夏と花火と私の死体の評価
夏と花火と私の死体の感想
静かで不気味な新感覚ホラー
不調和が生み出す恐怖本作は死体となった『わたし』の語り(語りであって視点ではない)で物語が進行する。言わずもがな、これは外では見ることのない表現法である。殺された少女が自分を殺した人物を地の文でひたすら呪う、という構図であっても十分に気味の悪いホラーだが、本作はその真逆で、自分を殺した友達の弥生ちゃんとその兄で少女の想い人である兄の健くんに恨み言を見守るようにその行動を語り、自分の死体を隠そうとするその心理を淡々と読み取り、終始平然とした心情であることが文体から読み取れる。あからさまなインパクトこそないが、鬼の形相で恨み言を列挙するよりもこちらの方が遥かに狂気的であり、気味が悪い。それに似た恐怖感を読者に与えてくるのは、弥生ちゃんの兄で『わたし』の想い人である健くんだ。妹が友達を殺したと聞いても取り乱さず、死体を隠すことをゲームのように楽しむ。ここだけを聞くと虫を潰して笑っているような、...この感想を読む
16歳の衝撃
新人だからと侮ってはいられない大抵の賞を受賞する若手作家などは、作家自体の売れこみがオビなどに添えられているものだが、筆者はあれが好きではない。作品でなく作者で売ろうという心意気がそもそも気に食わないし、「新人で若いから多少の不出来は勘弁してね」という免罪符が張られているようで嫌なのだ。だが、乙一にはそれが必要ない。確かにデビュー当時はやたらと16歳だとか天才だとか色んな騒がれ方をしたものだが、メディアの押しつけがましい“補助輪”は乙一の作風には全く無用で無粋な存在だった。『夏と花火と私の死体(以下、夏と花火と)』の乙一の文章には、若さゆえの瑞々しさや才能という言葉を挟む猶予がない。若い文章書き特有の「たどたどしさ」だとか、「知識のひけらかし」などが、乙一の文章には全くないのだ。かといって古めかしい文体でもなく、難しい言葉を使うこともなく、淡々と少女の一人称を繰り、ぞぞぞと這い上がって...この感想を読む
乙一初期の作品
乙一といえばGOTHが有名だと思うが、こちらの夏と花火と私の死体も割と評判の良い作品だと思う。ただ、内容がすばら良いかと聞かれると私はごく平凡と答えるようにしている。乙一作品を読んだことがなく、どんな感じの文章なのか、どんな感じの物語なのか知りたい方にはうってつけなのではないであろうか?なぜこれほど乙一作品が人気が出たかというとそれはおそらくストーリの展開が上手いからであろう。死体を一人称視点で捉え文章を進めることで一種独特な雰囲気の中で物語を展開している。その点においてストーリのオチにつなげていくくだりは非常に優れているのではないであろうか?それ故読者の目線からすると非常に話のテンポがよく見えてしまうのである。要は独特の世界を文章で構築した後にその世界をうまく活用し、ややもすると冗長になりかねない場面をうまく避けて進行させるという手法だ。これは他の乙一作品でも見られる。たとえば死に損ない...この感想を読む