友情を縦糸に、裏切りを横糸に、意地と仁義の男の世界を描いた「仁義」 - 仁義の感想

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友情を縦糸に、裏切りを横糸に、意地と仁義の男の世界を描いた「仁義」

5.05.0
映像
5.0
脚本
5.0
キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

フルスピードで飛ばしてきた車が、西マルセイユ駅に着いたところから、この映画「仁義」は幕を開ける。 駅では、パリ行きの夜行列車が発車寸前。 車から降りた二人の男が、列車まで懸命に走る。 しかし、二人の姿が何となくぎこちない。 よく見るとお互い手錠で繋がれているのだ--------。

この「仁義」は、発端からこのような犯罪ムードとサスペンスを画面いっぱいに漂わせながら展開していく。 決して会ってはならない5人の男-----。 それが運命の糸に操られて、のっぴきならない対決へと追い込まれていく。 友情を縦糸に、裏切りを横糸に、意地と仁義の男の世界が、息もつかせぬサスペンスのうちに、織りなされるのだ。

「いぬ」「サムライ」「影の軍隊」と、常に厳しい規律と仁義に生きる男たちの世界を描き続けてきた、フランス映画のフィルム・ノワールの名匠ジャン・ピエール・メルヴィル監督が、オリジナル脚本を書き下ろした傑作だ。

外国映画にしては珍しい、日本映画のやくざものを思わせるような題名だが、原題は「赤い輪」で、一種の運命の輪とでも言うべきもので、日本流に言えば、生物が死んで生まれる過程を、永久に繰り返す意味の仏教の言葉「輪廻」にあたる概念を、メルヴィル監督は、きっと脳裡に描いていたに違いない。 それはやはり、仏教で言う、生死と因果が限りなく続く意味の「流転」にも通じる思想で、この映画「仁義」の中でも、一つの輪のように動く5人の男の、避けようもない宿命を、人間模様として描き出したかったのではないかと思う。

そして、この映画のもう一つの大きな魅力は、豪華な俳優陣の競演だ。 アラン・ドロン、イヴ・モンタンの二大スターが、初めて共演するというワクワクするような顔合わせに加えて、「居酒屋」「サムライ」「Z」などの名優フランソワ・ペリエ、「大追跡」「大進撃」などのブールビル、それに「荒野の用心棒」「悪い奴ほど手が白い」などのイタリアの名優ジャン・マリア・ヴォロンテの三大俳優が出演と、とにかく映画ファンにとっては、たまらない豪華なキャスティングだ。

ジャン・ピエール・メルヴィル監督の映画の特色は、常に"男の映画"であり、決して無駄口をたたかない"男たちの映画"であるということだ。 この口数の少ない男たちにとっては、当然、"行動"が大きな比重を占めることになる。 言葉のあいまいさを極力しりぞけて、ただひたすら正確な"行動の連鎖"の中に生きていく男たち------。 それが、メルヴィル監督の一貫して追求している"男のイメージ"であり、同時に、それはメルヴィル監督の映画作家としての根本理念、いや心意気でもあると思う。

そして、「仁義」の男たちも、皆一様に口数が極端に少ない。 特に、アラン・ドロン演じるコレーとジャン・マリア・ヴォロンテ演じるボージェルは、寡黙、すばやく行動する、といった点で、極めて類似した性格を持っている。 意志が強く、いかなる場合でも感情を厳しく抑制し、黙々と行動する。 メルヴィル監督が描き続けてやまない、こういう"男のイメージ"には、アメリカのハードボイルドと日本的な意味での男らしさとの反映があると、私は確信的に思っている。

口数の少なさや、行動の迅速さなどで、ハードボイルド的人間と、日本の男らしい男とは共通性を持っているが、ハードボイルド的人間が、しばしば欲望全肯定的なのに対して、日本の男は、徹底して"ストイック"であるといった、本質的な違いがあると思う。 メルヴィル監督には、この二つの男の類型を総合して、彼自身の男のイメージを作り上げようとしているのだと思う。

彼がひたすら、ギャング映画に固執するのは、それが男の行動を純粋に追求し得る、最も適切なジャンルに他ならないからだ。溢れるような言葉は、かえって人間の実態を捉えにくいものにするし、"寡黙と無表情"に貫かれた行動は、何よりも雄弁に、その人間の心情をそくそくと伝えてくるものなのだ。

「仁義」におけるアラン・ドロンとジャン・マリア・ボロンテの結びつきかたは、最も男らしい男の心情的連帯の典型なのだと思う。 この二人は、ただの一言も自分の気持ちを説明するような言葉はしゃべらないが、しかし、その結びつきの固さは、惚れ惚れするような見事さだ。 ボロンテが、刑事のブールビルが仕掛けた罠にかかったドロンを助けに駆けつけた時、ただ「逃げろ」とだけ言って、ドロンを逃がした後、刑事から「なぜ警察だと知らせなかった?」と問われて、「知らせたら、あいつは逃げずにお前を殺しただろう」と答える。 このボロンテの一言に、男を描いたこの映画の全てが凝縮されていると思う。

ドロンは、遂に自分の心情を説明するような言葉は、一言も語らず、ボロンテは、ブールビルの問に答えた一言だけ。 その一言に、ドロンとの固い結びつきと深い理解がひらめき、更には、敵であるブールビルへの思いやりが込められているのだ。

それから、この映画で印象的だったのは、イヴ・モンタンが、射撃に心を打ち込んで、アル中から立ち直り、男同士の心意気に命を捨てる、というシークエンスだ。 一つの技術が人生の"道"に繋がるという、日本的な発想を感じさせて、実に感慨深かったと思う。

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