鬱々とした雰囲気の中描かれる、大人になること
未成熟ゆえの鬱屈
物語の主人公である慎一は、小学生の男の子。幼児ほど無垢ではいられず、けれど大人にはなりきれない微妙な年頃だ。
未亡人である母親の恋人の存在、人の死に(直接的ではないが)関わったことのある義足の祖父に、経済的に不自由な生活、学校でのいじめ。負の性質に満ちた環境を割り切れず、その不満を苛立ちとして周囲に漏らし続ける様子は幼く、慎一の精神がまだ稚拙なものであることを表している。
クラスで唯一自分に優しくしてくれる女の子に好意を抱くも、それをクラスメイトからのからかいの種にされることをひどく屈辱的に感じているのも男子小学生らしいといえる。
しかし同時に友人の家庭の事情を察して無言の中に気遣いを見せたり、自分たちの神頼みを現実逃避と心のどこかで理解しているなど、大人的な性質をのぞかせることもある。
この大人になりきれず子供にもなりきれない、いわゆるモラトリアムという時期は、最も他人が許せなくなる時期だと思う。
大人のように物事を達観できず、子供のようにすべてを単純に受け入れることもできない。そのうえ中途半端に知恵がつき始めた分、理想も高くなり、不満に対してとても目ざとくなる。
そんな悩み大き少年を物語のカメラ係とし、彼の心情を通して世界を描くことによって、この世の不自由さや生きづらさがより分かりやすく描写されている。
人が抱えるどうしようもない思い
物語に登場する人物のほぼ全員が何かしらの悩みや暗い過去を持ち、または不遇である。
主人公の慎一と同級生で友人の春也は、ヤドカリを神様に見立てて神頼みをするという遊びを始める。最初の表面上のノリこそ遊びの延長であるが、その内心は真剣で、彼らはきっと何でもいいから何かにすがりついていたかったのだろう、という思いが見て取れる。
ヤドカリを火であぶるという行為から子供の悪気のない残酷さを描き、心の奥底に常にある不安や焦燥を根拠のない希望論で上塗りして現実逃避を繰り返すという、世の大人にも通じる人間の性質を描いている。
また、主人公が好きな女の子を慰めたい一心で遊びに誘った結果、彼女と、彼女を邪険にしていた自分の友人との距離が縮まり、彼女の視線がいつも自分ではなく友人のほうを追いかけているという流れも、読んでいてどうしようもなくきついものがある。
それを不満に思うのも自分勝手なことで、けれど割り切ることはできなくて、そうやってモヤモヤとしているうちに自分だけが取り残されていく。
人生の理不尽さを叩きつけられ、感情を持つことそのものがひどく不自由なことのように思わされ、またそれを割り切ることのできない子供は、自らの感情に打ちのめされる。
物事を割り切るということは心に耐性をつけるということで、それは大人になるということであると同時、感受性を麻痺させるということでもあると言える。
それはもはや生きるための鎧を身につけるというより、あらかじめ心を殺しておくことで、その屍を固めて、肉体が生きていくのに必要なだけの、最低限の自我を守るバリアを作り張っているのに近いと思う。
大人になるということは心を殺すことで自衛の手段を学んでいくということ。
物語終盤、春也はそうなってゆく自分や慎一が不安で、大人と子供のヤドカリの話をしたのだろう。
それは言ってもどうしようもないことではあるのだが、それでも言わずにはいられない、心の重圧に耐えきれず、弱音を吐かずにはいられなかった。それは大人的とは決して言えない、けれどひどく人間らしい弱さだ。
大人になるのって難しい
上記の見出しは、本書に登場する鳴海という少女が発したフレーズである。
大人になるということは心を殺して生きることで、けれどみんな、それができなかった。
慎一の母親や祖父も、悩んで後悔して不安になって、感情に振り回されて生きづらい人生を過ごしていた。
物語終盤の春也の台詞に、大人も弱い、というものがある。心を殺して強さを得ることが大人になることなのだとすれば、結局誰も、大人でさえも、大人になどなれていないのだ。
子供の頃、大人は心身共に子供より強いものと思っていた。それが錯覚だということは、自分がある程度の年齢になって初めて気づく。
子供の頃に自分が思い描いていた大人像というのは、大人たちの取り繕われた表面だけを捉えたものに過ぎず、本当は大人も子供も、本質的には未熟な生き物なのだと、作者は改めて読者に実感させようとしている。
その未成熟を悪とせず、心を殺して大人になることを推奨するのでもなく、けれど、そうもいかないことを作者が承知しているのは物語の端々から読み取れる。
それでも心の内に未熟な部分があるのは当然のことであり、恥じることではないのだと、そっと伝えようとしているのが分かる。
誰にでも過去があり、悩みがあり、感情があり、人生がある。他人を思いやることもあるが、自分勝手になることだってある。
それでも日々傷つきながら生きていく人々を通して作者が最も描きたかったものは、弱さを殺す強さではなく、弱さを受け入れるという強さなのではないだろうか。
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