞、監督賞、編集賞、音楽賞、録音賞を受賞し、主演女優賞、助演女優賞などにもノミネートされた。 舞台はオーストリアのザルツブルクで1938年第二次世界大戦の前夜である。主人公、修道女見習いのマリアはある日ゲオルク・フォン・トラップ大佐の7人の子供の家庭教師をすることになり、それから子供たちとの絆を深め、2人が結婚するまでの物語である。 映画で歌われる「ドレミの歌」は、公開後から有名になり日本でも子供から大人まで知られている。 撮影が行われたザルツブルクにはロケ地をめぐるツアーもあり、毎年観光客が絶えない。
映画における原体験となる作品個人的に、そしておそらく私のような人は世の中にたくさんいるのだろうと思われますが、「サウンド・オブ・ミュージック」は、私の映画における原体験のひとつです。このマスターピースについて、一体どこから語ればいいのやら。そういう特別な作品です。母親から与えられて初めて見たのは、小学校2、3年生の頃。本作は1965年の作品なので、すでに公開から20年経過していたわけですが、それでも子供だった自分のとっては、「外国のお金持ち文化や、キリスト教的価値観」「ミュージカル」「第二次世界大戦とナチスドイツ」そして「大人のとても微妙な心理を含んだラブロマンス」。あまりに全ての要素が初めてづくしだったうえ、非常によく出来た楽しい作品でしたので、当時は何度も見返し、一人一人のキャストに思いを馳せ、すっかり歌もストーリーも、シーン毎のビジュアルも覚えこんでいました。同じく自分にとっての原体験...この感想を読む
舞台は1930年代、第二次世界大戦直前のオーストリア。修道女のマリアは、しつけの厳しいトラップ一家に家庭教師として派遣される。明るく素直で歌の好きなマリアによって、心を開いていく子供たちだったが、戦争が始まりドイツの支配が強まってきて・・・ジュリー・アンドリュース主演の歴史に残る名作です。劇中で歌われる歌は、ドレミの歌をはじめ聞いたことのある名曲ばかり。懐かしくて、思わず口ずさんでしまいます。オーストリアの美しい自然と完成度の高いミュージカルシーンを堪能するとともに、家族愛の素晴らしさや自由の意味などについて考えさせてくれる作品です。
最初にこの映画を観たのは12歳頃だったでしょうか。子供の頃に親から観せられたのですが、ストーリーも音楽もとにかくいいと思いました。シスターたちの歌うクライムエブリーマウンテン♪は美しかったですし、ドレミの歌や私のお気に入り、エーデルワイスなど、素晴らしい曲がいっぱい詰まっています。大人になってから観ると、さらにこの映画の素晴らしさがわかるんですよね。修道院を出ようと決意し、それを認めて応援するシスター。子どもたちのかわいさとトラップ氏の素敵さ。そして、なんといっても合唱団としてのパフォーマンスですね。あんな合唱団があったらいいな~、聴きにいってみたいものだ、と真剣に思ってしまいます。スイスの景色も美しい。
修道院長
マリアが修道女をクビにされるときに修道長から言われた言葉。
修道院長
主人公が、修道院に逃げ帰った際に彼女にアドバイスする場面で言ったセリフ。自分の思うように生きろというメッセージがこもっている。
修道院長
映画の最後の場面。トラップ一家が懸命に徒歩で山を越え、オーストリアから亡命するシーンに、マザー(修道院長)が与えたこの言が歌となって流れます。